アルルの放課後
3.「見えざる恐怖」その2





それは、つい昨日のことだった。

休み時間のせいか、お喋りでざわつく教室の中。
ルルーは、クラスメイトの一人と話をしていた。
淡いピンク色の髪はふわふわしていて、背中に生える羽と相まって、まるで天使のようである。
彼女はハーピーという種族で、れっきとした魔物だった。
魔物と言っても、東の森に生息しているような魔物とは違う。
人間と共に普通に暮らしている種族である。
ルシファー先生の授業では、人間と共に暮らす魔物とそうでない魔物の違いはエネルギー源にあると言っていた。

基本的に人間と共に暮らす魔物というのは、人間とほぼ同じような生態系をしている。
野菜を食べ、肉を食べる。
一方別の類の魔物は生気を食らう場合が多い。
全ての物質が持っている、存在するためのエネルギーとでも言うべきだろうか。
だから、本当は魔物とひとくくりに言ってもまったく別の存在であったりする。

魔導学校には、人間と共存している類の魔物が多く通っていた。
もちろん授業も共同で、ルルーは先日魔法の実技でハーピーとペアを組んでいたのだが。
実はルルーはその時ハーピーに怪我をさせてしまった。
今、そのお詫びとして何をしたらいいか尋ねていたところである。
それに対し、ハーピーはしばらく沈黙した後口を開いた。
「あのぉ、では、東の森に、一緒に行ってもらえませんかぁ?」
「……東の森?」
聞き慣れぬ言葉に、ルルーは思わず聞き返す。
授業内で幾度か聞いているはずなのだが、生憎ルルーは私情でその言葉を口にする機会がないため、聞き慣れてはいないのだ。
確か授業では、東の森は魔物と薬草の類の宝庫だと聞いたはずだ。
が、無論その場所に縁遠いルルーには、何故ハーピーがそんな所に行きたがるのかサッパリ分からなかった。

それに答えるべく、ハーピーが言う。
「ええ……実は前々からぁ東の森に生えているぅ、『カブモド樹』の実を採ってきたかったのですがぁ……」
そこで、ハーピーは言葉を止める。
東の森は、魔導学校の生徒の中でも、優秀な成績を収めているものでなければ外出許可が取れない。
そうでない場合は成績優秀者と共に二人以上で行動するならば許される。
そんな規則のために、行きたくても行けないのだと言いたいのだろう。
東の森に行ったことのないルルーだが、以前東の森に月一で通っているアルルからそんな話を聞いたことがあったので、幸いにもその意図は分かった。

もっとも、ルルーは頼みを聞く身、どんな理由にせよ果たさないわけにはいかない。
もちろんのこと、ルルーは二つ返事で頷いた。
「じゃあ、引き受けたわ」
「本当ですかぁ!」
「ええ。出発はいつにするの?」
「では、早速午後授業のない、明日にお願いしますぅ」
嬉しそうに言葉を弾めるハーピーがそう言った後、教室にチャイムが鳴り響く。
とたん、面白いように生徒達は慌ただしく席に着き、立っているのはルルーくらいになってしまった。
と言っても、ルルーの席はハーピーの席の近所なので、焦ることもない。
ルルーは悪魔でも冷静に身を翻すと、手を振りながら言葉を返した。
「OK、じゃあ、また後でね。」
「はい!」
それからルルーが席に着くと同時に、チャイムが鳴り終わる。
その姿を見て感心したのは、恐らくハーピーだけではなかっただろう。



「ええー?! 全治一週間ですって?!」
「はい……」
ルルーの叫び声が保健室に響きまくった後、ハーピーは力無く頷いた。
四時間目の体育が終わった後。
さぁ、いざ出発しようと思った矢先に宣告された言葉に、ルルーは驚きを隠せなかった。

ただ体育をするだけではつまらない、と言ってルシファー先生が突然鬼ごっこをやると提案したのが元凶だった。
授業中には幸いけが人も出ずに、みんな満足して授業を終えたのだが。
授業の後クラスの中で唯一空を飛べるハーピーが、校庭に残っている生徒がいないかどうか空から確認するよう、先生から頼まれた。
その時、空中を猛スピードで横切る何かに激突し、落下してしまったらしい。
幸い、偶然地上から生徒の存在を確認していた(視力が良いので、頼まれていた)ルルーが彼女を受け止めたので、大きな怪我には至らなかったが……。

「すみません……自分から頼んでおいて、こんなことになってしまってぇ……」
本当に申し訳なさそうに、ハーピーが口を開く。
その様子を見て、ルルーは明後日の方を向いて長い髪の毛をいじる。
何と言ってもルルーもつい先日、ハーピーに(今回の怪我から比べたら微々たるものだが)怪我をさせているのだ。
むしろ災難なハーピーにルルーが謝るべきだとルルーは思う。
しかし双方で謝り続けるような不毛な会話は、ルルーの毛嫌いするものの一つである。
代わりにルルーはハーピーの怪我を覗いて、別の言葉を切り出した。
「う〜ん。羽と足に打撲をつくってちゃ、東の森に行くのは無理そうね……。
よし!」
と、何やら思いつくと、ハーピーに意見する間を与えず決定した。

「外出届は昨日の内に出しちゃったし……今から削除しにいくの、面倒臭いわよね?
ここは私は一人で、何とかしてくるわ!」
「……え?」
「カブモド樹の実、絶対に取ってきてあげるわよ!
それまでにその怪我、治しなさい!」
「え、あの……」
ハーピーが何か問いかける声も聞かず、ルルーはダッシュで保健室を出ていく。
さすがルルーの俊足、既に保健室には、ベットで上半身を起こしたまま硬直するハーピーだけが残った。
「行っちゃったぁ」

ぽつり、と呟いた後、ハーピーはハッとしてルルーの台詞を思い出す。
「そう言えばぁ……日帰りで行ける東の森からぁ帰ってくる間にぃ、この傷を治すことなんてぇ出来ないですぅ……」
そして相変わらず、少しずれている。
しかもそれを言うなら、今のルルーの台詞は問題発言ばかりだ。
今の台詞は、ルルーなら一週間の傷を数時間で完治できるという意味にも、はたまた一週間も東の森にいる気というにも取れる。
それ以前、ルルーのしようとしている行為は立派な校則違反である。

しかしそれを注意したくても、そこにはルルーはいなかった……。



東の森で、奇妙な生物と遭遇することを、まだルルーは知らない。
親切心から、ルルーはハーピーをおいて、一人で森に行くことに決めた。
格闘家としての誇りから、傷付けた弱者への償いを、果たすために。
そして、遭遇の時は近づいていった。

そんなことがあったことなど、三時間目居眠りをしていたアルルは、知る由もない。
それは、偶然か、それとも必然か……。



生い茂った草草を踏み倒し、道無き道をも堂々と歩くルルー。
しかしその額にも、初夏の空気を受けてうっすらと汗の色が見えた。
いや……どちらかというと、冷や汗の方かもしれない。
東の森は、それだけルルーの予想以上に薄暗く、魔物の気配が濃い所であった。
無論、その程度で臆するルルーではなく、現に今も何体かの魔物を既に倒してしまっている。
そうではなく、もっと別の何か……強大な力を持つものが、どこかに潜んでいるような気がしてならなかった。
そのため歩いている間ずっと神経を張りつめさせていたせいで、精神の方が先に疲れてきているのかも知れない。

そんな状況なのに何故か、ルルーの頭にふと東の森にピッタリの雰囲気の知り合いが思い浮かぶ。
「何か、どっかの変態にお似合いの場所ね〜」
その知り合いがあまり好意を抱く者ではない(むしろ嫌いな)人物だったので、ルルーはあまり良い気分にはなれなかった。
このルルーの言う変態とは、言わずと知れた闇の魔導師、シェゾ・ウィグィィのことである。
まあ、実際シェゾは同じ日に、偶然同じ場所にいたわけだが。
そのことを知らないはずのルルーだが、磨かれた格闘家の勘というか、とにかく何かしらで感じ取っていたに違いない。
強大な力を持つものの存在を、掴んでいたように。

実はこの時点で魔物達は、既にある強大な力を恐れ、隠れていたのだが……。
普段東の森に足を踏み入れることのないルルーには、それを知る術はなかった。
存在を知っていても、対処できなければ意味はないのだ。

「あら? 何かしら、あれ。」
木々の隙間から見える白いものに、ルルーが気付く。
ルルーは、好奇心から。ほんの好奇心から。
その白きものへと歩み寄った。

そして。
ルルーは、そいつと出会ってしまったのだった。

ルルーも含め、全ての生き物が、恐れていたものに。

「……! 何よ、こいつ……」
前方に見える巨大な影に、ルルーは思わず顔を引きつらせた。
木々に隠れ、それまで姿など見えさえしなかったのだが、数十メートルまで近づいた今はその全貌をハッキリと見ることが出来た。
ウサギ……と、ギリギリ表現できるであろう顔。
ルルーの二倍はありそうな体長。
白い毛に覆われた、長い爪。
そこまでなら……ルルーにとって顔を引きつらせることでもない。

ただし。
それの頭部に、長い耳が……。
何十本も生えていなければ。

(やばい!)
ルルーは何故だかそう感じ取り、とっさに身構える。
そして……。
『ウサギ』は、口を開いた。
《この森に……かかった……獲物》
胃を揺さぶるような、吐き気のしてくる声だった。
ルルーは堪らず口元と耳を塞ぐが、特に何の効果も得られはしない。
吐き気は意識をも浸食し、ルルーは自分がこの世に存在しているのかも分からなくなる。
よって、その時、ルルーはとっさの理解が出来なかったのだ。
『ウサギ』の言う獲物とは、今まさに『ウサギ』の目の前にいる自分のことであり……。
自分は、かなり危険な状態であることを。

『ウサギ』は何やら意識を集中させ、何かをしようとしている。
ルルーがもし魔導師であったならば、それが魔法を使うための行為だと分かったであろうが……。
格闘家のルルーに、そんなことが分かるはずもなかった。

《ヴェルゾゥグ・ノル・キュリウス》
『ウサギ』は、唐突に理解不能な呪文を唱え始めた。
《ロヴァン・ゴォーツ・モルディ……》
その言語を理解できる者は、恐らく誰一人としていないだろう。
何故ならこれは、意味なき言葉。
抵抗を意味なきものにする、呪縛の言葉。
呪縛に縛られたルルーは、為す術もなく……。
それこそ、戦う前に。

《……ロン》

負けは、確定していた。

――嘘よ……!
私は今、敵と認識した相手と、対峙しているのよ?!
戦いの前の、戦いを始めるための戦い。
その時点で負けるなんて屈辱的なこと、させないわよ!!
なのに……何で?!
どうし……て……、力、……が……――

ルルーは混ざり合っていく意識の中で、ただ現実を突きつけられる。
『ウサギ』が何かを言うと、同時に空間が妙な感じにねじれた。
その瞬間、ルルーは妙な脱力感に襲われる。
足元がふらふらする。
目眩が酷い。
それから、ルルーが自分の身に、何が起きたのか知る前に。
『ウサギ』は、既にその場から、姿を消し去っていた。

それに気付くと同時に、ルルーはもう一つ、あることに気が付いた。
ルルーは、『ウサギ』を目の前にし、一度敵と認めたものに対し……戦う前に。
膝を、地へと付いていた。

「戦う前から……負け……た?
私が……?」
その呟きは、魂が抜けたように空っぽで……。
今にも、消えてしまいそうだった。




続く



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