アルルの放課後
10.「森の迷宮」その2





空が、赤い。
太陽はすでにすっかり西に偏っている。
後三十分もすれば完全に日が暮れるだろう。

森の上に立ち、シェゾは太陽の位置を確認する。
方位を確認できるのはこれで最後になるだろう。
このまま進路を失わずに進まなければならない。
幸い、山の端にかかる太陽はほぼ正確に西を示している。

静かな夕暮れだった。
静かすぎるほどに。
シェゾは苛立った口振りで呟く。
「どこ行ったんだ、あいつは……」
森の上に出ればアルルの所在が判るかもしれない。
ほんの少しだけ期待していた。
だが葉に覆われた森の下は、上空からでは隙間すらうかがえない。
それどころか、他の動物などの気配もつかめなかった。

訳の分からない事態にシェゾは拳を握りしめる。
手のひらが魔力を帯び始めた。
拳の内側にこもった魔力が熱を持つ。
このまま、全てをなぎ払えたら。
拳を開きかけ、急に虚しくなって止めた。
破壊は結局、思うよりもあまり役には立たない。

代わりにシェゾは、言葉を放つ。
「レビテーション」
同時に、魔力が空間を支配し、シェゾの体は宙に浮いた。
苛立ちのせいか、術は少し不安定だった。
着地の瞬間、体が傾く。
バランスを取り直しながら、シェゾは自嘲した。
アルルの失踪に、思いの外堪えている自分がいる。

カーくんが降りてきたシェゾに気付いて顔を上げる。
木の根本にちょこんと立っているので、目から下は草に埋もれて見えなかった。
アルルが見つかったかどうか気になるのだろう。
たとえ無理だと判っていても。
カーくんはシェゾよりもずっと辛いはずだ。
唯一無二の親友が、目の前で姿を消してしまったのだから。

シェゾは首を横に振る。
カーくんはがっかりした様子で座り込んだ。
シェゾは何か胸に痛みを感じ、すぐにそこから目を離す。
結局視線のやり場に困り、地図を見た。
予備の地図だが、ルルーにやったやつよりは性能が劣る。
大雑把な地形が書いてあるだけだったがないよりは気持ち的に幾分かましだった。

シェゾはカーくんの耳の付け根を掴んでショルダーガードに載せる。
カーくんは驚いて身を縮めるが、ちゃんと座り直すと、「ぐー」と鳴いた。
何と言っているのかは判らないが、何となく居心地が悪そうに見えた。
「贅沢言うなよ。
そりゃ、アルルの肩よりは居心地が悪いだろうけど」
地図をベルトの隙間にしまって歩き出す。
肩に載せるとカーくんは案外重い。
歩くたびに落ちやしないかと不安になった。

カーくんは後ろを振り返ってから「ぐー?」と尋ねた。
「行くの?」と言ったのだろう。
本当ならばアルルの消えた場所でずっと待っていたかったに違いない。
シェゾが進むたびにその場所とは遠ざかっていく。
シェゾはきっぱりと言った。
「ここにいても意味がない」
納得いかないものの、従うしかないことは判っている。
カーくんはうつむいて黙り込んだ。



暗い森に、複数の足音が響く。
アルルは今、兎火につれられ、森の中を進んでいた。
兎火と出会った後、アルルは兎火に事情を話した。
すると意外な答えが返ってきたのだ。
アルルが仲間に会える方法を、知っていると言った。
アルルが方法を尋ねると、兎火は一言だけ告げた。
着いてこい、と。

無機質な森の中は、東の森よりも一層距離感がつかめない。
何分歩いているのか、何時間経ったのか、感覚が判然としない。
何度も集中力が切れかかって立ち止まりそうになる。
アルルはなんとか、無言のまま兎火に着いて歩いていた。

いい加減無言に飽きたアルルが、口を開く。
「ねぇ、兎火って、何処に住んでるの?」
「ここ」
回答は、一瞬にして終わってしまった。
だが好奇心旺盛のアルルに、それだけの回答で疑問が満たされるわけはない。
アルルは、さらに質問を繰り返した。

「ここって東の森?」
「そう」
「いつから?」
「生まれたときから」

やはり、会話はすぐに終わってしまう。
本人が話したくないのか、それとも話し下手なだけだろうか。
アルルは前者かもしれないと思い、白兎に話題を振ることにした。
「白兎はどの辺りに暮らしてたの?」
自分に振られるとは思わなかったのか、白兎がビックリした感じに耳を立てた。
兎火越しに白兎と目が合う。
その目が自分に言っているのかと問うように見えたので、アルルはそうだよ、と頷く。

白兎は大きく息をついてから口を開く。
《……我は、この森の北部に暮らしていた。
そこに我々の集落があってな、我も兎火もそこで生まれた。
今は集落を出て、兎火と共に森の内部をうろつきながら生活している》
「へ〜!」
意外に色々語ってくれた白兎に、アルルは感心の色を示す。
最初兎火の方が話しかけてきたせいで、兎火の方がよく喋るものだと思っていた。
実は白兎の方が話すらしい。

しかし会話の中から、二人が何か深い事情を持っていると感じとれた。
アルルはそれ以上何も聞かないことにする。
代わりに、自分のことを話し出す。
「ボクはね〜、今はこの森の近くにある魔導学校の生徒なんだ。
今寮で暮らしてるんだよ」
《魔導学校というと、サタン氏の経営している学校か》
知っている単語に巡り会い、白兎の耳がぴんと伸びた。
一方アルルは鋭い視線で白兎を見る。
「違うよ、サタンじゃなくてマスク・ド・サタン先生!
サタンは自称魔界の貴公子の変な人!」
アルルは白兎にずいっと近寄って訂正する。
必死の訂正に、白兎は素直に頷くしかなかった。

《それで、東の森には何故?》
「実は魔導学校からのおつかいなんだ!」
《ほう、感心だな。兎火など、絶対面倒臭いことは引き受けてくれんぞ》
「白兎!」
兎火の一声に、白兎がすまん、とおちゃらけた調子で返す。
アルルとしては、兎火が二人の会話を聞いていたことに驚いた。
無関心に何も示さなかったから、きっと聞き流していると思っていたのだ。

アルルは、兎火がただの話し下手なのだと察し、思わず笑みを零す。
視界の端にアルルの表情を映した兎火が、むくれて尋ねた。
「……どうして笑うの?」
指摘されて、アルルはやっと自分の顔が笑っていたことに気付いたらしい。
あたふたと別の顔を作ろうとしながら、言い訳らしきものを考える。
「えっとね、ボクの知り合いに、兎火が似てたから」
「知り合い?」
兎火の問いに、アルルはこくりと頷く。
「うん、シェゾって言うんだけど。
あまり人と喋りたがらないというか、不器用で人と接するのが苦手というか。
ちょっと印象が兎火とにてたんだ」
本当は、もっと共通点はあった。
人知れぬ所に暗いものを抱えている雰囲気とか、人を、とても警戒しているところとか。
だけどそれは言ってもらっても嬉しいことじゃないと思うので、アルルはあえて黙っていた。

しかし不器用とか言った時点で十分嬉しくなかったらしく、兎火が小さく不満を言う。
「悪かったね」
それはアルルの耳にも届いて、アルルは慌てて言葉を補った。
「え、あ、ごめん!
そんなつもりじゃ……」
《気にしなくて良い、兎火の性格の問題だ》
アルルの台詞を、白兎が途中で遮る。
心なしか、アルルの視界の端で、微笑んだ兎火の顔が見えた。

互いに理解し合っていて、とても仲の良い二人なのだろう。
その時アルルの頭には、カーくんの姿が浮かんだ。
「帰りたい……」
カーくんに会いたい。
ルルーに、シェゾに、学校のみんなに会いたい。

たった数時間会っていないだけなのに、なぜかアルルはすごく懐かしく思った。
きっと、おつかいの道中、色々なことがあったからだろう。
魔物に遭って、ルルーに会って、川を越え、森をゆき、迷子になって兎火と白兎に出会った。
貴重な体験が出来て、良い一日だったと思う。
今一緒にいる兎火と白兎も嫌いではない。

それでも、アルルは思う。
「帰りたいな、ボク。
みんなの所へ」
兎火と白兎を見ていたら、急に帰りたくなったから。

《……すまなかったな》
「え?」
白兎の言葉の意味が分からず、アルルは聞き返した。
質問の答えは帰ってこなかった。
兎火は、アルルを無視して白兎にのみ応えた。
「白兎が謝るコトじゃないよ。
わたしが悪いんだ。
わたしが我が儘だから」

アルルは再び問おうとして、止める。
兎火が、足を止めたからだ。
アルルは問うタイミングを失い、仕方なく口をつぐむ。
兎火が、短く言った。
「着いたよ」




続く



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