アルルの放課後
10.「森の迷宮」その1





気がついたら、一人だった。
生い茂る木々、膝まで達する雑草の群れ。
辺りの風景は、変わらずに広がる。
ただ、決定的なものがなかった。
「カーくん?」
アルルは、急に軽くなった左肩に視線を投げた。
しかしそこには、青色の魔導スーツのショルダーガードがあるだけだった。

訳も分からず、アルルは左手を見る。
先ほどまでしっかりと握りしめていたシェゾの手は、なかった。
誰も、いない。
アルル以外。
「カーくーーーーーーん!!」
孤独に耐えられなくなったアルルは、張り叫んだ。
声は木霊することもなく、森の奥へと消えていく。
ルルーの名も、シェゾの名も同じようにして叫んだが、同じように消えていくだけだった。

まるで、その名を持つ存在が、消えてしまったかのように。
何度も呼んで、何度も消えて。
ついにアルルは気力をなくし、その場に崩れ落ちた。
凍り付いたかのように動かない森に冷やされ、アルルの体温は急激に奪われていく。
血の気がさっと引いていった。

「みんな……何処?」
呆然と呟く。
その問いに答えられる者は誰もいなかった。



このまま、全ての木々を焼き払ってしまえたら。
シェゾはその考えをうち消すかのように、手のひらに集めた魔力を分散させた。
全てがわずらわしかった。
巨大なウサギのような魔物、力を失ってしまったルルー。
いなくなったアルル。
取り残されたシェゾとカーくん。
「くそっ!」
変えようのない現実に、シェゾは拳を握りしめた。

苛立ちを抑えていないと、周りのものを全て破壊したい衝動に駆られる。
既に何本か切ってしまった木々が、シェゾの後方に横たわっていた。
たかだか数本木を刈り取ったところで、森の景色はほとんど変わらない。
広がる景色にアルルの姿は見えず、木があるのみだった。

森を丸裸にすればアルルが見つかるかもしれない。
何度も考えた。
だが、そこまでしても見つからないような気がした。

アルルが消えたのはテレポートの最中。
人間がほとんど知覚できないほどの一瞬、三人は空間を渡っていた。
空間の中に入った時点までは確かにアルルはシェゾの隣にいた。
テレポートは本来使用者一人を移動させる魔法である。
複数の人間を移動させるには、使用者から離れていない状態にする必要がある。
シェゾは、アルルの手をしっかり掴んでいた。
放すはずはない。
放した瞬間、空間の狭間へと放り込まれてしまうのだから。

それなのに気付いたらアルルの姿はなかった。
正確に言えば、アルルが何者かに引っ張られた。
違和感を感じたシェゾはアルルの方へ視線をやり。
一瞬だけ見た。
白くて細い手が、アルルの腕を掴むのを。

止めようと思ったが、その前にシェゾたちの体は現実世界へ戻ってしまった。
そこにアルルの姿はなかった。
アルルの肩に乗っていたはずのカーくんは宙に投げ出されて。
音もなく、唐突すぎるほど唐突に。
一人の人間が、空気にとけ込んだかのように自然に、姿を消していた。

おそらく、あの白い手が連れて行ったのだ。
空間の狭間でアルルを連れ去るくらいの人物だ、連れ去った先もどこなんだか見当もつかない。
シェゾは握った拳をもう片方の手で覆う。
手のひらには、アルルがくれたピアスの感触。
カーくんもシェゾの頭の上で小さな体を折り曲げてうなだれていた。
二人にできることは何もない。
ただ無事を信じて、ルルーの待つナニカノ草のある場所へ急ぐ。



数秒前の光景は覚えている。
ルルーと別れたアルルたちは、出現した『ウサギ』と戦っていたはずだ。
そして、敵わなかった。
撤退を決めたシェゾはテレポートの魔法を唱えた。
シェゾが一体どこへ向かおうとしていたのかは判らないが、テレポートは使用者の記憶の中にある広い場所へしか行けない。
少なくとも、何の目印もない森の中に移動することはない。
アルルが立っているこのうっそうとした森の中にたどり着くはずはないのだ。

まさか、魔法が失敗してアルルだけ別の場所に来てしまったというのか。
嫌な考えがアルルの脳裏によぎるが、それは違うとすぐに判った。
テレポートは高位の魔法で、失敗すれば空間の狭間に迷い込むか、存在自体が消滅する。
もし魔法が失敗したというのなら、アルルの体が無事であるはずはない。
アルルは拳を開いたり閉じたりしてみたが、体に違和感はなかった。
見たところ重力もちゃんと下向きに働いている。
生えている木も本物のようだ。
空間の狭間にしてはあまりにも「正常」だった。

見た感じは確かに東の森だった。
本当の森の中なのかは判らない。
生き物の気配が全く感じられないのだ。
何というか、森自体が張りぼてのようだった。
見た目だけ似せた偽物。

アルルは足を一歩踏み出した。
踏みつけられた草が折れ曲がる。
ゆっくりと歩き出した。
草を踏み付ける音が辺りに響く。
足がやたらと重たく感じるのは、疲れのせいか、気持ちのせいか。
距離感もつかめない現状では、疲れという概念など存在するのか怪しかった。

歩けば歩くほど自分の居場所がわからなくなる。
かといって立ち止まれば、えもいわれぬ不安に襲われる。
アルルの瞳に涙の気配が浮かぶ。
ため込んだ不安があふれ出しそうだった。
泣いたってどうにもならないことくらい分かる。
アルルは上を向いて耐えた。

不意に、草むらが小さく音を立てる。
「カーくん?!」
アルルは親友の名を呼んだ。
しかし、反応はない。
それでもアルルは、近くに生物が潜んでいるという期待を捨てきれなかった。
この際魔物でも良い、アルルはただ自分以外の動くものを見たかった。
そうでもしないと、神経が壊れてしまいそうだったから。
「誰かいるの?」
静まりかえる草むらに問いかけつつ、アルルは立ち止まる。
相変わらず反応はない。

頼りない自らの勘を頼り、とりあえず音がしたと思われる方向に進んでみる。
数歩進んだ所で、
「あ……ボクが動いてたら、草むらが動いてる音がかき消されちゃう!」
重大なことに気付いた。
しかし自分でそのことに気付いたのは、偉大な進歩と言える。

その時。
「誰?」
唐突に、人の言葉が、森のさらに奥から投げかけられた。

反射的に警戒し、アルルは神経を張りつめる。
孤独でないと分かっただけで、十分だった。
アルルは活力を取り戻し、生きるために頭をフル回転させる。
魔法を唱えようかと思い立ったところで、アルルはふと気付いた。
相手は、姿は見えないものの、少なくとも敵意は感じられない。

アルルは魔法の構成を錬るのをやめ、相手の問いに答えることにした。
「ボクは、アルル。
アルル・ナジャ!
よく分からないんだけど、迷子になっちゃったんだ!」
相手が見えないせいか、アルルの声が自然と大きくなった。

どこに潜んでいるのかは判らないが、無事アルルの言葉は相手に聞こえたらしい。
アルルの斜め後ろの草むらが、がさりと音を立てた。
反射的に振り返ると、小さな何かがアルルの方へ近付いてくる様が見える。
草むらからひょこんと顔をのぞかせたのは。
白い、ウサギだった。

「わあ、可愛い♪」
まず最初の感想は、それ。
長い耳がカーくんを連想させたせいか、アルルは白いウサギに駆け寄った。
ウサギの方は突然歩み寄るアルルにビックリして、草むらの中に胴体を埋めてしまった。
ふわふわの毛はまだ短く、幼いウサギではないかと、アルルは予想する。

「ねぇ、ナジャさん。
白兎から離れてくれる?」
「わあ!」
突然背後からかかった声に、アルルは思わず悲鳴を上げる。
その隙に、白兎と呼ばれたウサギが、アルルの側から逃れた。
ウサギが行く方向を追って、アルルが後ろを振り返ると、アルルより少し年下の女の子が立っていた。
背中の中程まである黒髪を、不思議な模様のあるバンダナで止めた、黒い瞳の少女。
アルルは立ち上がってその子に目線を合わせると、少女の方がやや背が低いことが分かった。

少女の手には、ウサギがしがみついている。
その様子を見て、アルルは思ったことを口にする。
「その子、君のウサギ?」
少女は首を横に振る。
じゃあ……と、アルルが別の答えを聞こうとすると、その前に少女が答えた。
「幼なじみ。
近所のお兄ちゃん」
あまりにも予想外の回答に、アルルは「へ?」と間抜けな声を上げて少しの間硬直した。

幼い頃から共に育った雄のウサギなのか、近所のお兄ちゃんが何らかの理由によりウサギになってしまったのか。
はたまた目の前の少女がシェゾやサタンのようにおかしな物言いをする少女なのか。

色々な考えがよぎった後に、少女が普通に会話を続けた。
「わたし、ウカ。
ウサギにたき火の火って書くのよ」
「あ、そう……兎火ちゃん、ね?」
兎火は頷いた。
今度は白いウサギを高く抱きかかえる。
「こっちは白兎。
白い兎で、ハクト」
そう言って、少女・兎火は白いウサギに視線を向ける。
つられてアルルも視線を向けると、白兎と目があった。
すると、白兎が会釈をするかのように、微かに頭を下げる。
一瞬、気のせいかと思いながらもアルルが会釈を返す。

気のせいではなかった。
次に白兎はとんでもないことをやらかした。
《初めまして、白兎と申す》
「は、初めまして……」
白兎の言葉に返してから、気付く。
「ウサギが喋ったーーー!?」
叫んで、アルルは数歩引き下がる。

何せ、カーくんですら「ぐー」としか話さないのに、何の変哲もなさそうなウサギが喋るなどという場面に遭遇したのは、初めてだった。
むしろ、普通は一生喋るウサギなどには遭遇しない。
ルルーはウサギのような喋る魔物に力を奪われてしまったらしいが、そのウサギには耳がいくつもあったというので、あの場合喋るウサギではなさそうだ。
白兎はどっからどう見ても、普通のウサギだ。
「白兎はウサギじゃないわ」
いや、実は普通にウサギじゃないらしい。

兎火は、白兎の尻尾を掴んで、そのまま宙に浮かせる。
ここで普通のウサギならば、丸い尻尾が兎火の手中にあるはずだ。
手の中からこぼれ見えるのは、ふわふわの、細長い尾。
おまけに三本。
「ね?」
《何が、ね? だ。
尾を掴むのはやめろ、兎火!》
必死で白兎はあがいているが、兎火は放す様子はない。
もっともこのまま放した場合、白兎は地面に頭から落ちることになってしまうので、兎火はけして放さないだろう。

そんなことはすでにどうでも良く。
もう色々な感覚を放棄していたアルルには、何も言うことが出来なかった。




続く



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