アルルの放課後
9.「絶望と希望」その5





彼女は突然現れた。
「貴方は、この悲しい花を、口にすることが出来ますか?」
ルルーと少年ははじけるようにそちらに顔を向ける。
先ほどまで、何の気配も感じなかった。
それもそのはず、二人の向いた先に、人影はない。
不思議な現象に戸惑い、少年は辺りを見回す。
草原に立つ者は、ルルーと少年以外誰もいなかった。

「誰……?」
草原の中に足を踏み入れながら、ルルーが問う。
森のざわめきと、女性の声が答えた。
「私は、ドリアード」
声がした瞬間、ルルーの眼前に緑色の粒子が現れた。
一瞬、貧血でも起こしたのかと錯覚したが、違う。
大抵の人間は知らないであろうが、それは、精霊が人間に見える様な姿へ変形する時の現象。
粒子は、やがて、髪の長い二十代の女性の姿を描き出した。
「無知にナニカノ草を求めてくる者達に、忠告を与える者です」

「ドリアード……」
呟いたのは少年だった。
ルルーは一歩引いて少年の方を振り返る。
「知っているの?」
少年は頷いた。
「ナニカノ草を管理している精霊だって。
ドリアードがいるから、ナニカノ草の生えている場所に行っても、簡単には草を入手できないって聞いた。
だけど実際に見たのは初めてだ。
本当にいたんだ!」
神聖な者を崇めるかのように手を組み、ドリアードを見つめている。
肌が透き通っており、全身が緑色のオーラに包まれているドリアードは、確かに神秘的だった。
表情のない顔は厳かな印象を感じさせる。

精霊は普段実体がない。
自然の中にほぼ完全にとけ込んでいる。
ドリアードの気配が感じ取れなかったのはそのためだ。
人に見える姿に変形することによって、精霊は形あるものに触れることが出来るようになる。
ドリーアードは足下に生えていた白い花を抜いて、ルルーに差し出した。

「これが、傷を癒し、体力を回復させるナニカノ草です。
葉を、お食べなさい」
ルルーは少し受け取るべきか、戸惑った。
いきなり出現した謎の人物に、道端の草を食えと言われても、そうそう口にすることは出来ない。
しかし、ドリアードの手にする草が、ただの草ではないことは分かった。
輝きが違う。
何か、不思議な感じのする草だった。

二人は対峙し、しばしの沈黙をつくる。
先に折れたのは、ルルーだ。
「……分かったわ」
力無く手を伸ばすと、ドリアードはルルーの手にナニカノ草を握らせた。
言われた通り、ルルーは葉をむしって、しばらく見つめる。
やはり生粋のお嬢様、道に生えた草をそのまま食したくはないらしい。

ドリアードは小さく笑って、小さく呪文を唱える。
「コールド」
ドリアードは魔法を放つと、水がルルーの手を包み込む様に出現する。
水は、ルルーの手に付いた汚れや、ナニカノ草に付いた土も洗い流し、
問題なく食事できる状態となった。
水は、ルルーの足下に落下し、土に吸収される。

ルルーがドリアードを見た時、ドリアードは優しく微笑んでいた。
ルルーはドリアードに礼を言うと、葉を一枚、口の中に放り込む。
すると。
苦い味と共に、不思議な暖かさが、口の中……いや、体中に広がった。

ナニカノ草を飲み込んだ頃にはもう、ルルーの体に疲れは残っていなかった。
「すごい……」
たった一葉だけで見事な効果を示した草に、ルルーはただ感心した。
このタイプのナニカノ草であっても、『ウサギ』を倒す重要なアイテムになりうるだろう。
だがルルーの目的は違う。

ルルーはドリアードに歩み寄って、単刀直入に言った。
「ありがとう、助かったわ。
ところで私、潜在能力を発揮させるタイプのナニカノ草が欲しいんだけど、いただけないかしら」
微かに、ドリアードの表情が硬くなった。
少年の表情も固まる。
それだけ特別なものなのだろう。

予想していた反応に加え、ドリアードはきっぱりと言った。
「貴方には無理です」
「……はい?」
突きつけられた一言に、ルルーは拍子抜けした様子で聞き返した。
くれるか、くれないかの回答を望んでいたルルーにとって、意外なものだったらしい。
ドリアードはルルーの問いに答えることなく、ただ、一言告げた。
「あれを食せば、死にます」
少年が大きく頷くのが見えた。

少年の語った伝承を思い出していた。
ナニカノ草のは強力な毒があると。
母親の病気を治そうとした青年。
青年のつんだナニカノ草を食べて死んだ母親。
毒は人間を選ばなかった。
どんな人間にも平等に裁きを下す。
ナニカノ草を食べるということ自体が罪なのだ。

――どう……して……人は力を……求……る?

その時、ルルーの頭の中に声が流れてきた。
高いとか、低いとか、そういった区別は付かなかったが、確かに意識に訴えかけてくる何かがあった。
ドリアードがしゃべったのかと思い、ルルーは彼女に視線を合わせた。
ドリアードの表情からは事実を伺うことは出来なかったが、後の言葉によってそれは明らかになった。
「貴方にはナニカノ草の言葉が聞こえたでしょう?」
彼女曰く、草が喋ったらしい。

ルルーは思わず足下に視線を下ろし、ナニカノ草を見てしまった。
半信半疑に。
ドリアードが嘘を付くとも思えないが(何より嘘を付く必要性がない)、事実があまりにも飛びすぎている。
確かに、ナニカノ草が意識を持った、というようなことは伝承にもあった。
嘘を付くとも思えない相手を、疑っている自分。
不意にルルーは、例え嘘でも、疑うことのない、純粋な少女を思い出していた。

アルルなら、この時どんな判断をするのだろうか。
恐らく、信じる。
都合の悪いことも、都合良く解釈して、前に進んでいくのだろう。
強い瞳を持った少女は、きっと今も戦っている。その親友や、仲間と共に。

ルルーの沈黙を、悩んでいる姿と取ったのか、ドリアードが追い打ちを掛けるかの様に言った。
「ナニカノ草の毒は強力です。
命を落としかねませんよ。
お帰りなさい」
命ヲ落トシカネナイ。
その言葉が痛く刺さった。
ルルーは無論、こんな所で命を捨てるつもりはない。

だが。
アルルはきっと戦っている。
命すらかけて。
ルルーが、ナニカノ草によって力を復活させ、戻ってくることを信じて。

引けない。
引くわけにはいかなかった。
ルルーは、しばし考えて、尋ねた。
「ねぇ、最後にここのナニカノ草を食べて誰か亡くなったのは、何年前の話かしら?」
唐突な質問に、ドリアードは沈黙した。
思わず少年の方を見る。
ドリアードと目があって、少年は慌てて首を横に振った。
ナニカノ草について詳しいことなんて、まるで知らない。

ドリアードは視線を戻して、口を開いた。
「……百七十年くらい前……ですが?」
ドリアードの戸惑うような回答を聞いて、ルルーはにっこりと笑った。
何かが吹っ切れた、笑い。
ドリアードはますます深い疑問を抱くが、 ルルーは一人で納得している。

恐らく独り言だろう、ルルーはおもむろに口を開いた。
「二百年近く立っているってコトは、そろそろ植物の機能に何らかの変化があったって良いわよねぇ。
意志を持っているのなら、人が来ないと分かった時点で自己進化してるかもしれないし。
人が来ないなら毒は意味がなくなるものね」
いつもの、ルルーの調子で、どんどん都合のいい解釈をしていく。

ドリアードは、目を点にして、ルルーの言葉を聞いていた。
「な、なんて楽天的な……」
ルルーの勝手な推測に、ドリアードは呆れた声を出す。
「そんな上手くいくもんか!」
少年も抗議の声を上げた。
その後も何か言おうとするが、ルルーが鋭くにらみつけたため何も言えずに終わる。

無論、生き物の中には目に見えて分かる様な急激な変化をするものもいる。
例えば、だんだん生命力が強くなってくる害虫の類だ。
しかし一方で一部の樹木や海底に住む魚など、古来からあまり変化せずに現代に残っているものもある。
その中でナニカノ草の“進化説”を語るには、動機が弱すぎる。
永い時を生きてきたドリアードは、戸惑う中で冷静にそんなことを思っていた。

一方ルルーは、はっきりと、ドリアードを見て、言った。
きっぱりと。
「そういうことで、ナニカノ草を渡しなさい」
ドリアードが、微かに息を吐く。
笑いを含んだ、ため息。
この人間には敵わないと、彼女は思った。
そう、彼女には。

ルルーの言葉に頷くことしか、許されていなかった。
ドリアードは、苦笑し。
大きく、頷いた。
ルルーになら、人を憎んだ哀れな花を、託せると、信じて。



魔法が、効かない。
魔法によるダメージが分からないほど頑丈なのか、構造そのものが魔法を無効化しているのか。
そこまでは流石に分からなかったが、言えることはただ一つ。
魔導師であるアルルやシェゾに、魔法という攻撃手段が無くなってしまうと、勝ち目ははっきり言ってないように思えた。

一つ実態を知ってしまったことにより、先程より『ウサギ』は強大に見えてしまう。
アルルが否定するように口を開いた。
「ねぇカーくん、カーくんのビームで、どうにかならないかな!」
アルルの言葉に、カーくんは困ったように「ぐー」と唸る。

どうやら、カーくんのビームはいつでも好きな時に撃てるものではないらしい。
カーくんの話によると、危険を感じた時や、感情が高ぶった時に増幅するエネルギーを利用してではないと、撃てないようだ。
なんでも、意図的にエネルギーを上昇させるのは、とても余分な力がいるんだとか……。
そこら辺のことはアルルにはよく判らなかったが、とにかく一つの道が閉ざされたことは分り、項垂れてしまう。

それでもまだ諦めず、顔を上げて言った。
「じゃあ、闇の剣……」
言いかけた時、『ウサギ』が動いた!
「危ないっ!
アイスストーム!」
シェゾは、右手に魔法を放って、その勢いでアルルごと横に移動する。
間一髪で、直撃は免れた、が。
微かにシェゾの右腕をかすったらしく、シェゾの腕からは鮮血が舞った。

アルルは目を見開いて、声を掛けようとしたが、シェゾに制止された。
「この状況で、お前のフォロー以上のことは出来そうにない」
アルルは、押し黙った。
暗に言われた気がした。
いや、言われたのだろう。
アルルがいるせいで、シェゾの行動が制限されてしまっている、と。

思わずアルルは泣きそうになるが、耐えて、魔法を放つ。
時間がないので、短縮して。
「ヒーリング」
魔法が発動すると同時に、シェゾはアルルの手を引いた。
アルルが驚いて言葉を出すよりも早く。
「仕方ない。
いったん引くぞ」
意外な言葉が、シェゾの口から発せられた。

プライドの高いシェゾが、そんなことを言い出すなんて、アルルは思っていなかった。
しかもまだシェゾは、全力を出しきってはいないのだろうに。
アルルは、こくりと頷く。
頷く以外、出来なかった。
多分、自分のせいだと思ったから。

俯くアルルを、カーくんが心配そうにのぞき込む。
アルルは、カーくんと目があっても、笑うことが出来なかった。
迫り来る、『ウサギ』。
衝突の一歩手前で、シェゾの口から言葉が放たれる。
「テレポート」
そして、三人(?)の姿は、その場から消えた。



ナニカノ草には、強力な毒素が含まれている。
ナニカノ草を口にした者は、等しく死を与えられるだろう。
それでも。
ルルーはナニカノ草を、食べなければならない。
『ウサギ』に力を取られた今のルルーでは、単なる足手まとい以外の何にもならないだろうから。

ルルーは、決めた。
戦う、と。

「こうなりゃ自棄よ!」
まだ逃げている自分に決別の言葉を残し、ルルーは一気にナニカノ草の花を口に放り込んだ!
奥歯で磨り潰せば、口の中に広がる花弁の味。
何だか、悲しい味がした。
ルルーは、堅く、目を閉じて。
ナニカノ草を、喉の奥へと流し込んだ。

ルルーの喉が、小さな音を立てる。
生きるか、死ぬか。

ルルーの体は、力無く。
地面に、崩れ落ちた。




続く



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