アルルの放課後
9.「絶望と希望」その4





白い、花が、揺れる。
その小さな白い花びらは、木の根本に隠れる様にして生えている。
遠くからでもすぐ見つけられるほどの、輝かしい存在感を持っていた。

花に魅せられる者が現れるのに時間はかからなかった。
花を一目見たいと人々が訪れ、やがてそこには村ができた。
不思議と花の周りには力があふれていた。
村人は病もなく、豊富な資源に囲まれ、幸福に暮らした。
村は反映していき、やがて町になった。

その花が持つ魔力は、魔力のない一般人にも感じ取れるほどのものだった。
やがてそれを、旅の魔導師が解明した。
――花に蓄積された魔力の分、口にした者の能力を高める力。
そう、それは潜在能力を引き出すだけではない。
白き花を口にすればするほど、際限なく高められていく力。

求める者が多ければやがて争いが生まれる。
白き花は、遙かなる昔、争いを呼んだ。
力を高めたい者が奪い合い、力を得た者が殺し合い。
白き花は、たくさんの血を吸った。
たくさんの、憎しみや怒り、悲しみを吸った。
血は、花の中で魔力として蓄積され、花はさらに強大な力を持った。
争いは、増えていった。
また、血は、憎しみは、悲しみは、花へと降り注ぐ。

花は、憎しみや悲しみを、争いを絶やす刃に変えた。
憎しみや悲しみは、花の中で毒へと代わった。
以来、花を口にした者は全て、死に絶えていった。
やがて花は恐れられ、人々は離れていった。
町は村となり、村は集落となり。
永き時、白き花は孤独な森の中でのみ生きてきた。



揺れる少年の背中の上で、ルルーは何とか「なるほどね」の一言を絞り出した。
「それ以来ナニカノ草は猛毒を持つと伝えられてきたんだ。
これは俺の村の伝承だよ」
木の根を蹴って次の木の根に足をつける。
ルルーを背負っている割に少年の足取りは軽い。
その上、走りながらナニカノ草の歴史を説明していた。
少年の息は弾んでいる様子すらない。
基礎体力が優れているようだ。

少年としては何とかルルーを説得したいところなので、移動時間でもできることはしておきたかった。
少年は東の森奥地の集落に住んでいる。
それは昔、ナニカノ草の争いを逃れた人々が作った集落らしい。
集落には少年が言ったような伝承があって、子供は皆親から教えられる。
ナニカノ草には近づいてはならない。
伝承の最後はそう締めくくられるのだ。

ルルーは口元を押さえながら「じゃあ」と絞り出す。
振動で舌をかみそうになるのだ。
先ほど思いきり舌をかんでしまい、こりた。
「病気、とかの、効能は?」
別にルルーが欲しいのは潜在能力を引き出す力なので、他の力は眼中にない。
ただ気になったので聞いてみた。

少年は呻きながら幼いころの記憶を辿る。
どうやらうろ覚えらしい。
「確か、母親の病気を治すために青年がナニカノ草を探しに来たんだ」
もちろんずっと昔の話ね、と付け加える。
思い出した所から話しているので、どうにも要領を得ない。

「だけどその時は既に、人々がナニカノ草から離れて久しかった。
ナニカノ草は伝説上の存在でしかなかったんだ。
ナニカノ草は各地で様々な伝説になっていた。
願い事を叶えてくれるとか、どんな病気でも治してくれるとか」
「病気……のことは、逸話なの?」
少年は首を横に振る。
「今は本当。
けれど当時はそうじゃなかった。
ナニカノ草は毒でしかなかった。
何も知らなかった青年はナニカノ草を持ち帰った。
そして、母親に飲ませた」

ルルーは息を飲む。
「それで?」と先を促した。
聞かなくても判っている。
でも、聞かないでいるのは気分が悪かった。
少年はぽつりと言った。
「母親は死んだ」

救おうとした人を逆に自らの手で殺してしまった苦しみ。
それが愛する人ならば、自責や後悔は永遠にぬぐい去れない。
自分さえも憎んでしまう。
ルルーは胸が痛んだ。
ナニカノ草を探す青年は母親を助けたい思いでいっぱいだっただろう。
様々な危険を冒して、それでも探し続けたに違いない。
ナニカノ草を見つけた瞬間、青年どう思っただろうか。
その喜びは計り知れない。
そしてその希望が母親を殺したのだ。

「青年は、白き花の元へと訪れた。
そして、泣いた。
涙枯れるまで、泣いた。
命枯れるまで、泣いた」
一生を尽くしても拭いきれない罪の意識。
青年はそうするしかなかったのだ。
ルルーはした唇をかむ。
そうしないと悲しくて怒り出しそうだった。

「花は意識を持ち始めた。
そして自らに問いかけた。
なぜ誰一人として救うことが出来ないのに生えているのか。
なぜこの世界に生きる者として、一つの命を救うことすら出来ないのか」
少年は速度を遅める。
木の量が少なくなってきていた。
森の中に赤い日の色が差し込む。

補足するように言った。
「ナニカノ草だって殺したくなかったんだ。
人が死ぬのを見たくなかったから毒を作って争いを止めたんだ。
ナニカノ草は始めから何も悪くない。
だけど、青年の母親を殺した。
自分が許せなかったんだ」
おそらくそれは、伝承にはなかった言葉だろう。
少年が伝承を聞いて思ったことだ。
ルルーも同じように感じて、頷いた。

「花は、横たわる青年の遺体を肥料に、涙を水分として吸収し、進化していった。
人を救うための、生き物として、自らの体を三つに裂いた。
白き花の葉が進化したものは、傷を癒し体力を回復するものへ。
白き花の根が進化したものは、ありとあらゆる病を治すものへ。
白き花自身は、かつての争いを忘れきれず、本来の姿を残した――」
つまり、毒と潜在能力を引き出す力を持っている。

少年は立ち止まった。
衝撃でルルーは少年の後頭部に顔を押しつける。
少年がしっかり支えたおかげで落ちることはなかった。

ルルーの顔を暖かい光が照らした。
いつの間にか太陽の光がある。
ルルーははっと顔を上げた。
驚きに見開かれた瞳はそのまま硬直する。

世界は一転して切り替わった。
森が開け、目の前に現れたのは、草原だった。
先ほどまでの空であった木々の葉はなく、夕焼けに彩られる本物の空が広がっている。

地面が輝いているように見えた。
草をかき分けて真っ白な花びらが敷かれている。
風に吹かれて舞う花びらは、純白の羽を持つ妖精のようだった。
しかしそこには生き物の気配はない。
魔物が出現したせいなのか、それとも、そこにある花が猛毒だからか。

少年はルルーを背から下ろす。
ルルーは足をついてから軽く礼を言った。
並ぶとルルーの方が少し背が高い。
少年の幼さを物語っている。

少年は少しだけ上を見て、ルルーの瞳をのぞき込む。
茶色の瞳がルルーの目に映った。
「ここが、ナニカノ草の住処。
かつて戦場となり、多くの血を飲み込んだ、悲しい場所だよ」
ナニカノ草は、けして大地を離れようとはせず、ひっそりとルルーを見上げていた。


   ***


アルルが、呪文短縮の魔法を放つ。
「ファイヤーストーム!」
炎の竜巻は不規則に揺らぎながら、『ウサギ』の元へと向かう。
『ウサギ』はその動きに惑わされることなく、体を左に捩る。
アルルはとっさに伏せ、『ウサギ』は一気に体を右回りに一回転させた!

空気を叩く音と共に、アルルの頭上を強風が通っていく。
アルルは強風の先にシェゾの姿をとらえてあっと声を上げた。
対応する間はない。
「くうっ!!」
『ウサギ』の背後に回っていたシェゾは、バランスを崩してしまった。

だがそれで、ただ転ぶシェゾではない。
シェゾは唱えてあった呪文を放つと同時に、上体をそらせた。
「ダークバインド!」
魔法が前へと放たれるエネルギーの反動を利用し、シェゾはバク転の要領で宙を一回転し、着地する。
『ウサギ』は突進するために前屈みになっていたが、魔法の回避のためにその体勢を崩す。

横に逃れた『ウサギ』の横をすり抜け、魔法がアルルに接近した。
アルルは拾い上げた小石を魔法に向かって投げ、魔法を無効化する。
魔法に注意が向かい、隙が出来たアルルのフォローに、シェゾは続けて魔法を放った。
「フレイムストーム!」
ファイヤーストームよりやや威力が強いそれは、周りの木々に影響を及ぼしつつ『ウサギ』へと着弾する!

一瞬、炎が燃え上がった。
しかし。
《ルゴォオオオオ!!》
『ウサギ』の雄叫びによって、炎は霧散してしまう。
アルルやシェゾはもう、この現象を何度も見てきた。

魔法がなかなか直撃しない。
接近戦をやるにしても、本来魔導師が本職であるシェゾでは『ウサギ』の反応速度の速さには、ついていけない。
つまり、二人は現在、ピンチだった。

「ちっ……せめて魔法が、当たりさえすれば」
『ウサギ』とある程度距離を置きながら、シェゾは呟いた。
ブラストやファイヤーなどの簡単な魔法ならば当ててもあまり意味がないが、シェゾが得意とする失われた魔法・古代魔導ならば、いくらか効き目があるだろう。
それを唱えるには時間がかかる。
古代魔法ともなればさすがのシェゾでも呪文の省略ができない。
呪文を唱えている間、アルル一人(ついでにカーくん)で『ウサギ』を止められるかと言えば……無理だろう。
その上、思考の途中に次の攻撃が来てしまうために、撃つタイミングがつかめない。
シェゾは『ウサギ』が意味不明の言葉と共に生み出した球体を避けつつ、再び舌を打った。
「ちぃ!」

「ダイヤキュート!」
同時に反対側で、アルルが魔法を唱えた。
何をしでかそうとしているのかは判らなかったが、とりあえずフォローできるように、シェゾは魔法を放つため意識を集中した。
その時、ちらりとアルルがシェゾの方を見る。

微かに、視線を通して伝わってくる意志。
先に、放て。

どうやらアルルはシェゾの呟きを訊いていたらしく、
多少の危険を冒してでも魔法を当てにいく気なのだと判った。
シェゾは、頷いた直後に魔法を放つ!
「シャドウエッジ !」
言葉と共に、結晶状の闇の刃が『ウサギ』の近くの空間に出現する。
刃は『ウサギ』を切り刻むと、一瞬にして霧散して消えていった。
『ウサギ』に傷が付けられた様子は見られないが、視覚的なインパクトが強かったせいか、『ウサギ』の意識がシェゾの方に向いた。

その隙に、アルルが早口に呪文を唱え始める。
「全てに置いて平等なる、聖なる母たる汝よ。
眼前にあるは破壊せし者、汝が力を持ちて天罰を下す者!
彼の者に裁きを下すべく、我が清き魔の力に、聖なる力を与えよ!」
アルルから、増幅の魔法により上昇した魔力が、溢れる。

流石に『ウサギ』も魔力の存在に気付き、アルルの方に方向転換する。
シェゾは魔法のとばっちりを食らわないように、空間魔法でアルルのすぐ隣に移動する。
それを見計らったのか、直後にアルルが言葉を放った!
「ジュゲム!」

音にならない空気の振動が、木々を揺らし、音を立てる。
一瞬、辺りは静まり。
次の瞬間、『ウサギ』を中心とし、青い巨大な光がたった!
間違いなく、直撃!

アルルとカーくんは顔を見合わせ、喜びを感じていた。
「やったねカーくん、シェゾ!!」
「ぐーーーー!!」
アルルの呼びかけに、カーくんは「よかったね」と片手を上げて答える。
シェゾの方は、相変わらず無愛想というか、何も答えなかった……ワケではない。
険しい顔で、柱を見つめていた。

まだ、けりなど全く付いていない。
そう言っているような顔つきだ。
何となくアルルにも嫌な予感がして、笑顔を曇らせる。
カーくんも同様に、アルルの肩の上で静かに柱を見つめていた。

気付いたのだ。
まだ、何も終わってなどいない。

青い柱は、消えた。
そこに、佇むのは、『ウサギ』。
何一つ変わらない姿で。
そこに、佇んでいた。

「どうやら、最悪のケースだぜ」
シェゾが、震えた口調で口を開く。
彼にしては本当に珍しく、どうしようもないあまりに少し開き直った口調でもあった。
額には、冷や汗が流れる。
事実を口にしたのは、アルルか、シェゾか、判らなかったが。
何にしろ、事実はただ一つ。

「魔法が、効かない」




続く



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