アルルの放課後
1.「おつかいへ行こう」その2





アルルは、居心地が悪かった。
と言っても部屋の中は冷気の魔法がかかっていて涼しいし、
初夏特有のじっとりとした空気はなく、とても快適だ。
そういうことではない。
気分の問題だった。

「で、アルル君、君は四時間目の授業で何を習ったか覚えているかな?」
「……いいえ」
怒っているわけじゃないけど少し真剣な口調のルシファー先生に対し、アルルは元気なく答えた。

そう、アルルは今、呼び出されているのだ。
職員室に。
少なくともアルルは、職員室に来て良い思いをしたことはなかった。
広い職員室の中には、お昼時が近いことも手伝って、職員があまりいなかったのが不幸中の幸いだ。

「いつも真面目な君が、どうして授業中にお昼寝をしてたんだい?」
落ち込むアルルを見てか、先生はさっきよりも優しい声で尋ねた。
そのせいかアルルも、今度は顔を上げて答える。
「あの、ボク、昨日夜更かしをしちゃったんです!
今日までにどうしてもやっておきたいことがあって」
真剣に話すアルルの顔は、とても反省しているようだった。

ルシファー先生は、その様子を見てにこっり笑う。
まるで春のように温かくて優しい、アルルの見慣れたいつもの顔。
ルシファー先生は、今のように怒るときはちゃんと怒るけど、普段はすごく優しくて格好良くて、みんなの人気者だ。
お茶目なおふざけと、せっかく整っている顔を隠すフードが玉に傷。
そんな先生は、いつもの調子で言った。
「実は、アルル君を呼んだのは用事があったからで、特に怒る気はなかったんだ。」

「……はい?」

唐突な、それでいて軽い口調の言葉に、アルルは思わず間抜けな声で聞き返した。
こうしていきなりよく判らない展開に持っていってしまうのが、この先生の得意技だ。
(この手で、アルルは一体どれほど大変な目に遭わされたことか……)
アルルは瞬時に記憶を探ると共に、嫌な予感に襲われる。
職員室に良い思い出がないのと同じくして、ルシファー先生の考えることに巻き込まれて、楽な思いをしたことがない。

アルルがそうして考えている姿を面白そうに眺めつつ、ルシファー先生は口を開いた。
「アルル君は確か今日、東の森に行く用事があったな。」

先生の切りだした言葉に、アルルは内心ギクリとする。
何のことはない、アルルは毎月、月の頭に、必ず決まって魔導学校の寮に外出届を出すのだ。
提出する相手は、担任であるルシファー先生。
外出届には個人の用事の場合、プライバシーの保護のため明確な場所を書く欄はないが、学校の関係で大まかな場所は書いておかなければならない。
一応もしもの時、救助が出せるように、だ。
つまり、絶対ルシファー先生には目を通されてしまうわけで……
もちろん、バレバレである。
まさか理由の方までばれているとは思えないが……
「そ、そうですけど……どうすれば良いんですか?」
アルルは、思わずおずおずと尋ねた。

そんな事情を知ってか知らないでか、ルシファー先生は面白そうに言う。
「何、東の森で取れる"ナニカノ草"が明日の授業で必要なものでね。
ワタシの受け持つ生徒の数だけ採ってきてくれないか?」
「ええ!? そんなに?!」
アルルは以前、ルシファー先生にどれくらいの生徒を受け持っているかを、尋ねたことがある。
そのとき一年間の日数よりも多い数が帰ってきたことを思い出し、アルルは思わず叫んだ。

……にぃー、にー、ぃ……
あまりの大声に、職員室の中でアルルの声が木霊する。
これには堪らず、ルシファー先生も耳を塞いでいた。
「否、その代わりと言っては何だが……」
手を耳の位置から外し、ルシファー先生は続ける。
「外出の時刻を、七の刻まで認めよう」

アルルは、硬直していた。
まるで、有り得ない言葉を聞いたかのように。

それもそうだ、魔導学校の外出可能時間は、たったの2時間。
これは、生徒の危険をより早く察知し、早めに対応できるように、だ。
魔導学校の生徒はこの規則により身を守られているわけだが、短すぎると言えば短すぎる。
アルルもそのことについて何度か訴えてみたが、魔導学校からの答えはいつも「ダメ」だった。
それが、である。
今の時刻……一時に差し掛かろうとしている……から出たと考えると、
いつもの三倍自由に出来るわけだ。

アルルの目が輝いた。
「本当?!」
その声は歓喜に満ちており、喜びから来るパワーは遠くにある窓やドアを空気の振動で揺らす程だった。
今度こそ間違いなく耳の鼓膜をやられたルシファー先生は、条件反射でヒーリングの呪文を唱えている。

そんなルシファー先生に、アルルは追い打ちを駆けた。
「行きます、行きます、行きます、行きます、行きます、行きます!!」
「うわああああ!
わ、分かった……頼んだぞ……」
アルルの大声を今度は耳元でくらい、先生は悲鳴を上げた。

「は〜い☆」
先生の死に際の台詞にも気付かず、アルルは元気よく返事をする。
かくしてアルルは、机の上に突っ伏したルシファー先生をそのままに、うきうきとおつかいへと出かけていった。



勢いよく職員室のドアが開く。
特別長時間外出の許可も得たし、かなり気分の良い絶頂だったアルルは、その勢いに任せて元気良く走り出そうとした、が。
足元に見える小さな黄色い生き物を見つけ、立ち止まっていた。

「ぐーーー!」
「カーくん!」

カーくんが「遅い!」というのと同時に、アルルはしまったという感じに叫ぶ。
このカーくんは、アルルのクラスメイトにして親友なのだが、アルルが先生に呼び出されたことで行動を別にしていたのだった。
つまり、カーくんは食堂へ、アルルは職員室へ。
カーくんがここにいるということは、アルルの予想以上に時間が経ってしまっているということだった。

「ぐーぐぐぐー!」
「え? もうお昼食べ終わっちゃったの? 遅くなってごめんね!」
「ぐー」としか言わない彼(?)の言葉が分かるのか、アルルは答えた。
最初は誰にでも驚かれるのだが、カーくんと長らくつき合っていると、その言葉が分かってくるものなのである。
小さな身体でアクションをしてくれるため、意外に判りやすい。
ただしカーくんとよく会話をしていたせいか、アルルまでオーバーリアクション気味になってきているような気がするのが悩みの種である。

体育を休んだことと職員室から出てきたことで大分予想がついていたらしい。
どうせうっかり何かをやらかして職員室に呼ばれていたのだろうと。
予想していた事態ともあり、カーくんはそこまで怒っていないようだった。
アルルの言葉を聞いて、気にしなくて良いよと言う。
「そっか、ありがとう!」
カーくんの寛大な言葉に、アルルはの口から思わずお礼の言葉がついて出た。
アルルの素直な性格から、自然に言ってしまったのだ。
言われたカーくんは、照れた感じにちっちゃいお手てで耳の後ろをかく。

しばらく和やかな雰囲気の中、アルルとカーくんはボケ〜っとしていたが、ふと、カーくんはあることに気が付いた。
「ぐーぐーぐぐ?」
カーくんは、「そういえば何て言われてきたの?」と、アルルに尋ねる。
アルルは、遅れてしまったこともありきちんと説明しようと、真剣な面もちで「あのね……」と言って、続けた。
「怒られなくて済んだんだけどね、用事頼まれたんだ!
東の森に、ナニカノ草を取って来てって!」

そこでアルルの言葉が切れる。
「あ……そうだ!」
ふと何かを思いついたのか、真剣な顔は数秒にして崩れ、アルルの顔が急にきらめく。
カーくんはそれを見て「ぐ?」と不思議そうな顔をするが、その後尋ねなくても答えはすぐに分かった。

「それでね、カーくんも一緒に行かない?」
そこで、アルルは思いついたことをそのまま口にする。
そう、アルルはカーくんと一緒におつかいに行ける! と思ったから、つい嬉しくなったのだ。
思ったことを直ぐ表に現せるのはアルルの良いところだ。

それにカーくんは悩むことなく、もちろん「行く!」と答える。
予測していたはずの答えを聞いて、アルルははしゃぐようにして言った。
「やったー!
じゃあ、賑やかになるね!」
「ぐー!」
アルルの言葉に同意すると、カーくんは定位置とも言えるアルルの肩の上に乗って、アルルはスキップをしながら駆け出した。
もう一人、おつかいに巻き込もうかと考えている人物の元へ。

確かに賑やかになりそうなおつかい。
それは、ちょっとした放課後の冒険になるということを、アルルはまだ知るはずもないが、
実はと言うと胸の中でほんの少し期待していた。

いつもと違う、冒険があることを。



こうして、アルルの放課後は、幕を開ける。




続く



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