アルルの放課後
9.「絶望と希望」その2





「こ、こいつ……!!」
白く、銀に光る毛並み。
血の様に赤く、全てを敵視する目。
一見ウサギの様な見目に、頭部から生える無数の耳。
人間の倍はあろうかという巨大な『ウサギ』を前に、ルルーは驚愕の声を上げた。
見覚えがある。
いや、忘れるはずがない。
対峙したのはほんの数分間だが、記憶に焼き付いていた。
目の前にいる『ウサギ』は、まさしくルルーの力を奪った魔物だった。

奇妙な気配が『ウサギ』を取り巻いている。
近くにいるとうめき声のような聞こえてくる。
いろいろな気配がブレンドされていて、気を引き締めないと頭が真っ白になってしまいそうだった。
「な、な、何だろう、このウサギさん……!?」
「ぐーーー!!」
耳を塞いでアルルが叫ぶ。
大きな声を出さないと自分が消されてしまいそうだった。
話には聞いていたものの、予想していなかった異様な『ウサギ』を前に、アルルはどうすることもできない。
カーくんは、『ウサギ』の放つ殺気からアルルを守るため、威嚇の鳴き声をあげた。

だが意外にも、一番――声も出ないほど――驚いていたのは、シェゾだった。
しかし、ルルーもアルルもカーくんも、『ウサギ』に気を取られているため、その様子には気付かない。
辛うじて紡ぎ出した言葉は、アルルに届いた。
「……んで、……んな所に」
「え、何?」
思わずアルルは聞き返すが、シェゾは何も応えなかった。
別に、もう一々説明するのが面倒臭くなって、無視しているわけではない様だ。
そのことが、真剣な表情から分かる。
アルルは、シェゾがいつになく警戒するほど、目の前の相手がやばい存在だと悟った。

緊張と沈黙が、辺りを支配する。
ルルーの額から、冷や汗が流れた。
嫌な間。
何かが起こる、嵐の前の静けさの様な。
アルルは、緊張して大きく息を吐いた。
未知の相手への警戒。

シェゾが、不意に構えた。
直後。
何の前触れもなく、『ウサギ』が動いた。
ウォンッという音を伴い、右から左へ、『ウサギ』の腕が大きく空を裂く!
「避けろ!」
反射的に叫んだシェゾは、大きく後ろへ飛んだ後に左のアルルやルルー達を見る。
アルルは「うわぁっ!」と叫びながらも後方へ逃げるが、ルルーが間に合わない!

「くそ……!」
息と共に呟きを発して、シェゾは一瞬の内に魔法の構成を錬る。
次の瞬間、シェゾの姿はルルーの横の空間へと移動していた。
シェゾがよく使用する、空間移動の魔法が発動したのだ。
それから一瞬たりとも間をおくことなく、シェゾはルルーにタックルをぶちかます。
ルルーの体は大きく地面を転がり、シェゾもタックルした勢いに任せて後ろへ移動する。
『ウサギ』の爪は誰の肉を裂くこともなく、アルル達の側を通過した。

アルルやシェゾが体勢を直した頃、『ウサギ』が、前屈みの姿勢になり、アルルの方に向く。
「……!」
シェゾが、何かを忠告しようとして口を開くが、言葉が出るよりも早く『ウサギ』が突進してきた!

とっさのことにアルルは反応が遅れ、仕方なく呪文無しの簡易的な魔法を放つ。
「アイスストーム!」
アルルの掌から出現した氷の群れは、一瞬、『ウサギ』の足を地面に繋ぎ、動きを止めた。
が、すぐに氷は甲高い音と共に砕かれ、再び『ウサギ』が突進してくる。
しかし時間は一瞬でも作れれば十分だった。
アルルは横に逃げて『ウサギ』をやり過ごす。

そこに、シェゾの一撃が入った。
「ブラスト!」
地面をえぐり、騒音と煙を上げ、爆裂系魔法が炸裂する!
草がいくつも宙を舞い、緑色の吹雪ができる。

『ウサギ』がダメージを受けていないことは、だいたい予想していた。
これは、単なる目隠し。
シェゾのタックルを食らい、地面に転げているルルーが、立ち上がるまでの時間稼ぎだ。

ルルーが立ち上がったのを見計らい、アルルが声を掛ける。
「ルルー、大丈夫?」
「ええ、何とか、ね」
答えながらも、ルルーは『ウサギ』から視線を外さない。
アルルも、カーくんも、シェゾも。

シェゾが、晴れていく砂煙を睨みつつ、言った。
「ルルー、行け」
『?!』
一瞬言葉の意味が分からず、アルルとルルーの問いかける様な視線がシェゾに向く。
シェゾはルルーの無言の訴えを無視し、方位磁針と地図を投げ渡した。
ルルーは反射的にそれらを受け取りつつ、眉をひそめる。

どういう意味だ、と自分に問いつつも、ルルーは半ば理解していた。
なぜ、自分に「行け」と言うのか。
足手まといなのは分かっている。
けれど、戦いたかった。

シェゾは、けして相手から視線を放すことはなく、もう一度言った。
「お前は足手まといだ。
ナニカノ草の場所まで、逃げろ!」

直後、晴れた土煙の中から『ウサギ』が突進してきた!
「エクスプロージョン!」
シェゾの手から、魔法が放たれる。
続いてアルルも応戦し、炎属性のエクスプロージョンを煽るために風系の魔法を放つ。
「ソニックブーム!」
風に煽られ、燃焼・加速した炎は、高速で『ウサギ』へと激突する。
轟音を辺りに響かせ、炎は『ウサギ』を飲み込んだ!

ルルーは、思わず耳を塞いでしまった。
しかし、そんな暇があれば逃げろ、と言いたげなシェゾの視線が投げかけられる。
ルルーは、微かに自分の唇を噛みしめ、何も出来ない悔しさを耐える。

どんなにプライドが許さなくても、今は意地を張るべき状況ではない。
仲間を傷つけないために、足手まといにならないために……。
ルルーは『ウサギ』に背を向ける。

そのままダッシュで走り出し。
それを見計らったシェゾの魔法が、ルルーの背後で再び炸裂した。



「何よ」
ルルーの中は釈然としない思いでいっぱいだった。
確かに今の自分には、力がない。
何の役にも立たない。
それでも。
一緒に戦うくらい、したかった。

悔しさのあまり、瞼が熱を帯びるが、ルルーは必死に耐えた。
代わりに、手元の地図を開く。
方位磁針と合わせて確認する。
方位磁針はもう迷うことなく、南を指している。
目的地はやや遠いことが分かった。

ルルーも迷ってはいられない。
休むことなく全力で走らなければならないのだ。
それしか、今のルルーに出来ることはないから。
「やるっきゃ……ないでしょ!!」

ルルーは、叫んだ後、思考することも止め。
全速力で、ナニカノ草が生えている東の森奥地へ、駆けていった。



少年は緑色の絨毯を見ていた。
元々鮮やかではない、深緑の森が、夕日によってさらに微妙な色に変わっている。
ふやけたノリの色に似ていた。
そう思うと、あまりいい眺めではないのだが、少年はここを動くわけにもいかない。

小一時間ほど木の上に座っていたが、見られる変化と言えば時折空を横切る鳥だけだ。
しかも一様に少年がいる方とは反対側に飛んでいってしまう。
まるで逃げているかのようだ。
森の中もそうだ。
東の森には様々な魔物が住んでいるはずなのに、どこにも気配が見あたらない。
ひどく閑散としていた。

「奇妙だ」
生まれ育った故郷であるはずの森は、まるで姿を変えてしまっていた。
十年、百年単位のことではない。
経った一月……あるいは数日の間に、全ては豹変した。

ハッキリ言ってそんなものはどうでも良いのだ。
重要なのは、姿を変えた森の中に、大切な人たちが迷い込んでしまったこと。
「ったく、あいつら、何処に行ったんだよ……」
森の中を探しても判らなかったから、上から探した方が早いと思った。
実際には、何も見えなかった。
濃い緑の葉でふたをした森の中はまるで見えない。
それどころか、時は刻々と過ぎ、夜の闇がさらに森を隠そうとしている。

「今日も収穫なしか?」
昨日と同じ結論にため息が出る。
同じことを数日間繰り返していた。
探しても、探しても、大切な者達は見つからない。
見つからなかった。
ここまで来ると、少年もいい加減飽きてくる。
しかし、表面的な気持ちはそうでも、気持ちの底ではそんなことを思ってはいなかった。

絶対に、諦めない。
絶対探す、居なくても探す。
彼らはきっと、少年の思う以上に、追いつめられて居る。
だから少年も、諦めることなんてできない。

「……兎火、白兎……」
呼べば、出てくるような、しようもない錯覚に捕らわれ、少年は呼びかけてみた。
出て来るわけがない。
少年は呼んでも返事をしてくれない、兎火という少女のことを思い出して苦笑した。
逆に、幼なじみの白兎ならば、答えてくれると思ったのだが。
白兎はしっかりした奴だから。

やはり、ここにはいないのか?
少年の脳裏に、幾度となく浮かんだ思いがよぎる。
それとも、少年の声が聞こえないほど……。
「何にしろ、しらみ潰しに探していくしかねぇな!」
心に湧いた、嫌な考えを消そうと、少年はわざと叫んだ。

彼は耐えられるほど強くはない。
だから、闇雲の中でも、進んでいく。
でも、兎火と白兎は、強いから。
きっと耐えてしまう、どんなに辛いことだろうと。
その分少年が進まなくては、きっと何処にも手は届かない。
自分が、進まなくては。

思いが通じたのだろうか、眼下の森がざわめいた。
見渡せる範囲だ、そんなに遠くはない。
まがまがしい気配がうめき声となって感じられる。

かかった獲物の巨大さに少年は怯む。
変化が得られたのは喜ぶべきことだが、急激すぎる。
圧倒的な力を感じた。
近づいたらやばい、それくらいのことは理解できる。
戦闘が開始されたようで、くぐもった爆音が上空まで響いてきた。
複数の何かがそこに存在するのは間違いない。

迷ってなどいられない。
「待ってろよ、二人とも!」
少年は木々の海へと身を投げた。

意気込んで言ってみるものの、本当は祈るばかり。
どうか、間に合いますように。
どうか、二人に手が届きますように。
どうか。
祈りを叶えるのは、自分自身だと、分かっていても。
少年は、祈る。




続く



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