「タイトル未定」



 児童養護施設とはいえ、この日暮園は分園であるためそう大きくはない。普通六十人以上収容できるのが児童養護施設だが、少々大きめの家を施設用に改築した日暮園には、わずか十名ばかりの子供たちと、住み込みで働く女性しか居なかった。
 女性を除けば、悠大は年長だった。児童養護施設にいられるのは原則として十八歳まで(大学などに進学する場合はそれ以上の年齢でも可能だが)で、現在十八歳の者はいないから、今十七歳である悠大が一番年上だった。
 働いている女性も朝早くから子供たちの世話をしているため夜は早い。他の子供もすでに寝静まり、施設内で起きているのは悠大くらいのものだった、
 誰もいないリビングルームで、悠大はテーブルを囲むようにして置かれているソファーの一つに腰掛けている。側に置かれているスタンドの電気だけを点ける。その他の明かりはなかったので、闇に近かった。ソファーの向かいにはテレビがあったが、それも点いていない。夕食の後テレビや談話で賑わうだろうリビングは、今はひっそりとしていた。
 悠大はポケットから箱と筒を取り出した。制服のままだった。
 特に部活に入っているわけでもないが、彼の帰りは遅い。夜遊びというやつである。今日は早い方だった。制服のまま出かけてしまったので、補導される前に帰ってこなければならなかった。
 光が闇に揺らめく。小さな点のような光だ。ライターの火だ。
 ライターは高校生に相応しくない銀の装甲をしていて、そこに歪んだ風景が映る。シンプルで細長い筒のような形をしていた。細かく彫られた模様から、高いライターだと判る。
 箱から棒を一本出して、くわえる。棒の端にライターの炎を近づけ、火を点けた。炎を消す。ライターをポケットにしまった。
 そうして、タバコを吸おうとしたとき、タバコの火も消えた。悠大の口からタバコが消える。誰かがタバコを取り上げて火をもみ消したのだ。
 悠大はソファーの背もたれに寄りかかって、上を向いた。スタンドの光に照らされた少女が悠大を見下ろしている。その手にはタバコがあって、火はすでに消えていた。
「沙羅、起きてるなら声かけろよ」
 額を抑えて、呻くように悠大が言う。表情は動かず、口調も淡々としていた。
「あなたが負のオーラを放っているものだから、起きてしまったわ」
 沙羅と呼ばれた少女も無表情で、感情が読めない。
 沙羅の場合は普段からだ。特殊な人間性を持っている。孤高とも言うべきか。口を開けば奇妙なことを言うが、それはいつも的確であり、巫女やあるいは神のお言葉のようである。そのため彼女を崇拝する人間は多い。
 また、きめ細かく癖のない黒髪は漆黒で、肩まで伸びている。そして動かない表情は極めて端正だ。美しい容姿はさらに彼女の神秘性を助長する。
 悠大は沙羅とは長らく施設で共に暮らしてきたが、未だに彼女の能力を末恐ろしく思う。現在、過去、未来さえも見透かすような眼差し。また反面、とても信頼できる仲間でもあった。沙羅は悠大より一つ年下だが、悠大はつい沙羅を頼ってしまう面があった。
 悠大は表情を崩して苦笑した。弱々しかった。一気に幼くなったようにも見える。
「つい、言い過ぎてさ、勇也に」
「仕方のないことね。向かってくる者に向かっていくのならば衝突するのは当然のこと」
「まったくだ、適当にあしらえば良かったんだが」
「図星でもさされたのかしら?」
「……多少」
 そんなんで学校の大黒柱やっていけるんと思っとんのか。実は、先日、似たようなことを言われていた。
 生徒会長として、悠大はあまりにも権力を持ちすぎていた。容姿端麗頭脳明晰、それで気配りもできてカリスマ性もあれば、誰もが認める生徒会長になるのは当然だった。そういう存在が一人ならば良かったのだ。もう一人、同じような条件を揃えた人間が存在した。それが副会長だった。
 副会長となった人間は平和主義者で、面倒事が好きではない性格をしていた。生徒会長として全校生徒をまとめていくことはできないと本人は言っていた。悠大も彼には無理だと同感した。
 それでも堅実に仕事をこなす副会長は悠大とはまた違った人気を得ていた。明らかに悠大より真面目な生徒だった。教師からの信頼となると、悠大の方が確実に負けていた。
 当然、言われるのである。そんなだらしない格好で生徒会長が務まるのか。副会長と会長はどうして逆ではなかったのかと。 
 前生徒会長の力がすごかったこともあり、悠大はそれなりに批判された。しかし悠大もその批判を跳ね返せるだけの仕事はしてきた。気にすることはなかった。いつだって味方も居た。沙羅も含め、施設内で同じ学校に通う者が数人いたが、彼らはいつも悠大を支えてくれた。
 その仲間に、同じ学校に通っているわけでもないし他の仲間と比べると共に暮らす時間も短い勇也ではあるが、自分のスタイルを否定されて、ショックだったのだと思う。だから柄にもなく言い返してしまった。
 それで冗談で済ませられれば良かったのだ。そうすれば何事もなくさっさと眠れて何も変わらず明日の朝日を拝めたはずなのだ。
 勇也は頑固だったし、悠大は思いの外ダメージを受けていた。二人とも器用に流すことはできなかった。挙げ句の果てに勇也は家を飛び出し、そして夜中になっても帰ってこなかった。
 最悪だ、と悠大は思った。自分がそこまで悪いわけではないと思ってはいたが、なぜか罪悪感は拭えなかった。施設内では絶対に吸わなかったタバコに手を伸ばした。煙が吐き出される前で良かったと本当に思う。リビングルームに染みついたタバコの臭いに数日間苦しむところだった。
「それで、勇也はどこに行ったの?」
 聞かれているのに、悠大はどうも沙羅にはすでに判っているような気がした。それを改めて口に出すのはどうかと思いながら口を開く。
「知らない。けど、まだ帰ってきてない」
「そう」
 沙羅はうなずいて、踵を返した。テレビの横にあるゴミ箱にタバコを捨ててドアを開ける。
「占ってあげるわ。結果が出るまで勝手に足掻いてなさい」
 言い残して、ドアの向こうに消えた。ドアの閉まる音を最後に、部屋は無音に包まれる。
 沙羅は占いの名人だ。その結果は彼女の言葉と同じく、真実を語る。よほど親しい人間や切羽詰まった人間しか占わないが、実力は確かだった。噂を聞いて訪ねてくる人間も多い。
「勝手に足掻けって、何すりゃいいんだ」
 一人取り残された部屋でつぶやく。自分では判っているような気がした。
 制服のポケットの中を探る。タバコの箱にライター、財布があって、携帯電話が入っている。ズボンのポケットには施設の鍵が入っている。夜の遅い悠大のために、住み込みで働いている女性が合い鍵を作ってくれたのだ。同じ理由で勇也も持っている。夜九時を過ぎると、小さい子達は消灯時間にはいる。インターホンを押すと起こすかも知れないので、それ以降に帰ってくる予定の者は合い鍵を持って出かけることになっていた。
 鍵を握り締めて、立ち上がる。携帯電話の時間を確認すると、夜中の十二時を回っていた。
 玄関で自分の靴を履いて、静かにドアを開く。外は真っ暗だった。
「さて、あいつが行きそうな所はどこかな」
 つぶやいて、真っ先に駅の方へと駆けていった。暗闇の中で、悠大の背中は、見えなくなる。







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