「夜桜」
家に帰って、俺は少し浩二に感謝する。浩二とあの怖かったサクラの木の下で阿呆くさい口げんかをしたことで、俺の恐怖心はだいぶ薄らいでいた。 しかも、夜になるまで両親が帰ってこない代わりに、暗くなるまで家にいてくれた。 今は夜中である。そして俺は今、外にいる。家の真ん前、中学校の裏だ。 夜はまだ肌寒いので、少し冬の装備を引っ張り出してきた。それでも震えるのは、悪寒か何か。 俺は決めたんだ。悩んでいてもらちがあかない、浩二のように行動しなくちゃと。 それで現場に舞い戻ってきたわけだけど……。 さすがに夜中の学校に忍び込むわけにはいかず、俺はフェンス越しに花の咲いていないサクラの木を見た。何とか見える。 家の前は学校裏だけあってあまり夜は人が通らない。マンションからはまだ明かりの漏れている部屋があるので、注意しなければならないが。 密かに息を飲んで、俺はサクラの木を見た。 昨夜の女を頭に浮かべて、念じてみる。俺は幽霊に関しててんで素人だけど、そうすればなぜだか見えるような気がした。 「はぁい☆」 本当に見えた。 「軽っ!」 想像していた以上にあっけない展開に、俺は思わず叫んだ。そしてあわてて口をふさぐ。うっかり俺の存在がばれたら、変態扱いされてしまう。否定できないので、それは避けたい。 俺の様子を見て、女はくすくす笑った。 誰のせいだと思っているんだ。腹が立って、俺は怖がることもせずに、口を開いた。 「いったい俺に何の用?」 女は少し驚いたように目を見開く。 「昨日は気絶しちゃったくせに、態度でかいわね!」 「うるさいっ」 今度は声を抑えめにして抗議した。くそぅ、なんなんだこの人。いや、幽霊。 昨日の様子からして、怨念のある幽霊だと思ったのに。目の前にいる幽霊は、もっとあっけらかんとしていて、さわやかだ。 女はパタパタと手を振って、冗談だと言う。 「あなたがあまりにも驚いてくれるから、おもしろくて過剰演出しただけ。ごめんなさいね」 全く迷惑な奴だ。 眉を歪めると、気持ちが伝わったのか、「だってヒマだったんだもの」と愚痴をこぼす。 「これは私の勝手な見解なんだけど、幽霊って見る人と意識がつながることで見えると思うのよね。 雑音やノイズばかりのテレビが見えないのと同じで、昼間視覚的に物が見えて、色々な人の意志が飛び交う中じゃ、幽霊は見えにくいわけ。 それが夜にも延長で続いてるのが現在なのよね。本来『何か出るかも』っていう疑心は精神をとぎすませるから、幽霊を見やすくするんだけど、最近はそうでもないでしょ〜? だから誰も私に気づかないの! つまらない!」 彼女は口をとがらせて、一気にまくし立てた。 ゆ、幽霊らしからぬ口達者で……。俺は脱力して声も出なかった。 俺の呆れた顔を見て、彼女はまた主張する。 「幽霊にだって色々いるのよ!」 「さいですか」 もう、俺は帰りたかった。何がなんだか分からない。明日は小テストもあったなぁ。そう言えば、新聞部ともう一つ掛け持ちしている柔道部の朝も早い。 しかし、僕と会話をするまで退屈していた幽霊はなかなか帰してくれない。 結局俺は、夜明けまで彼女のおしゃべりにつきあわされることとなった。 見事にバッテンばかりの小テストが帰ってきて、俺は頭を抱えた。 「だーっ、最悪だ!」 昨日、家に帰ったのが朝の四時。それからすぐに寝て、起きてすぐ朝練のため家を出たから、勉強する時間なんてなかった。だからこの結果は当然なんだろうけど(もちろん、俺は小テスト前日以外に勉強なんてするやつじゃない)。 勉強しないでも点数がとれるほど、頭は良くない。俺は、現実にひれ伏した。 第一、一時間目にあるのがいけないんだっ! 周りには俺と同じ反応を示す者がたくさんいる。苦そうな顔をしている奴がそうだ。俺は斜め後ろの方の浩二を見たが、彼の場合は見た目に似合って頭が良いので、何てことはない顔をしていた。 ……どぉ〜せ満点なんだろうな……。 号令がかかって、休み時間に入ったので、俺は浩二の席に駆け寄った。まだ机にしまう前の小テストをのぞき込むと、案の定俺の答案ではあり得ないほど丸ばっか。 浩二は「気にすんなよ」と苦笑した。 もちろんそんなごまかしで気が収まるわけもなく、俺は浩二にでこペンを食らわす。 「痛っ!」 「っけ、うらやましい奴め!」 「馬鹿になったらどうするんだ」 「馬鹿になってしまえ」 俺が吐き捨てると、浩二はでこピンを返してくる。 「お前が勉強しなかったのがいけないんだろ!」 でこをさすりながら、俺は不服そうに浩二をにらむ。それ以上言うと浩二もでこペンを繰り出しそうだったので、空しい応酬はそこで終わらせることに決めた。 浩二は俺の八つ当たりに、不機嫌な顔をしている。俺は悪態を付いたおわびに、別の、浩二が興味をひかれそうな話題を口にすることにした。 「昨日、幽霊に会ったよ」 案の定、浩二は機嫌の悪さを吹っ飛ばして、一気にきらきらした目を見せる。幽霊と言えば、新聞部が非常に興味をそそられる題材だ。 「幽霊って、サクラのか?」 「そう」 浩二は聞くなり、紙とペンを取り出す。準備万全というわけだ。新聞部の鏡。 「昨日、夜中にサクラの所へ行ってみたんだ。そうしたら案の定、いた」 「どんな容姿をしていた?」 さすが、質問にもぬかりない。 「髪は黒くて長かった。白っぽい服を着ていたかな。上着が白かった。下は多分、ワンピースだったと思う」 「意外と現代チックなんだな」 「そうなんだよ」 てっきり、サクラの幽霊だから着物を着ていると思ったのに。 「声は?」 「ふっつう! 生き生きしててさ、クラスメイトの女子と話している気分だった」 「話したのかっ!」 俺の台詞に、浩二の目がランランと輝く。このとき、俺は言うんじゃなかったと感じた。 そこからはもう、何を話したとかそのときの雰囲気とか、とにかく何から何まで根ほり葉ほり聞かれることとなった。新聞部魂に火をつけたらしい。 しかし今はたかだか十分休み。すぐにチャイムは鳴ってしまう。 適当な所で話を切って席に戻ろうとすると、俺は肩をがっちりと掴まれた。 「また次の休みになっ!」 浩二の目はとても生き生きしている。昨夜、俺にずっと語りまくっていた幽霊のごとくに。 俺は触らない方が良い物に触れてしまったのを感じた。 なぜか。今日も夜中に目が覚めてしまった。 あれから毎晩だ。すなわち、幽霊を見た日から毎晩。 なぜ、こんな時間に起きてしまうんだろう。最近は予測して、早めに寝るようにしているので、幸い睡眠時間は確保できているが。 彼女が起こしているのかと思って、聞いてみたら、そうではないと言われた。 これは俺の反応なのだ。俺が、夜中に起きることを覚えている。どうしてだろう。 考えても、無意識の行動に理由の追及などできない。難しい問いに答えは出せないし、出す必要もないと思った。 とりあえず、またサクラの木の下にでも行こうか。 俺は軽く伸びをして、寝ていた格好のまま部屋の外に出た。 すでにサクラの木の下へ行くのが習慣化していた俺は、普段着に着替えてから眠るのが常となっていた。 親を起こさないように、そろそろと部屋を抜け出すと、俺は静かに鍵を開けて、閉める。 本当は目立たないように窓から抜け出したいところではあるが、俺がいない間、家に母は一人になってしまうことがあるので、戸締まりはしっかりしておきたかった。 ここからは逆に素早く行動しなければならない。マンションの住人に見つかったら、怪しまれてしまう。 あっという間にマンションの三階から駆け下りると、左右を確認して、道路を横断した。 その目の前に、彼女はいる。 「やっほー」 いつもの明るい笑顔を傾けて。 「今日もヒマそうだね」 「当たり前でしょ? 昼間はヒマなんだから」 ちょっときつめの美人、といった顔つきだけど、彼女の口調と表情はとても子供じみていた。そのせいか愛嬌があり、俺はしばしば彼女が幽霊だということを忘れてしまう。 「あんたなら、他にも話し相手見つかりそうだけど。幽霊らしくないもん」 「だって、波長が合わないんだもん」 「波長?」 聞き返すと、彼女はこくりとうなずく。 「なんて言うか、私と意志疎通をするための条件を満たす人がいないというか? 気づいてさえくれやしない」 彼女の表現は時々分からない。話を聞く限りでは幽霊歴は長そうなので、その間にできた用語らしい。 幽霊というものは実体がないため、行動できない。その分、一日の活動は、思考によるものが主らしい。 だからよく考えるし、後はヒマなのでよく眠る。彼女も普段は寝るか考えるかして過ごしている。俺に昼間考えたことを話すのは、至福の時らしい。 「幽霊のこと詳しいね」 喜々としてなおも色々話す彼女に、俺はぽつりと言う。幽霊はいかにして存在するとか、哲学的なことを、普通の会話っぽくまくし立ててくる。俺はいつもうなずくばかりだ。 しかし彼女は平然と、「全然知らないけど」と答えた。 「人間だって、自分か人間だから人間のことが全部分かる訳じゃないでしょう? 私だってこれ、ほとんど憶測よ。 でも概念的にはずれてはいないと思うわ」 確かに。俺は納得した。人間は人間自身のことを、まだ解明できてはいない。しかも人間は探求してきたからこそここまで明らかになったわけで、幽霊の場合はもっと分かってないかも知れない。 幽霊にも色々いるらしく、彼女のような幽霊は特殊なんだそうだ。この世に『存在する』ということはエネルギーを使うことなのだが、実体のない幽霊は、食べたりしてエネルギーを補給することはできない。 幽霊のエネルギーは主に『感情』だ。感情を受け取り、感情を出すことで存在している。怒りとか悲しみとか、負のエネルギーは定着しやすいから、どうにも幽霊は暗いイメージに持っていかれやすいらしい。 そして、感情のエネルギーは一直線に向いていた方が強い。だからたった一つの感情で生きている(?)幽霊は多いそうだ。 彼女のように笑ったり、泣いたり、怒ったり、色々な方向に感情が向いている霊は少ないらしい。 「なら何で、あんたは存在できているわけ?」 当然起きた疑問を、俺は口にしただけだった。なのに彼女は、ひどく悲しげな顔をした。 聞いてはいけないことだったのか。俺は後悔した。彼女がこの世にとどまっているということは、少なくとも未練があるからなのだろう。 きっと、この、花の咲かないサクラにまつわる。 俺は何も聞かずに、「そろそろ帰る」と言ってきびすを返した。場の雰囲気をそのままにして帰るのは最悪だろうか。 だけど、数十年、もしかしたら数百年分の。 彼女の思いは、まだたった十七の俺には重たすぎた。 |