不器用な方法
二話:「自問自答」




俺は、出された紅茶を一口流し込んだ。
程良い苦みがあり、何より口に含んだ瞬間の香りが深みがあって良い。
心が落ち着いてくる、いや、研ぎ澄まされていく。
心の深部を探るような、そんな力を与えてくる。
紅茶は今までリラックスしたいときに意識して飲んでいたが、
こういう飲み方もあったと今更ながらに思い起こす。
普段魔力以外には無関心になっているせいで、いまいち忘れがちだった。
後で紅茶を出してくれたキキーモラに、茶の名前でも聞いておこう。

向かいに腰掛ける人物も、俺と同じように紅茶をじっくりと飲んだ。
その動作が一区切り着いたことを見計らって、俺は口を開く。
「で、俺をここに呼んだのは何の用でだ?
うちのクラスの窓ガラスが割れたのは、言っておくがまものが衝突しただけだ。
透明なガラスに気づかなかったんだろう。
誰も大して怪我をしなかったし、魔物も追い返した。
ガラスも近い内に俺が直しておくとして、問題はないはずだぞ、サタン校長先生」

宝石のように輝くエメラルドグリーンの長髪に、
ピジョン・ブラットの如く純粋な赤を宿す瞳。
そして禍々しくねじ曲がる二本の角を有した男。
奴の名はサタン、この世界で間違いなく最強たる力を持つ者だ。
魔導学校の校長もやっており、魔導学校の教員である俺にとっては
一応上司に当たる人物だが。
「うむ、原因の方も、その後の処理も、大体問題は解決済みだ。
それにしても……校長だと思っているなら、もう少し礼儀を持った態度を取れ」
この通り、接し方はあまり教師になる以前、
何度か話をしたときより変わってはいない。
表面上の付き合いごときに、左右される俺ではない。

果たして、本当にそうか?

カップの取っ手を持つ手が、震えた。
落ち着かずに、ソファーに深く座り直す。
どうもしっくりこない。
もう一度紅茶を飲んで、心理を落ち着かせようとした。
「まぁ、今回の用件は、仕事と私事、半々だ」
知ってか知らずか、サタンは話し始めた。

「ルルーがな、最近どうも苛立っているようなのだ」
ついさっき見かけた人物の名に、俺は少し反応を示す。
「自意識過剰のつもりはないが、十中八九私が原因だろう。
私がルルーの健気な努力に対し、何の反応も示さないのに、
業を煮やしてもおかしくはない。
まだ、彼女とて子供なのだから」
この魔王は、一応周りのことが見えているらしい。
ルルーの苛立ちの原因といえば、誰がどう考えても大抵はサタンがらみである。
あまりにもルルーに対してノーリアクションだったもんだから、
まさか気づいてないのかとすら思ったが、そうではなくてよい限りだ。

「そこで、お前に手を打って欲しい」
ようやく本題、俺は眉をひそめた。
俺がルルーのご立腹に一体どうしろというのか。

サタンはいったん足を組み直した。
「私は立場上、ルルーに期待させてはいけないのだ。
お前は知っている通り、私はこの世界の“要”だ。
あらゆるものを背負い、制御している」
そう、魔導世界に住まう大半の者は知らないが、俺は知っている。
サタンの馬鹿でかい魔導力は、どんなにカムフラージュしようとも、
俺の目にはバレバレだ。
だいだいはサタンの魔導力がくだらない方に働いているのだけを見て、
魔導力だけでかい奴のように思われているようだ。
肝心なのは、その他、その先。
何のために奴は動くのか、重要なのはそこだ。
判る者だけが、知る領域。
サタンとは、そういう人物だ。

「無論、ワタシにも限界は来る」
俺は頷く。
どんな者にでも、永遠はあり得ない。
俺も、サタンも、この世界も。
「その時のためにも、ワタシと同等、
あるいはそれ以上の力を持つ後継者が必要となる。
アルルはまさにその後継者を生み出すに相応しい。
そういう面でも、メンタル面でも、彼女以外に適切な人物はいまい」
これにも同感だった。
なぜだかは知らないが、サタンは“アルル”一個人にこだわる節がある。
どうも俺のように単純に、
アルルの魔導力のみ手中に入れたいわけではないように見える。
サタンがアルルに執着していることだけは確かだった。

「そして」
サタンは繋ぐ。
「これはワタシ個人の感情だけではない、この世界全土に渡る問題だ。
だから私は、ルルーに期待させるような真似は一切できない、否」
一つ、ため息じみた息を吐いた。
「してはいけないのだ」

俺は短く息を吐いた。
この頼み事を断る気はなかった。
サタンの言うことは判る。
サタンの存在は、大きすぎる。
それを自覚し、理性的に行動するのは、恐らく一番正しいやり方だ。
加えてルルーは俺の教え子でもある。
生徒のメンタル面をカバーすることは、ある意味俺の務めだ。

俺はいつまでも頷きはしなかった。
何故だかは判らない。
大きなわだかまりが胸に引っかかる。

何か、何かがある。
何かがダメなんだ、何かが気にくわない。
はっきりしない。
「らしくねーな……」
もどかしさが、口を出た。

「は?」
俺の回答を待っていたサタンが、眉をひそめる。

そうさ、らしくない、全くもって。
「貴様らしくないな、サタン。
何でも自分の手でどうにかしないと気が済まない、意外なほどに几帳面なあんたが、
俺に私事を頼んでくるとはな。
今まで元気に世界の統治と私欲のために走り回っていた貴様は、何処へ行った?
とうとう老いぼれじじいに成り下がったのか」
らしくないぜ。

今までの俺は何処へ行った?
何でも白黒つけていた俺だよ。
気に入らないことは気に入らない。
やりたいことはやる。

流されるなよ、“見失う”ぞ。

俺の答えは、決まった。
「悪いが、断らせてもらう」



「シェゾ」
退室する前に、俺はサタンに呼び止められた。
奴は俺が断ることを多少は予想していたのか、あまり動揺した様子はない。
俺の答えを聞いたときには、さすがに驚きを露わにしたが。

俺はドアノブに掛けた手をそのままに、頭だけサタンを振り返る。
「何だ?」
「今日、今ワタシの頼みを断ったのだから、暇であるな?」
「ああ」
「では」
サタンは、笑みを浮かべて言った。
「ガラスの修理、今日中に頼むぞ」

俺は硬直した。
予備のガラスは確かに校内に用意されている。
だが俺は、専門の技術者ではないのだ、素人の知識と技術でどうにかするのは、
さすがに骨が折れる。
おまけに魔導学校の建築構造はさすがサタン、かなり特殊だ。
魔法による特殊な加工もかなりされている。
俺だからこそ、何とか……やると宣言するが、普通無理だ、絶対無理だ。

サタンは、校長の席に座ったまま、微妙な微笑みを浮かべている。
後には引けないと、俺は悟った。
「判ったよ」
半ば諦めと共に、言い捨てた。

校長室から出た後には。
「この野郎」
誰にも聞こえないように、吐き捨てた。
俺は結局、こういう役柄かい。


   ***


電気も点けずに、私は机に蹲る。
机はヒンヤリと冷たいのに、自分の体は妙に火照っていた。
泣いたからかしら。
嫌に冷静な心の部分が、ポツリとつぶやく。
もう何も考えたくなくて、そこで思考を遮った。

がむしゃらに走っていたら、いつも来慣れた場所に来てしまった。
教室。
今日窓ガラスが割れる騒ぎがあった上に、
この食事時の時間帯にいる物好きは誰もいなくて、教室は無人だった。
正確には、私がいるわけだけど。
心が空っぽのままじゃ、誰もいないのと同じ。
私は私じゃないわ。

足で机を蹴飛ばした。
軽い音がする。
私の悲しみは、怒りは、こんなものじゃない。
もっと大きいの。
何もかも、壊してなくしてしまいたかった。
でも、もう、それすらも消えていく。
どうでも良くなってきてしまう。
私、今まで何をしてきたのかしら。

大きな割れた窓から入ってくる月明かりと消かけた日光が
、笑うみたいに教室を照らしていた。

窓の反対方向が、急に明るくなる。
誰か、人が廊下を歩いてきたんだわ。
暗くなった廊下に明かりはなく、誰かが明かりを点けないといけない。
点けなければ暗いまま、何も見えないから。
私が明かりを点けようとしないのも、何も見なくて済むからだもの。

廊下の向こうからやってくる人影を、開いたドアからボンヤリ眺めた。
闇の中にいる私には、きっと気づかないわ。
そのまま素通りしていくんでしょう。
だったら私には何も関係ない。
ただ、眺めているだけ。

人影はドアの前を通り過ぎていく。
黒い人影だった。

人影は止まった。

「ライト!」
教室に明かりが点いた。
闇に慣れた瞳が、痛む。
まさか、こんな時間に教室に来る物好きがいるなんて。

やっぱりここからも移動しないとダメかしら。
きっとここにいる理由を聞かれるだろうし、立ち去れとも言われるだろう。
今はそんな判りきった言葉、聞きたくない。
判ってるから、何も言わないでよ。

私は人物を見ようともせず、ただ席を立った。
むしろ相手に私の顔を見られないように、注意していた。
たくさん泣いた。
誰にも、今の私を見られたくない。
こんな無様な姿を、光の下にさらしたくはない。

なのに、なぜあなたは呼び止めるの?

「ルルーか?」

なぜあなたが呼び止めるの?

「シェゾ……」
私は声の主を呼んだ。
冷たく、淀みのない、低い声が、私の心を揺らす。
愛しい人が、サタン様が私の元へ来てくださるなんて期待は捨てていたけど、
この男がやってくるなんて想像もしなかった。
心の底で、私は驚いていた。
辛うじて、表に見せるような失態はしなかったけど。
耐えていないと、何かが溢れ出しそうだから。

シェゾは教卓の上を見た。
そこには私のレポートが置いてあった。
何となく教室に来てしまい、ただいじけるのはしゃくだったから、
ついでに置いておいたのだ。
教卓の上なら、シェゾは見ると思って。
別にどうでも良いことだったけど、どうでも良いことほど上手くいってしまったりする。
現にレポートは無事、シェゾの手に渡ったわけだし。

レポートを手に取り、シェゾはおもむろにそれを読み始めた。
先に声を掛けてきたくせに、何も言わずに別のことをし始めるなんて、
相変わらず自己中心的な男ね。
最近では性格が改善されたと思っていたのだけれど、シェゾはやはりシェゾらしい。

特に話しかける気にもなれず、私はそのまま教室を出ようとした。
また、妙なタイミングで声がかかる。
「ん、まずまずといったところだな、ルルー」
名前まで呼ばれては仕方がない、私は立ち止まる。

「ただ、見方が主観的すぎるな。
もっと客観的に見ろ。
それか、主観的な意見を突き通すかするんだな」

あまりにも抽象的な意見に、私は眉をひそめた。
元からではあるけど、シェゾの考えていることはよく判らない。
「言うなればだ」
私の心中を察したのか、シェゾは切り出す。
「周りを見るのが怖くて、目を瞑っているガキだな」

ムカッ。
何て失礼な、レディーに向かってガキはないでしょ、ガキは!
「自己中心的でお子様みたいな性格の、あんたにだけは言われたくないわね」
「俺もお前だけには言われたくないよ」
ああ言えばこう言う。
私は入り込んできた些細な怒りに、段々ムカムカしてきた。

人が悲しみのドン底にいるって時にいきなり部屋に入り込んできて、
明かりを灯して、その上お説教だなんて何?
あなたは一体何様のつもり?

「ほっといてよ!」

私はムカムカを吐き捨てるようにしていった。
もう、自分でも訳が分からない。
一人でいるのが嫌で、悲しかったはずなのに、近付いてきた人間は拒みたくなる。
誰も、私を判ってくれないから?

違うでしょ?
でも、答えは判らない。

「ルルー」
シェゾが私の名前を呼ぶ。
そう、私はルルー。
でも、何が私なの?
段々訳が分からなくなって、私は窓際に逃げた。
お願い、考えさせて、整理させて。
自分で自分が判らない。

シェゾは追いつめて来るみたいに歩み寄ってきた。
私はその分、後退る。
シェゾはもっと近寄ってくる。
私は、もっと離れようと思った。

「ルルー、バカ野郎、それ以上さがるな!」
シェゾの叫びを聞いて、私はガラスのはめ込まれていない窓のことを思い出した。

私の体は、冷たいものに触れた。
形のない、体を包み込んでいきそうな物。
それが外気だと気づいたのは、一瞬後。
私は夜を迎える世界へと投げ出されていた。






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