「Open your eyes...」




子供というものは無邪気だ。
と言っても、相手は俺より遥かに年上であって、全然子供ではないのだけど。
精神的に子供なんだ。
最近の子供よりもよほど子供らしい感性を持ち合わせている。
一緒に暮らしている俺がそう感じるのだから、本質的にそういう性格なのだろう。

ただし、無邪気故に時折本質をつく事を言ってくる。
そういう時は思わず、「判ってて言ってるんじゃないだろうな」と疑ってかかりたくなる。
例えば、ちょうど今のように。

ヘッドホンをして、音楽を聴いていたところに、スマイルが寄ってきた。
俺たちは音楽バンドを組んでいて、そのメンバーで一緒に暮らしている。
住んでいる城の持ち主は、ボーカルにしてリーダーであるユーリだ。
「それ、新曲?」
俺の聴いている音楽のことを聴いているのだろう。
結構大音量で聞いていたのでスマイルの声が小さく聞こえる。
少しコンポのボリュームを小さくして、「そうっすよ」と答えた。

なぜだかは知らないが、最近俺のソロの曲がよく来る。
本来、俺はドラムなんだってこと覚えているか?
めっきりバンドでの活動が減って寂しい限りだ。
スマイルはバンド以外での活動はあまりしていないから毎日のんびり過ごしているけど、俺は意外に多忙な日々だった。

そのせいか、スマイルは俺がこうして家にいる時はよく近寄ってくる。
他愛もない世間話をしたり、話すことがなければ、ただじっと俺の傍にいたり。
透明人間のくせに話さないものだから、時々近くにいるのにどこにいるんだか判らなくなる。
おそらく、仕事がある俺のことを気遣ってなるべく俺の傍にいてくれるのだろう。

気遣っているんなら、この話題は振って欲しくなかったのだが。

「ねぇ、何でアッシュって前髪下ろしてるんだ?」
日常会話のように自然に振られて、俺は思わず呼吸するのを忘れた。
目の前の透明人間の地肌ほどではないが、顔から血が引いて青くなる。
俺は地黒だから、顔色の変化なんて判りにくいだろうけど。
すぐに苦しくなって呼吸を再開したが、果たして動揺を悟られなかったかどうか。

気にすることはない。
ただの日常会話だ。
テキトーに答えておけばいい。
俺にとっては大いなるコンプレックスだったりするのだが、そんなことはたぶん奴は知らないんだ。
知らないから、日常会話みたいに自然に聞いてくる。

どう答えたら自然なのだろうか。
これが俺のポリシーだと言ってみるか?
それで「ダサイよそれ」とか言われたらそれはそれでショックだ。
俺も別にファッションでやっているわけではないので、この髪型が格好いいとは思っていない。
別に良いだろと突っぱねるか?
いやいや、このお子さまは逆に反発してくるかも知れない。
そうしたら意地でも理由を聞き出そうとしてくるだろう。

結局名案も浮かばずに、俺は「何となくっすよ……」と言葉を濁した。
あいまいに言ったのが良かったのか、スマイルも特に追求せずに頷いて終わった。
どうやら下手に彼の好奇心を刺激せずに済んだらしい。
俺はほっと一息ついた。

気づけば曲はすでに終わっていた。
スマイルに声を掛けられてからは、ほとんど耳に入ってなかった。
もう一度聞き直す気にはなれなくて、俺はヘッドホンを外した。
ついでにコンポの電源も切ってしまう。

同時に俺の電池もふっつりと途切れたようで、とたんにやる気がなくなる。
本当は歌詞も覚えなくちゃいけないし、簡単な振り付けもあるのだが、何もかもやる気がしなかった。
スマイルのまったり効果かも知れない。
スマイルといるとどうしてもそっちのペースに巻き込まれてしまう。
ユーリといてもそうなのだけれど(むしろ吸引力はユーリの方が強い)。
のんびり暮らしているスマイルの生活リズムに合わせて、俺の動きものんびりしてくるようだった。

机の上に上半身を預ける。
「あ〜〜!」
声を上げたのはスマイルだ。
俺は首だけ動かしてスマイルを見る。
横になったまま見上げたスマイルは、視界の中で九十度傾いていた。
「顔上げてよ。
伏せちゃ駄目だよ」
机を叩いて、珍しく厳しい口調で言う。
頬から机が震える振動が響く。
俺としては、どうしてしかられるのかがまったく判らない。
顔を伏せるとどうして駄目なのか。
終いには頭を直接叩かれる。
何なんだこの仕打ちは。

仕方なしに顔だけ上げると。
急に世界は明るくなった。
「……スマイル」
さすがに毎日やられれば、嫌でもすぐに状況が把握できる。

これは、こいつの癖みたいなものだ。
不意に俺の前髪をかき上げる。
何をするでもなく、ただ前髪だけを掴んで、笑っているだけ。
何故こんな事が楽しいのか理解に苦しむ。

現に今もそいつは机の上にあごを載せて、俺と同じ目線の高さから、俺を見てニヤニヤ笑っていた。
指先で手首をはじくが、スマイルは「もうちょっと」と言って動こうとしない。
「何でいちいち俺の前髪いじるんスか」
仕方ないので追い払うことは諦めて、質問を投げかける。
一人であれこれ考えるのは疲れた。
本人に聞いてしまうのが一番だろう。
あごを机の上に載せたままなので少し喋りづらい。

スマイルは笑顔を崩して困った顔をした。
ちょっと下を向いて小さく呻る。
理由が特にないのか、はたまた言葉を選んでいるのか。
「あのね」
しどろもどろしながら口を開いたので、後者だということが判った。
一応理由はあるらしい。
少し意外に思って、思わず耳を立てる。
答えが待ち遠しくて耳を動かすけれども、聞こえてくるのは呻きばかり。
机越しに伝わってくる声は少し響く。

背中も疲れてきたので上体を起こしたら、スマイルの手は案外あっさり離れた。
二つのことを器用にこなせるタイプではないから、今は考えることに一生懸命なのだろう。
俺は少し癖がついて曲がってしまった前髪を、手で梳いて整える。
元通り前髪が俺の目をすっかり覆ってしまう。
スマイルが顔を上げた。
少し目を細めていて、何だか恨めしそうだ。

「不安なんだよね」
机の上であごをがちがち鳴らしながらスマイルが口を開く。
「アッシュの目が好きだから」
俺はゆっくりと瞬きしたが、たぶん前髪越しのスマイルには見えなかっただろう。

赤い瞳。
前髪を上げると、真っ赤な瞳がむき出しになる。
毒々しい鮮血の赤だ。
これは野生の証だ。
血を求める者の烙印というのだろうか。
俺はこの赤い色が嫌いだった。

野生に戻ってしまいそうで。
自分を、見失ってしまいそうで。

それを、好きだと言うのか、スマイル。
「優しい目をしているから」
この瞳の中に、俺の人格を認めてくれるのか。
「だから、怖い」
怖い、という単語にギクリとした。
散々言われてきた言葉だ。
事実、仲間たちと会うまでは生き方を選ばなかった。
生きるためならどんなものも犠牲にしてきた。
道徳も同族も道具同然に切り捨ててきた。

俺は目を閉じる。
隠してしまいたかった。
もっと、もっと奥深くへ。
隠したところで、本質が変わらないことは判っているけど。

スマイルは包帯で隠れていない方の瞳で俺をじっと見る。
目を閉じていても、その視線が何となく判る気がした。
「アッシュの目がね、なくなってしまいそうで怖いんだ」
そっと、何かがまぶたぬ触れる。
それがスマイルの指だと気づいたのは、とても細くてひんやりとしていたからだ。

目が、なくなる?
奇妙な言葉に、俺は目を開ける。
青い指が目の前にあった。
そのさらに向こうには、俺より澄んだ赤い色をしている、スマイルの右目。
左目は包帯が巻かれていて見えない。
俺も左目を見たことがない。

まさか。
「お前、左目……」
「透明人間だからかな」
スマイルが悲しげな笑顔を浮かべた。
泣いてしまいそうな顔だった。
「いつの間にか、大切なものが気づかない内に消えていってしまうんだ」
透明だから、目に見えないから。
それはどこへ行こうとあるのかないのかさえ判らない。
「仲間も、いつの間にかどこかへ行ってしまって」

スマイルは包帯の上からそっと瞳を押さえる。
白い包帯に青い指が浮き彫りになる。
青と白は空の色だ。
なのに何故、こんなにも悲しい色合いに見えるのだろう。

「自分の身体さえ、どこかへ行ってしまうんだよ」

スマイルは瞬きをする。
果たして、包帯の向こうの瞳は、動いているのだろうか。
指が覆い隠しているのでよく判らない。
スマイルは包帯に触れていた指を俺の目元に移す。
前髪を遠慮がちに、目の少し上までかき上げた。
俺の赤い瞳は、二つともちゃんと俺の顔に埋め込まれている。
ちゃんと、目の前のスマイルを見ている。
「アッシュの目は、どこかへ行ったりしないよね?」
俺は小さく頷いた。
スマイルの手からこぼれた前髪がまぶたにかかる。

「どこへも、行かない」
答えてやると、スマイルはゆっくりと手を離していった。
前髪が流れるように落ちていく。
視界がゆっくりと狭くなる。
最後に、とても緩やかなスマイルの表情が見えた。
安心してくれたようだ。

スマイルは傍にあったコンポをぺたぺたと触れる。
安心したところで、子供じみた好奇心に火がついたらしい。
ヘッドホンのコードを抜いて、コンポのスイッチに指を当てる。
「ねぇ、聞いても良い?」
足をぱたぱたとさせながら尋ねてくる。
断ったらどうせだだをこねるくせに。
本当、スマイルは俺より大分年上のくせに、ずっと子供じみてるんだから。

「企業秘密なんスけどね」
俺は少しイタズラっぽく口角をつり上げた。
「ちょっとだけっスよ」
そう言うと、スマイルは口を三日月形に開いてニッカリと笑った。

スマイルがスイッチを押して、場違いな騒々しいロックが流れ始める。
今までの空気を全部ぶちこわしにしてくれそうだ。
ドラムが爆竹のように鳴り響いて、エンジン音のようにギターとベースの音が突入する。
アクセル全開で曲は始まる。
壁があったってなぎ倒してしまいそうな勢いだった。

全部壊してしまえばいい。
そしてまた積み木みたいに、組み立てていけばいい。
なくなったって造り足せばいい。
何かが欠けたくらいで駄目になるほど、俺たちはヤワじゃない。

俺たちは一人ではなく、仲間と共に手を取り合って生きているのだから。



まぁ、前髪のコンプレックスについては、赤い瞳以外にもあるのだが。
それはまた、別の話。




FIN.



ポップンミュージック第三弾。
いい加減止まれ、私。
相変わらずアッシュとスマイルばかりです。
三人というのはものすごく物語構成しにくい人数だと思うんですよね。
主要メンバー三人同時出演は難しいので今後もきっとやりません(お前それでも文章書きかよ)。
最後の別の話、というのは「Distance」のことです。
よろしければ合わせてお読み下さい。




戻る