「陸の孤島」



 部活で疲れた肩を回してほぐしながら、俺はインターホンを鳴らした。反応はない。一瞬疑問に思って、そういえば今日は両親が送別会だったと思いだした。
 昨今はやりのリストラや人事異動でいろいろ慌ただしいらしい。両親は同じ会社に勤めている。二人の勤め先でも最近大規模な人事異動が行われたそうだ。両親も、今まで名前を聞いたこともないようなよく判らない職場に飛ばされた。
 一通りの人事異動が終わり、ようやく行われた送別会だから、たぶん帰りは夜中になると言っていた。だから、ドアにはカギがかかっていて当然なのだ。
 まだ幼い妹が一人留守番をしているから、戸締まりはしっかりしておくように言った。妹は元々鍵っ子だったから、注意しなくてもちゃんとやっただろう。そうでなくても物騒な地域なのだ。常日頃から戸締まりは最低限やるように、俺も小さい頃から言われていた。
 両親より先に帰るのは久しぶりだった。最近は、高校も二年になったこともあり、部活に忙しかった。高校二年といえば部活動の中心になる。日が完全に沈むまで校庭を駆け回る。それから帰れば、どうしても帰宅は九時近くになった。
 ポケットから鍵を出す。自分で鍵を開けるのは久しぶりだった。幼い頃は俺も鍵っ子だった。何となく懐かしく思いながら、鍵穴に差し込んだ。
 鈍い音を立ててロックが開く。ドアを開けて、最初に目にした物は、闇だった。
 まっ暗な廊下が口を開けた怪物のように闇に浮かんでいる。暗い。俺は手探りで壁のスイッチを探す。狭い玄関を伝うようにして歩いた。
 何かを踏んづけた。高い音がする。ガラスのような物だ。靴を履いていて良かった。運動靴の底に刺さったようだが、幸い素足には達していない。妹が何かを割ったのだろうか。
 何にせよ、早いところ電気を付けた方が良さそうだ。探し当てたスイッチを押す。かちりと音がする。
 光りは訪れなかった。蛍光灯が切れたのだろうか。最近接触不良で電気がついたり消えたりしていたが、ついにつかなくなったようだ。
 仕方なく俺は鞄の中から携帯電話を出す。一番外側に入っていた。黒くてメカメカしいシルエットが気に入っている。まるでロボットアニメに出てくるリモコンのようだ。二つ折りにされた機体を開くと、画面から光が放たれる。
 ボタンをいくつか押して、内蔵のライトを付ける。便利なもので、そこそこ遠くまでぼんやりとだが見えるようになる。
 白い一条の光の中に、床が映し出された。自分の顔がこわばるのが判った。
 床が陥没していた。正確に言えば、一部が異常なほどへこんでいるのだ。それが何ヶ所にもある。まるで恐竜の足跡のようにも見えた。実際それくらいの大きさがあった。
 散らばっているガラスやプラスチック片は、元は玄関の蛍光灯だった物であろうか。俺が踏んだガラスもおそらく蛍光灯の一部だろう。
 廊下を行ってすぐリビングに通じるドアがある。妹はそこで留守番をしているだろう。自室はあったが、一人でいるのは怖いと言って、妹はあまり自室に行きたがらなかった。寝るときに行くくらいだった。
 ドアは完全にひしゃげていた。木製のドアは真っ二つに折れ、それでも飽きたらず、あらゆる方向にねじ曲がっている。金具が外れて、壁とドアは分離していた。
 俺は土足で走り出した。足を取られないように着地する場所を選びながら、数歩でリビングに入る。実際歩いてみると室内の荒れようは尋常じゃなかった。家の中に爆弾が放り込まれたのではないかというほどだった。
 蛍光灯のスイッチを入れると、幸いリビングの電気は、生き残っていた。それでもいくつかはいかれているらしく、ついたのはたった一つだった。
 ぼんやりとした明かりに照らされ、リビングの惨状が見えてきた。リビングの中には、何もなくなっていた。テレビも机もタンスも何もかも、どこかに散らばって視界の中には見えなかった。室内はがらんとしていた。
 絨毯の上はとても素足で歩けそうにもないくらいに瓦礫が散乱していた。天井に黒い穴が見えるのだが、もしかしたら二階が崩れてきたのかも知れない。
 真正面にある物を見て、俺は目を疑った。脳みそが現実を否定する。押し寄せる欲求をはねのけて、俺はただただ目の前の現状を受け取っていた。
 泣き叫びたかった。
 体調三メートル近くある奇妙な生き物が立っていた。室内に収まりきらないので背中を丸めている。天井に、背中がついていた。毛むくじゃらで先端には顔と思われるしずく型のこぶがついていた。口のような裂け目からは白い牙がむき出しになっている。
 奴の正体は知っている。魔物と呼ばれる存在だ。人間や動植物とは別の起源を持ち、進化してきた生き物。生き物と言っては語弊がある。生き物とは根本的に違うのだから。
 どちらかと言えばエネルギー体に近いのかも知れない。基本的に意志はなく、「動く」ためにエネルギーを摂取する。それは人間だったり植物だったり動物だったりするのだが、たいていエネルギー源は生物だった。人間も例外ではない。
 真っ赤な球体が五つ、頭部に埋め込まれていて、その三つが俺の方を向いた。おそらくそれが目の役割をする部位なのだろう。
 あとの二つはその生き物が手にする物体に向けられていた。人型をしているが、まるで動かない。魔物の体が大きすぎるために妙に小さく見えた。人形のようにも見える。
 焦げ茶色のまっすぐな髪はセミロングのはずだが、途中で切れていてショートヘアーになっていた。いつも付けていた赤いぼんぼんのついたゴムは見あたらない。代わりに、頭部からは血が噴き出していた。青白くなった顔をどす黒い赤が覆い尽くす。
 オブジェクトのように生き物の手の中にあったのは、俺の妹だった。
 俺は何かを叫んだ。とにかく叫んだ。のどから鉄のにおいがこみ上げてきたのを覚えている。掴んだ瓦礫で巨大な魔物を殴りつけた。奇妙な色の液体が腕にかかった。
 魔物は身をのけぞらせるが、狭い室内では頭を打つだけだった。鼓膜が破れるような雄叫びを上げた。狭い室内に反響する。俺は耳もふさがなかった。聴覚よりも視覚の方に神経がいっていた。
 魔物は身動きが取れずに暴れる。そのたびに手の中の妹が力無く揺れる。俺は、まず手だと思った。
 手のひらに意識を集中させる。熱が集まる。自分自身では多少温もった程度にしか感じないが、実際には一瞬で紙を灰に変えるくらいの高温が生じている。これが俺の能力。
 普通ではなかった。父から受け継いだ「異常」だ。魔物という天敵の出現により、突如生命に舞い降りた異常。
 俺は手のひらを魔物にかざす。魔物が頭部を俺に向けた。口を開けている。俺は魔物へと突進した。狭い室内では小さい俺の方が有利だった。魔物は俺の動きに対応しきれず、俺の拳が先に魔物の口にたたき込まれる。
 思いの外熱かった。やつは口内でエネルギーを集めて、それを発射するつもりだったのだろう。一瞬遅ければレーザー光線のような物が放たれていたに違いない。
 俺は力を解放する。白い光りが手のひらから解放されたかと思うと、赤く変色した。俺は慌てて手を引っ込める。
 魔物の口の中で、力が暴発した。俺は痛みに顔をしかめる。自分の手も焼いた。魔物がためていたエネルギーに、無理矢理俺の力を解放したせいだろう。二つのエネルギーがぶつかり合って、変に発動したようだ。
 しかし魔物の方は体内で直接爆発したのだ、ダメージはそこそこあったようだ。頭部から血を吹き出してのたうち回る。
 俺は魔物の肩に飛び乗る。振り落とされないようにしっかりとつかまる。腕の先には妹がぶら下がっている。薄明かりの下では生死もよく判らない。
 俺は魔物の腕に手を当てた。俺の能力は対象物に直接触れなければならない。俺の腕を媒介に、魔物の腕へと直接エネルギーを送り込む。生じた熱が魔物の腕を焦がす。嫌なにおいがした。
 魔物が大きく腕を振った。さすがに熱かったのだろう。俺は魔物の腕の先に一気に走った。間をおかずに魔物の二の腕が天井にたたきつけられる。蛍光灯が割れて、ついに闇が部屋を満たした。
 俺は魔物の手につかみかかる。指は見られず、代わりに爪のような物が直接生えていた。力が強く、その中にいる妹は引き出せそうにない。
 暗闇は好都合だった。上の方……魔物の肩の辺りを見ると、ぼんやりと光っていた。俺がエネルギーを込めた箇所だった。直接たたき込んだエネルギーは意識的に爆発させることが出来る。俺は光っている箇所に意識を集中して念じた。
 爆発した。その瞬間、魔物の腕ごと俺の体は投げ出される。壁に当たる直前、ごく微弱な爆発を起こして威力を殺いだ。魔物の腕を下にして、床に落下する。
 動かなくなった魔物の爪をこじ開けた。妹の体が力無く転がり出る。
 妹を抱き起こして呼吸を確かめる。口元に耳を当てると、微かに息が感じられた。絶命はしていないようである。俺はそっと胸をなで下ろした。
 直後、頭部から強烈な痛みと鈍い衝撃がやってきた。とっさに妹を包み込むように抱きかかえる。重圧が上からやってくる。踏みつけられているのだと悟った時にまた痛みが来た。
 重量はあったが力はない。魔物だって、瀕死の状態のはずだ。流れた体液の量だって尋常ではない。自分を形作る要素の大半が流れ出れば、死ぬことはなくても、活動は停止せざるを得ない。自分の最期を感じて、あがいているのだろう。
 俺は生まれ持った能力のせいか、普通の人間よりは遥かに丈夫だった。このまま妹に覆いかぶさっていれば、俺が死のうとも、妹の命は守りきれるだろう。そう判断して、俺は抵抗することなく、意識のない妹を強く抱きしめた。
 何より、俺の方も動けそうになかった。何ヶ所の骨が折れているから判らない。
 強烈な痛みが襲いかかるたび、無意識に数を数えていた。あと何度で魔物が動かなくなるか、お互い我慢比べみたいなものだった。
 三十を数えた時であっただろうか、魔物の動きが止まった。あるいは単に休んでいただけかも知れない。でも、俺の緊張は一気に流れ出てしまった。急に力が抜ける。
 意識が途切れて、俺は完全なる闇に支配された。

 昨年の春、「B-AREA」で起こった事件だった。朝刊の地域のページで小さく掲載されただけの事件だった。
 よくあることだった。危険区域に区分される、「B-AREA」。魔物が出没する危険が二番目に高いとされる地域だった。もっとも危険な「A-AREA」よりも警備が薄く、実質最も魔物による被害が大きいとされる。
 この事件による死者はなく、話題性はあまりなかった。しかし、この事件は一つだけぬぐい去れない問題を産み落としていった。
 文字通り、産み落としていった。



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