ソラノテガミ

舞い降りた神か死神

裏路地に、一人の少年が佇んでいた。
十代半ばか前半の、まだ子供の域にある、少年。
背丈は標準よりやや低く、体格もがっちりとしているわけでもない、ごく相応な見目をしている。
ただその絶望に満ちた目は、歳不相応であるように見えた。

「オレ……人を……」
少年の口から、息がかすれる音が漏れた。
いや、言葉と形成していたようにもとれたが、ここに少年の言葉を理解できる者はなかった。

人影なら、在った。少年のすぐ側、足下に。
大体三十ほどの男で、その腹部は赤黒く染まっていた。
男が、微かに呻いた。

少年の手が、強く握られる。
そこには、男と同色に染まった物が握られていた。
――銀色の煌びやかな光を放つ、ナイフ。

少年は、人を刺した。
たった今、ここで、見知った人物を。

「――――?」
男が、少年の名を絞り出した。

「!!」
少年は、認識してしまった。
確実に。

自分は人を刺した。
自分は人を刺した。
自分は人を刺した。

少年は、自分の口元を押さえ、嗚咽する。

血の臭いが、気持ち悪かった。
人を刺した時の感触が、気持ち悪かった。
目の前にある血の溜まりが、気持ち悪かった。

いつしか、少年の目元を涙が伝う。
泣きたい気分だった、多分それだけの理由だろう。
泣けば、許されると思ったわけではないだろうが。
泣いて事実を洗い流そうという気はあったかもしれない。

泣いたって、何も変わりはしない。
それは、少年自身が一番判っていたことだ。

「泣いたって、何にもならないんじゃないのかい?」

聞こえた声に、少年は半ば反射的に振り返った。
酷く、心臓が高鳴った。

目撃者か?
新手の“ハンター”か?
それとも――。

色々な未来を頭に駆けめぐらせながら、少年は新たな人物に焦点を合わせてゆく。

すらりとした長身に、素晴らしくバランスがとれた長さの手足。
外郭は、とても形が良い。シルエットだけでも美しく映えるほどだ。
髪はさらさらで、自由にふわりと風になびく。

何よりその顔を見て。
少年は、悟った。
「天使――?」

呟いてから、少年は言葉を否定した。
いや、彼は、違う。天使などではない。
むしろ彼は、神である、と。

神は、哀れな罪人に、そっと口を開いた。
「大丈夫、彼は生きている。重傷だが、そう深すぎる傷でもない。応急手当はしておく。
彼は死なせないし、君も殺人者にはさせないから、安心しなさい」

彼の言葉は、まさに神のごとき慈愛に満ちているように聞こえた。
腹部から血を流す男も、いくらか安堵したようだ。

彼は、男の傷口を見て、「大丈夫」と呟き、手際よく手当てしてゆく。
普通の、少年にも出来そうな程度の手当だった。
しかし、些細で細やかな作業が、彼の治療にはあった。
まるでそれは、魔法のようにも見えた。

程なくして彼は「完了」と言い、少年の方へ向き直る。
少年は、何だか自分が無礼者であるような気がして、慌てて背筋を伸ばした。
男が、苦笑する。
「私は、何の変哲もない人間だよ。そう、改まらなくても良い。
それより、先程救急車を呼んだ。そろそろ到着するだろう。それまでに、この場を離れよう」
言い終えて、彼は少年に手を差し伸べた。
疑うこともない、神の救いの手だ。

少年は、戸惑うことなく彼の手を取る。

彼は、慈悲深い微笑みを、その端正な顔に浮かべた。

どこかで、どこかで、鈍い音が響いていた。
運命を綴る、神の手が世界を招いている。
少年は、手を取ってしまった。
神か、それとも、死に神とも言える存在の手を……。

「私の名は、鳴海清隆。君の名は?」
「……浅月! 浅月香介!」
少年の顔に、最後かもしれない、灯火が灯る。

運命に乗ってしまった。
もう降りることなど出来ない。

運命の渦に、自ら足を踏み入れた時から――。

「君を救ってあげよう」

神か死神は、笑った。
そして少年は、神に出会う。


END.   


半年くらい前に書いた話です。
書き方が今と違って、自分でも結構驚きです。
弥栄は日々ダメな方へと進んでいますので……(ダメだし)。
これは元は、パラレル小説のプロローグにするつもりでした。
香介君が不健康な生活を極めていて、歩君がそれを努着いてたたき直すお話。
でもあまりにもスパイラル本編の設定を無視しまくるあまり、
話が妙な方向へ行きかけてしまったので、断念。
ちなみに香介くんに手を差し伸べた謎の男は、鳴海清隆です。
というわけで、「香介と清隆の出会い」の話でした(本当かよ)v