スクライド

〜荒野にて〜




広野である。
何もない荒野である。

時折思い出したかのように岩が転がっていて、かろうじてできた日陰に群がるように、
昆虫の類が巣穴を作っていた。

空は、いつもながらに青い。
黒い雲が空に翳りを落とすことはなく、太陽はむき出しになって、地面を照りつける。
青という色は、乾きのイメージである。
そんな、土地だった。

岩の一つに寄りかかるようにして、地面に腰を下ろした、若い男がいた。
赤っぽい茶色の髪を持つ、目つきの悪い男だ。
その瞳は虚ろで、乾いた荒野によく似合う。
黄色がかった灰色の土地に、唯一別の色をもたらす男は、不思議なほど自然にとけ込んでいた。

男は、別に何をするでもなく、掌を見つめていた。
そこに、健康的な肌色をした、暖かな物はなかった。

無性に、やりきれない思い。
彼自身がけして正常でないことを、男に暗に示してくる。
妙に白っぽい色をした、しかし日に焼け、薄汚れ、黒っぽくなった、割れ目のある掌。
この男の持つ掌とは、精気の色が限りなく薄い。

男は、掌を握りしめた。
強く、血がにじみ出るほどに。
実際、男は掌を血まみれにするくらいの気持ちで、握りしめていた。

だが、再び開いた掌に、血の跡は見えない。
傷すらも付かない。
手の中には、何故か金属を握りしめたような感覚が、残っているだけだった。

「っち、やってらんねーな」
男はぼやいて、背後の岩に拳を叩きつける。

岩は簡単に砕けて、けして小さくもない岩は、二つになった。
反動で、岩が転がり、男の背後には支えが無くなった。

男は何も反応せず、そのままゆっくりと前屈みになる。
不気味な動きだ。
まるで隙がない。
のんびりとした動きなのに、俊敏そうな印象を受ける。

何故か、何故か。

それには、当然ともとれ、不条理ともとれる理由があった。

「大人しくしていてくださいと、何度言えば判るのですか? カズマ」

カズマ、と呼ばれた男は、声に振り向いた。
いや、カズマは酷く猫背であるせいか、思いの外年を経ているようには見えない。
男、と呼ぶほどには、まだ達していないようだ。
雰囲気は、それこそ剣のように鋭く、険しいが。

悪魔。
そう呼ばれる、瞳を持つ少年。
カズマは、あらゆるものを殴り飛ばす、二つ名に相応しい強さを持った、悪魔であった。
実際の悪魔などこの世には存在しないが、それでもカズマは悪魔だった。

一方、声をかけた方も、似たような年齢の少年である。
紫色のさらりとした髪に、大きめの瞳が優しげに金の色を放つ。
彼の方は、名を、橘あすかという。

あすかは、カズマが掌を見ていた間に、すぐ側まできたらしい。
いつの間にか数メートルの間合いの中に、あすかは立っていた。
もっとも、カズマはあえて彼を無視していたのだが。

何せ、カズマは言葉を好まない。
まどろっこしく、わざわざ遠回しに形を創り上げる作業は、カズマの性分に合わなかった。

カズマは、折り曲がった背筋を少しだけ起こして、あすかをにらみつける。
「俺がどうしようが、勝手だろ」
あすかは、小さくため息を付く。
「けが人は、大人しくしているのが普通ですよ」

あすかは、手にした茶色のボストンバックの中を探った。
チャックは壊れてしまっているので、フタはない。
さして中身のないカバンの中からは、白い包帯と容器が出ていた。

「消毒しますから」
応えを求めない呼びかけをしてから、あすかは素早く容器の蓋を取った。

少々つんと来る、かすかな匂いが、カズマの鼻を突く。
ケガを多くするカズマは、よく嗅いだことのある匂いだ。
消毒液。

明らかに、面白くない結果を、カズマは予測する。
別に、痛みとかの感覚は気にしていない。

ただ、思い出すのだ。
共に暮らしていた、少女のことを。
節介焼きで、唯一カズマの身の心配をしてくれた、親しい少女のことを。

消毒液が、遠慮無しにどばどばとぱっくり開いた傷口に注がれる。
深い傷は、出血こそもう無いが、換わりに膿み始めていた。
ふくらはぎを斜めに横断する、三十センチほどの切り傷である。

懐かしい感覚が、カズマを襲った。
不意に、あらぬ幻聴までが聞こえてくる。

『カズ君、何でいつも傷だらけになって帰ってくるの?』
可愛い顔に似合わず、消毒液を無慈悲にぶっかけて、少女は頬を膨らませる。
『ムチャしないでよ』
小さい手は、とても大きかったのを、カズマは覚えている。
全て包み込んでくれそうな、小さな手。
強くないけれど、弱くもない、結局は力強い。カズマにとって、とにかく一番側にいた。
『カズ君』
もう、今は遠く離れてしまって、声は聴けない。それでも、覚えている。

「カズマ」

カズマの感傷気分は、あすかの一言により現実に引きも戻された。
周りを見てみても、当然少女の姿など無い。
あるのは、変わらぬ荒野の景色だけだ。

女々しいな、と、カズマは自嘲する。
きっと、色々と間が悪かったせいだ。

どうと言うことのない奴とケンカをすれば、思いもよらず最期の最期に一撃を食らい。
運悪く足に傷を負い、動けなくなっていたところに、あすかが通りかかってしまい。
流れと、あすかの一般人的な思考回路から、いつの間にか今に至っていた。
本来なら、今頃また宛てもなく荒野をうろついていたであろうに。

きっと、間が悪かったのだ、今日という日は。

「カ・ズ・マ!」
なかなか返事をしないカズマに業を煮やしたか、あすかは大きな声で言って来る。

やはり、答えないとうるさいな。カズマはうんざりしつつ、短く言葉を出す。
「何だよ」
「すご〜く不服そうに答えるのは止めてください!」
ああ言えばこう言う。
カズマは心内密かに、ため息を付いた。
かったるい、面倒臭い。
率直に気持ちの表れた、簡潔なため息だった。

「終わりましたよ、消毒。でも、もう少しの間は安静にしていてくださいね」
「へい」
「返事は、はい」
「へいへい」
「聞く気ありませんね」
「最初からな」

今度は、あすかがため息を付く番であった。
カズマも、変わらない。

逆にそれが微笑ましくあり、あすかは緩い笑いを浮かべた。

――懐かしいときがある。

例えば、昔聞いた歌を口ずさんだとき、無性に昔を思い出す。
あの頃は幸せだったと、無性に思う。

だからといって、戻りたいとは思わなかった。
昔が幸せだったと思えるのは、今であるからこそだから。

失ったものは沢山ある。
得たものは特にない。
いつもそう思いはするが、もしかしたらと思うこともある。

もしかしたら、失ったことこそが、得たものなのではないのか、と。

気のせいかも知れないが、事実かも知れない。
何にしろ、今あるものを失ってまで、過去に戻りたいとも思わない。
懐かしみはするけれど、過去とは、それだけのものなのだ。

過去とは、それだけのものなのだ――。

あすかは、包帯と消毒液を、無造作にカバンへ放り込んだ。
双方とも、量がとんでもなく減っている。
その分、カズマの足には、白い包帯がぐるぐる巻きにされていた。

綺麗に巻かれた包帯が、現実の厳しさを物語る。
自分で生きていかなければならない世界。
頼れるものは、自分しかいない。
そういう世界なのだ、ここは。

生き延びていく土地だ。

「さ、て。僕はそろそろ行きます」
あすかはまた、特に意味もなくカズマに断りを入れる。
「キャミーが待っていますし、かなみちゃん達もね」

明らかに返答を求める間接的な言葉に、カズマは何も返しはしなかった。

迷ってはいない、答えは既に決まっている。
最初から決まっていたが如くに、いや、決まっていたのかも知れない。

カズマは、口角をつり上げた。
「行かねぇよ」

あすかは、緩やかに口角を上げる。
「そう言うとは思っていましたけれど」

きびすを返し、あすかはカズマに背を向ける。
もう会うことはないかも知れないけれど、別れの言葉は言わなかった。
そういう仲でもないし、あえて言う言葉でもないように思えた。

あすかの姿は、程なくして地平線の端へと消える。
荒野には、カズマだけが佇んでいた。

カズマは包帯の巻かれた足に気も配らず、勢いよく大の字に寝そべる。

空は、相変わらずの晴れであった。

「のどが渇いたな」

ポツリと、カズマは呟く。
水を貰うにも、あすかはもういない。
自分で探さなければならない、。
飲みたいのならば。

カズマは立ち上がった。
白い包帯に、赤い色がにじむ。
二本の足は、均等のバランスで、地にしっかりと付く。

周りに人はいない、建物もない。
あるのは岩と、荒野だけ。
雨も降らなければ、泉もない。
水の影は、全く見えなかった。

得たいなら得る。

それだけだった。

「さて、ちょっくら奪いに行ってくっかな!」

カズマは歩く。
一歩一歩、確かめるような足取りで。
今を、踏みしめるように。

秩序の崩壊した、独立した地域・ロストグラウンド。
雄々しく、生と生がぶつかり合い、死と生が交わる土地。

生きる術は何か。
それは生きることだ。

カズマは、今日も生きる。
今、この時を、全力で。

突っ走りながら!




FIN.


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あとがき:

テーマは、「現在」ですね。
最近、このテーマでばかりSSを書いている気がします。
あまり冒険をしない質なので、新たな思考が生まれないんです。
そしてどんどん、ありきたりな人間になって行く・・・。
でも、すごく小説が書きたくなったので、無理に書いたSSでした。
登場するのがカズマ君とあすか君なのは、私の趣味です。
スクライドの中では、2人が一番好きです。
でも、君島さんとかなみちゃんとカズマ君の、掛け合いも好きですね〜。
いつか、その3人の話も書きたいです。






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