「銀杏」



落ち葉が地面を覆うほど横たわっている。
何度も何度も自転車にひかれたそれは、茶色く変色し、しなびている。
あるいは細かく分解される。
しかしコンクリートの上ではいつまで経っても葉は星に還ることができない。
回収されて、燃やされるまで、惨めな姿をそこにさらし続ける。

すっかり紅葉も終わり、木々は冬らしい寂しげな姿に変わりつつあった。
あれだけ生い茂っていた葉はほんの少ししか残っていない。
晴れ渡った空から注ぐ日光を遮る物は何もなく、暖かい日差しがスマイルの背中をなでた。

地面を隠している葉をかき分けて、比較的汚れていない部分に腰を下ろしている。
階段の一番上から、眼下にある公園を、ぼんやり眺めていた。
遊具も何もない、公園と言うよりは広場に近い場所だ。
子供が四人遊んでいる他には誰もいない。
冷えた空気にはしゃいだ声が不自然に染み渡った。

四人の子供は散り散りになって走っている。
一人の子供が他の三人を追いかけているようだった。
走ると、尾びれのようについてくる影。
その黒いシルエットを追いかける少年が踏みつけると、影を踏まれた少年は立ち止まった。
別の一人も影を踏まれて立ち止まる。
「あと一人!」
息を切らせながらも高揚した口調で、追いかける少年が呟いた。

残った一人が足を速める。
立ち止まっている二人は逃げる少年に向かって「早くこっちに来い!」と叫びながら大きく手を振る。
きっと彼らなりのルールでもあるのだろう。
逃げる少年は明らかに彼らの方に行きたがっているのだが、追っ手がじわりじわりと近づいてきているのでできない。

影の傾く方と真逆の方へと駆けていく。
追う方には有利だ。
逃げる足が遅くなった瞬間に、追う少年は一気に差を詰めた。
影に足が届く。
その足が踏みつけたのは、落ち葉だった。
「っ?!」
急に退いた影に少年は驚いて、慌てた立ち止まった。
空回りした足がやり場をなくしてバランスを崩しかける。
少年の横を誰かが走り抜けた。

「やーい、こっちだよ〜!」
つい先ほどまで追いかけていたはずの人物は、いつの間にか後ろにいた。
どうやら横に動いて交わされたらしい。
状況を理解した少年はいらだちを隠そうともせず思い切り地面を踏みつける。
身を翻した頃には、逃げる少年は立ち止まっている少年の片方のすぐ側にいた。
すれ違い際に影を踏む。
すると立ち止まっていた少年は走り出した。
追う少年は悔しそうに「ああ!」と叫ぶ。

氷鬼と影踏みを混ぜたような遊びだということが判った。
鬼が一人いて、鬼に影を踏まれた者は動けないらしい。
まだ動ける仲間に影を踏んでもらうともう一度動けるようになるのだろう。
おそらく、鬼が全員の動きを止めたらゲームオーバーだ。

今動けるのは二人になってしまったから、当分終わらないな、と思った。
少年たちも見なそう思っていたはずだ。
だから、逃げる方に安堵感が生まれたらしい。
それは不注意につながった。
ずっと逃げ続けていた少年の身体が不自然に揺れた。
大きくバランスを崩す。
立ち止まっていた少年と違って、体力の限界がきたのだろう。
フォローするには、誰もが遠い位置にいすぎた。

一番近くにいた、たった今走り出したばかりの少年が、手を伸ばす。
しかしそれが届く前に、少年の身体は地面をこすりながら倒れていった。

二回ほど転がっただろうか。
少年は膝小僧を抱えてうずくまる。
時が一瞬止まって、融解したかのようだった。
はじけるように、三人の少年たちは地面に転がる少年に駆け寄る。
彼は幸い泣いていない。
そうひどいケガはしなかったのだろう。
鬼役の少年が、ケガをのぞき込む。
「かすり傷だ」
小さく呟くと、一斉に安堵の息をついた。

その言葉通り、痛めた所は特にないらしく、少年は普通に立ち上がった。
念のため関節を伸ばしたり曲げたりするが、異常はなさそうだ。
大丈夫かと次々に浴びせられる質問に、少年は大丈夫だと答える。
「一応消毒した方が良さそうだな」
鬼役の少年が再びそう言う。
「暗くなってきたし、もう帰ろう」
他の三人に異存はないのか、誰一人反論することなく頷いた。

彼らは不思議なほど後を引かずに帰っていく。
多少気を遣う言葉はあっても、必要以上に心配することも、また痛がることもしない。
何事もなかったかのように、おしゃべりに興じながら、階段の方へと歩いてくる。
それでもケガをした少年が四人の真ん中にいるのは、周りの三人の気遣いだろう。

遊びが途中で終わってしまった悔しさも、転んでしまった恥ずかしさも感じられなかった。
そこにあるのはただ純粋さだけだ。
自分たちだけの特別なルールを持った鬼ごっこが楽しかったという気持ちだけだ。
まぶしくて、スマイルは目を細めた。
夕日はもう地平線へと傾いていたが、十分に目映い輝きを放っていた。

少年たちはスマイルの横を通り過ぎていった。
真横で楽しそうな笑い声が聞こえて、少しだけうらやましくなる。
一人腰掛けているスマイルは町中にぽつんと建つ彫像のように寂しい。
特に誰からも注目されることなくそこに置いてある。
ただのオブジェクトのようだ。

寂しくなんかない。
だんだんと遠ざかっていく笑い声を頭から振り払うように、心の中で呟く。
小さな声は頭の中にがんがん響いた。
帰ろう。
立ち上がって、スマイルはもう一度決意する。
帰ろう。
そうだ、自分には返る場所があるんだ。
だから寂しく何てない。
そうは思っても、友達と家族はやはり違うもので。
家族の待つ家があるとしても、友人のいない空虚さは拭いきれなかった。

だって、人間はいつもスマイルを置いて大人になっていってしまう。
大人になった友人たちは遊んでくれなくなる。
メルヘン王国と地球の時間は大きくずれている。
いつも置いてけぼりにされるのは、スマイルの方だった。

「おい!」
誰かの叫び声が聞こえた。
先ほど鬼役をやっていた少年の声がちょうどこんな感じだったと、さえない頭でスマイルは認識する。
澄んだ声だとは思っていたのだ。
何処までも伸びていきそうな透明感があり、歌を歌ったらさぞかし上手いだろうと思った。
容姿はちゃんと見ていなかったので思い出せないが、声ならば思い出せる。

「おい、そこの青いの!」
かなりの至近距離で声が聞こえた。
そう気づいたときに、足下に衝撃が走った。
スマイルは思わず立ち止まった。
歩き出そうとしても何かに押さえつけられて動けなかったのだ。
反射的に振り返ると、スマイルの背中には銀色の物体がくっついていた。

引きはがそうとしてひっつかむと、それは動いた。
手を離すと彼は顔を上げる。
銀色の髪と緑色の瞳を持った、少年であった。
「何で止まらない」
ずいぶん強気な口調であの声が発せられる。
確かに鬼ごっこをしていた彼と同一人物だった。

顔一つ分以上小さな彼を見下ろし、スマイルは眉をハの字に下げた。
「まさか呼び止められるとは思わなくて」
率直な感想を言う。
少年たちは皆スマイルを見る素振りも見せなかった。
もしかしたら気がついてないのかもしれないと思うほどだ。
それに、スマイルは彼とも面識がない。
声をかけられると思う方が不思議である。

銀髪の少年は唇を曲げてそっぽを向く。
「素直じゃないなぁ」
からかうような口調で続ける。
「声かけて欲しそうにしてたのに」
いたずらっぽい瞳がスマイルの視線にぶつかった。
あまりにも真っ直ぐ人の顔を見て言うものだから、否定する気も失せてくる。
スマイルは反論するすべを失って瞬きをした。

声をかけてもらいたかったのだろうか。
はっきりとそう思ったわけではない。
うらやましいとは思ったが。
だが声をかけて欲しくなかったかと言えばそうでもない。
やはり声をかけてもらった方が嬉しい。
だけどやっぱり声をかけて欲しいと思ったわけではない。

不思議な少年だと思った。
見知らぬ人間に声をかけてくるのも奇妙だが、何より真っ直ぐ見つめてくる瞳が印象的だった。
正面以外に向く所を知らないかのようだ。
年の頃は十前後といったところだろうか。
子供にしか見えない大きなものを彼は見ているのだろう。
純粋無垢な少年の瞳。
その眼には、スマイルが見当もつかないものが映っているような気がした。

「あんた、名前は?」
スマイルが答える前に、「俺はライト!」と少年が言う。
先に言われてしまっては答えないわけにもいかないので、スマイルは白い歯を並べてにっかり笑った。
「スマイル」
「スマイルか、似合わない名前!」
きっぱりと言われてしまい、拍子抜けする。
似合わないと言われても困る。
自分が付けた名前でもないのだから。
「だってあんた、笑わないじゃないか」
言っている意味がよく判らなくて、スマイルは首を傾げた。
現に今目の前で笑ってみせているというのに、ライトは笑っていないと言う。

「知ってるぜ。
町をうろうろしたり、丘の上に座ってぼーっとしてたり。
あんたはいつもさまよっているみたいだ」
もしかして、ライトはスマイルをたびたび見かけたことがあるのだろうか。
名前は知らなくても、顔を覚えるくらいには遭遇していたらしい。
スマイルの方は全然気がつかなかった。
ライトの顔をまじまじと見てみるが、やはり見覚えはない。

ふと、ライトの目つきが真剣になったのを見て、スマイルは口角を下ろす。
ライトは深い緑色の目をのぞかせていた。
「泣きそうな顔してさ。
いつも寂しそうだった」
スマイルは包帯の奥の眼がうずいたように思えた。

気づいていたことに驚いた。
おそらくスマイルを遠目にしか見たことがないこの少年は、スマイルの瞳に宿る感情を知っていた。
隠してきたつもりはない。
ただ、包帯で肌を隠し、口元にいつも笑みを浮かべた、透明人間のスマイルは、人から見て何を考えているか判らない類の人間らしい。
隠しているのではない、ただ気づかれにくいだけだ。
気づくのは、傍にいるなじみの人間くらいで。
ちゃんと把握できるのは、一緒に暮らしているユーリとアッシュくらいだ。

スマイルの目の前を黄色い葉がよぎる。
くるくると回りながら、スマイルとライトの間をゆっくりと落ちていく。
道路に生えている銀杏の木からは、相変わらず葉が舞い散っていた。
連なる銀杏の木は黄色い海を作る。
ライトと一緒にいた少年たちはとうに別れたのか、道の先には見えない。

「でも」
スマイルは口の端を持ち上げる。
「僕は今、泣いてないよ」
白い歯を見せて笑みを作る。
ライトも口を三日月形にして笑った。
「当たり前だろ?
だって俺が声をかけてやったんだから」

相変わらずの自信は一体どこから来るのだろうか。
それは不快なものではなく、彼の魅力の一つだ。
子供ならではの愛嬌があるというか。
とにかくスマイルは、この自意識過剰な言い回しが嫌いではなかった。

ライトは身を翻して、背を向ける。
両腕を横に広げた。
空を羽ばたく鳥のようだ。
肩越しに振り返り、ライトは言った。
「明日またここに来いよ。
そうしたら一緒に遊んでやるから!」
あくまで命令口調なのが彼らしい。
ここで断ったら彼は一体どんな顔をするのだろうか。
否定の言葉など来るわけがないと思っているに違いない。
スマイルにも、断るすべなど思いつかなかった。
冬になれば葉が落ちるのと同じくらい抗いがたいことだった。

「判った」
スマイルが頷くと、ライトは満足げに笑った。
身体を前傾にしてライトは駆け出す。
数メートルの距離を置いて、ライトは振り返った。
拳を握り、親指を上に突き出す。
腕を高く上げて、叫んだ。
「約束だからな」
スマイルも同じ動作をまねる。
「約束だ」

確認するように「約束」と呟くと、ライトは拳を開いて腕を大きく振った。
スマイルが手を振り替えしたのを確認すると、道の先へと駆けていく。
小さな体は少しずつ小さくなっていった。
何となくスマイルは手を振り続けていた。
ライトが駆け抜ける道は、まるで光の道のようだった。
微妙に違う黄色がいくつにも折り重なり、鮮やかな色合いでその道を彩る。
きらきらと舞う葉が、さらに鮮やかな黄色を落とした。

久しぶりにきれいなものを見た。
冬にさしかかる短い季節にしか見られない落ち葉の道と、大人にさしかかる前にしか見られない、無垢な瞳。
時が過ぎればいつか色あせてしまうものであろうけれど、だからこそ美しいのである。
悠久の時を生きる自分にはないものが、そこにはあるからだ。

冬が来る前に、散歩好きの同居人と共にこの道を歩きに来ようと思った。
毎年見られるものではある。
きっとあと何十回も何百回も見る機会があるだろう。
しかし今年の景色は、一段の美しいものであるような気がした。
ユーリも気に入ってくれることだろう。

このコンクリートの海を横断する、天の川を。


FIN.



ライト&スマイルでお届けするポップン小説第四弾です。
どうしてライトが出てきちゃうんでしょうね!
自分でもびっくりです。
本当はオリキャラにする予定だったのですが、せっかくだからポプキャラに置き換えてみよう……と思いましたところこんなことに。
元気な子供、といったらライトしか思いつかなかったんです。
別にライトじゃなくても読めるので特に気にしないで読んでください。



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