ソラノテガミ

No dream

夢も希望もない。
そんなものは、初めからなかった。



葉が舞い落ちる。
強い風が吹き、数枚青々とした葉が散る。
これからいよいよ木々が盛ろうとする五月。
勝手に葉が抜けていく秋とは違い、風が吹いても舞い落ちる葉はほとんどない。
まだ力尽きるには若すぎる葉。
それは地面に落ちることはなく、横から飛来した何かによって木の幹に縫いつけられた。

思いの外軽い音がして、ナイフは木の幹に深々と刺さった。
中央に貫かれた葉が刺さっている。
ぱっくりと身体を縦に割って、ナイフを通していた。
「すっげ~!」
赤紫の短い髪の毛を揺らしながら、少年は叫んだ。
茶髪の、少し背の高い少年の脇をすり抜けて、木の幹に駆け寄る。

ナイフはちょうど少年の目線の辺り。
ぐるぐると木の周りを回って、しげしげとナイフと木の接続部分を眺めていた。
まるで木から金属の枝が生えているかのような造形だ。
それほど自然に突き刺さっている。
何というか、美しいのだ。
木の木目をちょうど割るかのような位置にナイフが刺さっている。
他の箇所を傷つけることなく、一点のみに突き刺さる。
このくらいの傷ならば木は自らの治癒力で治してしまうだろう。

傷つけることを極力避けた殺傷。
それは酷く、残酷であり、優しいもののように見えた。

「やっぱりいつ見てもすごいな、カノンのナイフ投げは」
「それはどうも」
茶髪の少年が綺麗な笑みを浮かべた。
感情が読めないくらいに整った笑みは、今さっき放たれたナイフに似ている。
うさんくさいくらいに自然。
全てが作られた物であるかのような造形美。
まるで、この世界のように。

カノンは木の幹に歩み寄ってナイフを引き抜く。
背が高い分足も長いので、数歩で辿り着いてしまう。
葉を引き抜いて地面に放る。
今度こそは葉ひらひらと宙を縫って、地面に落ちた。
それを、少年が拾った。
「何してるの、香介」
赤紫色の頭が動く。
中央が裂けた葉を指でくるくると回す。
髪の赤と葉の緑は対照的で、鮮やかだった。
「記念にとっとこうと思って」
裂け目をそっと撫でて、香介は嬉しそうに笑った。

カノンは眉をひそめる。
何が嬉しいのかよく判らない。
ろくに役目を果たす前から切り捨てられて、地面に落ちる前に身を裂かれた葉は、哀れにしか思えない。
カノンは香介の手から葉を奪う。
香介が思いの外しっかり葉を掴んでいたので、裂けた半分がカノンの手に渡った。
「ああ!」
香介が甲高い声で叫ぶ。
子供の声はキンキンしていると、同い年ながらにカノンは思う。
純粋な日本人であるのと半分イギリス人であるのの差か。

そうでなくても香介は子供じみている。
多少ひねたところもあるがそれすらも子供っぽい。
毎日同じ日本人の子供と遊んではいるが、その日本人の中でも一番子供っぽい。

香介は半分になった葉を惜しげに眺めて、恨めしそうにカノンを見上げた。
「何で千切るんだよ!」
すくっと立ち上がるが、香介の方は背が低い。
どれだけ背筋を伸ばそうともカノンには及ばない。
悔しくて香介は背伸びをするけれども、カノンはどうでも良さそうに身を翻した。

手の中にあった半分の葉を捨てる。
「どうでも良いじゃないか、こんな物。
あまり変な物を拾って帰ると、怒られるよ」
「変な物じゃない……」
語尾が尻すぼみになっている時点で香介の負けだ。
以前も河原で拾った石だとかを持ち帰って怒られたことがあるのだ。
実の親であればそこまで怒らないのだろうが、あいにくここは香介の故郷ではない。
母国ですらない。
集団訓練にと、日本から数名の子供と一緒にイギリスに渡ってきた。

ブレード・チルドレンという子どもたちが存在する。
血に呪われた子どもたちだ。
馬鹿げた話だが、子どもたちは大人になった時人類を滅ぼすために悪魔に生まれ変わると信じられている。
証拠はどこにもない。
それが真実だと、誰も証明できない。
しかし全ては、実現の方向に動いていた。
全員が特化した才能を持つブレード・チルドレン。
彼らは着実に力を伸ばしていった。
大人たちは恐怖した。
子どもたちが向かっているのは、破壊の道に違いないと。

だから殺した。
子どもたちを。
ブレード・チルドレンを虐殺した。

香介もカノンもブレード・チルドレンだ。
殺戮の中何とか生き残って、今生き抜くために一時結集している。
生きるためには、殺しに対抗するしかない。
目には目を、歯には歯を。
殺される前に、殺すしかない。

全ては殺すために行われていた。
日本だと殺しの訓練をするには不都合だった。
だから一時イギリスに送られて、そこで訓練を受けることになった。
一時の宿となったのは、イギリス生まれのカノンの家と、後は幼なじみであるアイズの家。
カノンは生まれついて身体能力に長けていたので、他の子どもたちに戦闘を教えるのを任された。

全ては殺人のためなのである。
カノンのナイフ投げも、香介がそれを見ているのも。
美しいものなど何もない。
在るのは血に汚れた呪いだけだ。
そこから生まれる物には、価値など何一つとしてない。
この、半分になった葉のように。

「でも」
香介は名残惜しそうに半分になった葉を手のひらに載せる。
「カノンはあまり見せてくれない。
ナイフ投げ」
「僕は銃の方が得意だからね」
カノンが香介の方に身体を向けると、香介は手のひらの葉をさっと隠した。
取られると思ったらしい。
馬鹿馬鹿しい、とカノンは思わず呟きそうになった。
「僕の技術は全て人を殺すためのものだ。
君に曲芸を見せるためにあるんじゃないよ。
殺人を覚えようとしない君に見せる価値はない」
カノンは日本人が嫌いだった。
お国柄のせいか、動物一匹すら殺すのにてまどう。
戦闘訓練にもなりはしない。
固定標的だけではどうしても訓練しきれないところがある。
カノン自身が重々承知している。
止まっている的と生きている物は、まったく別の物なのだ。

カノンに厳しく言われて、香介は肩を落とした。
親にしかられた子供のようだ。
カノンと香介はほとんど年は変わらないと言うのに。
ブレード・チルドレンは現在五人集まっているが、香介は二番目に年上だった。
一番上はカノンだ。
確かに日本人の中ではリーダーシップを取っているようだが、カノンと比べれば情けないほど子供だ。
一番年下のアイズの方がまだしっかりしている。
カノンはアイズとばかりつき合っていたから、子供はみんなそういう物なのだと思っていた。
やりにくい。
思い通りにいかない。
喜怒哀楽の激しい香介が疎ましかった。

カノンは回収したナイフを投げる。
ナイフはカノンの手を放れ垂直に飛んでいく。
ちょうど香介のいる地点に向かっていた。
香介は目を見開いて眼球だけでナイフを追った。
とっさに左に飛ぶ。
ナイフは香介の左頬をかすめる。
浅く肌を裂かれ、血がほんの少しだけにじみ出る。
ナイフは再び木の幹に刺さった。
先程傷つけた穴に、数分違わず入り込む。

香介はステップして何とかバランスの崩れた身体を支えて立ち止まった。
開かれた瞳の中眼球だけでカノンをにらみつける。
瞳に映るのは獣のような鋭さ。
本能が敵を認識した時の目だ。
考える隙もなく、ただ身体だけが敵に反応している。

「三十点」
二十点、と言おうとしたのだが、瞳が良かったので思わず十点付け足した。
「避けたのは誉めてあげるけど、少し当たったね。
ナイフに毒が塗ってあったら終わりだよ」
カノンは香介の横を通ってナイフと回収する。
ナイフと抜いた後の傷にそっと手を触れた。
二度も傷つけられたこの木は災難だ。
「あと、避けた後の姿勢。
バランスを崩したところを狙われる」
「でも、尻餅はつかなかった!」
「だから十点。
一応避けたからもう十点」
「何点満点?」
「百点満点」
大分低い評価に香介は不服そうに頬を膨らませる。

瞬きをしたらもう瞳の色は普通に戻ってしまった。
やっぱりもう五点ぐらい減らそうかと思った。
すぐに警戒心を解くのは良くない。
「後の十点は?」
香介が目をきらきらさせながら寄ってきて、カノンはついにやる気を失った。
今さっき殺されかけたところだろう。
どうしてそうすぐに心を許してしまうんだ。
カノンが信じてきたにはアイズだけだった。
それだって長年の信頼で成り立ってきた関係だ。
けして即席のものではない。
カノンと香介は出会ってからそう経たない。
まだ一ヶ月ほどだ。
現にカノンは香介をまるで信用していない。
それなのに。

イライラする。
「教えてあげない、自分で考えな。
ついでに五点減点」
「え~、なんで~!」
むかつく。
「自分で考えろって言ったろ」
心が安定しない。

「教えてくれたって……」
「いい加減にしろよ!」
香介が言い終わる前に、ついにカノンは爆発した。
叫び声はまるで大噴火のようだ。
赤いマグマがどろどろと噴き出すに違いない。
香介はびくりと肩を震わせて顔を引きつらせた。
目には涙が浮かんでいる。
すでに泣きそうだ。

カノンは叫んだのにちっともイライラが治らなかった。
泣きそうな香介を見ているとさらにイライラしてくる。
カノンはずっと敵に備えて気を張りつめているというのに、平気で神経に障ってくる子供。
ブレード・チルドレンは子供のままではいけない。
早く大人にならなければ。
早く大人になって、殺さなければ。
そうしなければ、先に殺されてしまう。
子供のままの香介が、カノンにはどうしても気にくわなかった。

「どうしてへらへらしていられるんだ……。
いつ殺されるかも判らないんだぞ。
今みたいに、仲間だと思っていた奴が急に牙をむくかも知れない。
僕たちは誰も信じちゃいけないんだ」
震えた声で諭すように呟く。

なのに香介は首を傾げる。
「どうして?」
カノンは顔がかっと熱くなった。
殴ってやろうかと思った。
拳を握る。
香介をにらみつける。
この子供だけはどうしても嫌いだった。
何かを刺激される。
カノンが覆い隠した、何かを。

香介は眉間にしわを寄せて、カノンをまっすぐ見ていた。
「信じられる人間はいるよ」
香介も拳をぎゅーぎゅー握っていた。
そんなに強く握っていたら、後で跡になるだろう。
「俺たち、仲間だろ?
俺たちは自分たちだけでも信じて良いはずだ。
俺は亮子も理緒もアイズもカノンも、みんな好きだよ。
信じてる!」
泣きそうなのが、声を聞いただけでも判る。
特有の、喉で詰まるような声だ。
声のトーンが高くて余計にキンキンして聞こえる。

目からは涙がボロボロ流れた。
涙をぬぐおうとはしなかった。
涙をぬぐえば視線が遮られる。
そうすればきっとカノンはどこかへ行ってしまう。
香介は何となく悟っていた。

数歩離れた距離を、互いに変えることはなかった。
近づきもしないし、離れもしない。
動きもしないし、動かされもしない。

香介は握り締めた拳を開いた。
手にしていた葉っぱはぐしゃぐしゃになってしまっていた。
爪の跡が付いて、あちこちに折り目がついていて。
どれだけ丁寧に引き延ばそうとも、元通りにはならない。
緑色の汁が手について、青臭い臭いを放っていた。
葉が地面に落ちる。

「僕らは」
カノンが口を開いた。
「僕らは確実な終焉に向かって歩いているんだ」
例え目の前に崖があると知っていても、立ち止まることは出来ない。
一本道なのだ。
吊り橋の上に近いかも知れない。
踏み外せば、やはり奈落の底。
引き返すことも出来ず、ただ死に向かって進むしかないのだ。
「夢も希望もない。
そんなものは、初めからなかった」
「それでっも!」
香介は涙を飲みこむ。
震える声を飲みこんで、しっかりとした息を吐いた。

「俺は夢見ることを、夢見る」

訳の分からない子供の理屈だ。
何度も夢を見ようとして、挫折してきたはずだ。
それがブレード・チルドレンだ。
夢を見ることが出来なければ、それを夢見ることも叶わず、返って絶望に落とされる。
子供というものは気楽で良い。
同い年のはずなのに、カノンはそう思ってしまった。

「そういうことにしてあげる」
夢を見られると思っている人間から、その夢を奪ってやる必要はない。
夢を見たければ見ればいい。
いつか絶望しかないことに気づくから。
「帰るよ」
カノンは香介の手を掴んだ。
葉を握り締めていたせいか、草の汁でべとべとする。
帰ったら念入りに手を洗わせなければならない。
あと、頬の傷もちゃんと処理しておかなければ、カノンがどやされてしまう。

手を引いても、香介は動かなかった。
振り向くと、香介はうつむいていた。
下唇を突き出して、すねているのが判る。
「……お前、納得してないだろ」
「そんなことないよ」
もちろん嘘である。
口だけなら何を言ってもタダだ。
証明する術などないのだから。
「ほら、早く。
亮子や理緒が待っているよ」
日本人の名前を出してやると、香介の足がようやく一歩動いた。
このまま引きずっていけばなし崩しに歩いてくれるなと、カノンは足を速める。
カノンの方が力が強いので、否応なしに香介は引っ張られていく。

いつもよりゆっくりした足取り。
ふてくされた香介がまだ渋っているのだ。
カノンはニコニコ笑ったまま、何食わぬ顔で歩いていく。
香介の手を千切れそうなほど握りつぶしていることなど、微塵も顔に出さない。
むしろ陽気に手まで振って歩いてみせる。

「カノン」
香介は抵抗を諦めたのか、少し歩調を速めた。
「何?」
ご褒美に答えてやると、香介はあっさり機嫌を良くする。
「明日も、ナイフ投げ見せて」
少し興奮気味にカノンの手を握り返す。
カノンは思わず笑みを歪めた。
相当曲芸が気に入ってもらえたらしい。
このままだと、実践演習がただの見せ物になってしまう。

カノンは本日二回大活躍したナイフを手に取る。
随分使い古したので、グリップの部分はけばけばしている。
パッと見には判らないが、カノンの手の形にすっかり変形していた。
刀身は毎日の手入れのおかげでピカピカと輝いている。
磨く、ということは当然削っている訳なので、新品の頃よりは心なしか縮んでいるように見えた。
そのナイフを、香介の開いた手に押しつける。
香介は一瞬取り落としそうになったが、しっかりとナイフを掴んだ。

香介は首を傾げる。
「これ」
「ナイフの練習しっかりやったら、見せてあげても良いよ」
「本当?」
単純なお子さまは、アメをちらつかせてやればすぐにきらきらと目を輝かせる。
「約束するよ。
ただし、生き物をしとめられるようになったらね」
「うん!」
提示された課題が酷く割に合わない物であることにも気づかず、香介はうきうきとステップを踏み始める。
あっと言う間にカノンを追い越して、今度はカノンの手がぐいぐい引っ張られた。
香介は判っていないだろう。
生き物をしとめるのが、どれだけ困難なことなのか。

これでちゃんと練習してくれるなら良いかと、カノンはあえて何も言わずに香介の足取りについていった。
夢を見させてやるのも悪くはないだろう。
子供の茶番につき合う気になるなど、カノンも多少は願っているのかも知れない。

ブレード・チルドレンにも安らかな眠りがあり、楽しい夢を見られるのだということを。

子供に影響されて頭がおかしくなったかな。
カノンは苦笑したかったが、顔はどうしてもにこやかだった。
夢見ることを夢見る。
それはこのことなのだと初めて感じ取った。

夢を見るのも悪くはない。
それは夢ではないけれど。
夢も希望も、ないのだけれど。

子供の時にしか見られない、とびきりの夢を、今だけは描いてみる。



ブレード・チルドレンに未来はないのだから。
せめて、今だけでも……。



END...   



唐突に思い立って二時間くらいで書き殴った小説。
きっと誤字脱字が大変です。
香介&カノンて結構好きなんですがカノンが描きにくいキャラなので今まで取り扱ってませんでした。
勢いに乗ってやっと書けた気がします。
過去話に当たりますが甚だしく捏造しまくっています。
悪しからず。