ソラノテガミ

My Day

 春先の草の絨毯は、まだ柔らかかった。たくましくのびていく前で茎もしなやかだ。背中をつけると、ひんやりする。上からは日がぽかぽかと照っていた。
 腕を頭の下で組み、投げやりに足を組む。バランスを崩しそうになったのですぐに足をほどいた。代わりに地面に投げ出す。
「はぁ」
 仰向けの状態で遙か高見にある太陽を見上げ、ラグナスはため息をついた。長めの黒髪が草に絡まる。少し頭の位置をずらすと軽く引っ張られた。髪をすくが草の端が指先をかすめる。浅く皮膚が裂けた。
「あれま」
 うっすらとにじみ出る血を軽くこする。小さな切り傷は、それだけですっと消えてしまった。
「間抜け」
 上から声が降ってきた。ラグナスが声のした方を視線で追う前に、誰かが彼の隣に腰を下ろす。草がかすかに音を立てた。
 ラグナスは視線だけを隣の人物に向ける。
「どうせ俺は容量悪いよ。だけど、教えてくれたって良いもんだろう。シェゾ」
 今はもう無い切り傷をなめて投げやりに地面に手を振り下ろす。草がクッションになって、衝撃が和らいだのを感じる。
 シェゾはあぐらをかいて空を見上げた。
「俺はそこまでお人好しじゃねぇ」
「だろうけどな」
 手に付いた草を一本引きちぎる。太陽にすかせば、かすかに葉脈が見えた。本体から切り離された今、朽ちていくしかない器官ではあるが。ラグナスが頭上で手を開くと、葉は指の間から抜けて泳ぐように草原のどこかに消えた。
「だけど」
 すねたようにラグナスは言う。
「逃げることはないだろう、一人で」
「逃げるぞ普通」
「わかってる」
 俺も逃げたかった、と付け加えて、ラグナスは上体を起こす。背中には草が大量についていて、黒いハイネックのシャツにはよく目立った。シェゾが鼻で笑う。ラグナスは疎ましげな視線を向けてから背中の草をはたく。
「おかげで昨日は恥をかいた」
 その昨日の出来事を思い出したのか、ラグナスはため息をついた。
 昨日は四月の初頭であった。四月一日。誰が決めたのかはわからないが、その日はうそをついても良いということになっているらしい。『エイプリルフール』とか言う、いかにも魔導世界の住人たちが好みそうなイベントだ。
 元来お祭り好きが多いため、昨日も大いににぎわった。皆これ幸いといわんばかりにうそをつく。うそをついても、誰にもとがめられない日だ。大人も子供もはしゃぎ回った。
 うそをついて良い日に嘘を信じる者はいないが、ごくたまに世間の狭いやつがっひっかかったりもする。シェゾなどが良い例だ。
 普段から日付などあってないような生活をしているために、イベントにはとことん疎い。自分の誕生日ですら知らぬ間に過ぎているのではないだろうか。四季が過ぎたから『また一つ年を取ったな』とか思うに違いない。だから例年ターゲットにされるのだ(今年はそれを予測して一日だけ遠くに逃げたのだが)。
 それでも、まるで何もわからないよりはましだろうかとラグナスは思った。
 彼は記憶がない。それどころか、かすかに覚えている映像はこの世界のどこにもなかった。異世界から来た勇者。ラグナスを示すキーワードは、そんな伝説めいた曖昧なものしかない。何のために来たのか。どうしたら元の世界へ帰れるのか。そもそも、自分はいったい何なのか。
 誕生日どころではない。自分の年齢すらも、ラグナスには定かではないのだ。
 当たり前のようにエイプリルフールで騒ぎ立てる仲間を見て、ラグナスは寂しくなった。自分がまるでわからないイベント。急に、自分がこの世界の住人でないことを実感してしまった。
 ラグナスは、エイプリルフールなんて知らないから、当然知人からの嘘に一日中振り回された。最後にはラグナスがエイプリルフールを知らなかったことでうそをついた者全員が謝りはしたが、ラグナスの中にはまだわだかまりが残っていた。
「俺も、つきたかったのかも」
「は?」
 立てた片足を抱え込む。膝の上にあごを載せ、ラグナスはニッと笑った。
「うそを」
 シェゾはしばらくラグナスを見つめた。無表情のまま、シェゾは微笑むラグナスを眺めていた。結局真意がわからず視線を逸らす。
「冗談はよしてくれ」
 顔をゆがめて額のバンダナをはずす。シェゾの銀色の髪がさらさらと風にそよいだ。それから額に浮かんだ汗をぬぐう。
「暑いなら薄着になればいいのに」
「アルルにもそう言われたよ」
 ひねた子供のようにつぶやいて、シェゾはまたバンダナを付けた。バンダナを取ると、意外と髪が長い。ラグナスにとってのサークレットのようなものだろう。マントに厳ついショルダーガード、魔導スーツを着込んだシェゾは、それこそラグナスが黄金の鎧を身につけて歩いているようなものだ。
 まだ長袖を着ていてもいい時期だが、シェゾは冬にも似たような装備だった。魔導で多少の温度は調節できるにしたって、奇妙だった。
「定住する気がないんだ?」
「ああ?」
 シェゾが不機嫌そうに「当たり前だろ」と返す。
「何でまたそんな話題を出す」
「どう見たって町で暮らす人間の見てくれじゃないだろう」
 どちらかといえば、旅人の格好だ。
「どこかに、すぐにでも消えて行けそうだ」
 現に昨日も、いきなり姿をくらました。エイプリルフールから逃れるためだ。その逃亡の直前にもラグナスはシェゾと会っているが、同じ服装だった。
「そのつもりだった。アルル・ナジャの様子を見るだけで、定住する気はなかったんでな」
 ものすごく他人のような口調にラグナスはどきりとする。記憶のないラグナスにとっては、今身近にいるアルルやシェゾはごく親しい人物にはいる。度合いはともかく、短い期間ではあるが一番つきあいが古いのはそのあたりの人間だ。
「だが」
 ラグナスの中で渦を巻くマイナス思考はシェゾの逆説によって止められた。
「そろそろ夏用の服もそろえんときついかもな」
 先ほどとまるで逆の返答に、ラグナスは目を見開く。旅人にはいろんな種類の服はいらない。多少の変化に対応できる服さえあれば、後は季節ごとに過ごしやすい地へと行けばいいだけの話だ。
「もしかして」
 ラグナスが聞くよりも早く、シェゾが言う。
「教員になった」
 ラグナスの目が点になった。
 風がささやかにながれる。冬の間にはなかった、懐かしい草のにおいが、野原の上を駆けめぐっていた。もっと季節が過ぎれば、むせかえるような緑のにおいと辺り一面に広がる新緑の葉があらわれるだろう。
 ひっそりとした冬とも違い、雄々しい夏とも違い、穏やかな季節だった。
 ひとしきり自然の中へ脳みそをとけ込ませてから、ラグナスは再び思考を整理する。
「えっと……」
 なおも言葉を詰まらせた。
「うそだろ!」
「何でだよ!」
 間髪入れずにシェゾの怒りの声が聞こえる。
「エイプリルフールは終わってるんだよ! 何で俺がアルルみたいなことをしなくちゃなんねーんだ?」
「わかったわかった、悪かったって」
 耳をふさいでシェゾから少し遠ざかったところで、ラグナスが言う。普段はそう自分から話そうとしない男だが、ふとしたことで決壊したダムのようにまくし立てることがある。趣味の魔導について熱く語っているときのそれともまた違う。これからは言葉に気をつけようと思ったものの、いったい何がシェゾの怒りを買うのかはわからなかった。
「教員になるってことは、魔導学校の?」
「それ以外ないだろう」
「何でまた? 何の気まぐれだ?」
「……別に」
 シェゾはここで初めて言葉を濁らせる。自分のことをべらべらしゃべりたくはないのだろう。ばつが悪そうに一言だけ吐き捨てた。
「母校だしな」
「へぇ」
 それ以上言ったらまた怒り出すぞ、とラグナスは感じた。曖昧にうなずいて終わらせることにする。アルルには言ったのかとか路銀がつきたのかと言えば、「よけいなお世話だ」と返ってくるのは目に見えていた。
 しかし思った以上にわかりやすいシェゾの人物像に、思わず微笑んでしまう。それをシェゾは見逃さなかった。
「何だよ」
「べ、別に」
 明らかに引きつった笑いを浮かべるラグナスを、シェゾはうさんくさそうな瞳で見る。ラグナスはひどくいたたまれない気持ちになったが、先にシェゾが視線を外した。ほっと胸をなで下ろす。
「おまえに」
 安心したとたんにまた言葉が降ってきて、ラグナスの心臓は跳ね上がった。汗のにじんだ手を服のすそで拭いて拳を握る。
「四月一日はピッタリなのかもな」
 ラグナスは顔を上げた。シェゾは遠くを見ていた。端正な横顔は無表情だった。
「虚像にまみれた日で、どれが真実だかわかったもんじゃない」
 その言葉を聞いて、ラグナスは沈んだ気分になる。
「俺には、虚像すらないよ」
「ここには」
 シェゾがラグナスを見る。片方の口角をつり上げて笑った。
「おまえにとっての真実はない。しかしその中で」
 マントを翻し、シェゾは立ち上がった。長身の彼をラグナスはしたから見上げる。黒い服に身を包んだシェゾは光にもなお照らせない闇のようだった。変わることのない闇。周りがどう流れていようと決して動くことがない。
 ラグナスは、シェゾの『重み』を知った。
「真実を、語る者があるかもしれない」
 そのままシェゾはさっさと虚空に消えてしまう。黒い闇があたりに広がったと思ったら、その中にシェゾは引き込まれていき、後に残った闇も残らず虚空へ消えた。空間を渡ったのだ。どこへ行ったかはしらない。しかしなぜ逃げたのかは、すぐにわかった。
「あ、ラグナス~!」
 知人の顔を見つけ、亜麻色の髪の少女が太陽のように笑う。夏の日差しのように一直線に走り出し、途中で転んだ。
 その体が地面に転がる前にラグナスが受け止める。少女は顔を上げて照れたように「ありがとう」と言った。
「どういたしまして、アルル」
 シェゾはいつまでたってもアルルに弱い。だからアルルがくる前に逃亡したのだ。他人に助言を与えた直後の逃亡では全く格好が付かない。ラグナスはとてもとてもおかしくて、笑ってしまった。アルルが不思議そうな顔でラグナスを見つめる。しばらくして、なぜか一緒に笑い出してしまった。

 その光景が遠目に見える森の中、木々の上で、シェゾは苦笑した。
「あいつら、また訳わからんことで笑ってるな」
 本当によく笑う。シェゾは元来頑固で真面目な性格のため、物事には白黒つけたがるが、この訳のわからなさは心地いいものに思えた。曖昧なのに妙な安心感を覚える。それはおそらく確固たる理由がないゆえに揺らぎようがないからだろう。
 どうでもいいのだ。曖昧だろうと、うそだろうと、虚像だろうと、関係ない。楽しければそれがいい。シェゾにはその雰囲気は受け入れがたかったが、魔導世界の住民には大切なことだった。
 だからエイプリルフールはにぎわう。みなでうそを付き合う。大人も子供も関係なくはしゃぎまわる日だ。真実も何もかもすべてをかなぐり捨て、自由になれる日なのかもしれない。誰しも、息を継ぐときがあるものだ。
 魔導世界にの人間ならきっと受け入れる。たとえラグナスがよそ者でも、たとえいずれは去っていくものでも。彼とともにいることが楽しい、それこそが重要なのだ。
「ラグナス、お前はここにいてもいいんだぞ」
 シェゾは思う。すぐにでも旅立っていきそうなのは、ラグナスのほうだと。
 ラグナスは帰郷を願っていることだろう。魔導世界が彼にとって安らぎの地であっても、ラグナスがいるべきなのは、ラグナスが帰るべきなのは、ここではないのだから。
 それでも。
 ラグナスは今ここにいる。それは変えられようもない真実だ。
 ラグナスがこの世界に迷い込んできたのと同じように、道はつながっているはずだ。その道はこの世界のどこかにあって、確実に進むべき方向へと導いていくだろう。
 なるようになるだろう。
 アルルならきっとそう言うであろうし、不思議と、シェゾもそのとおりになるような気がした。

 うそつきの日は、俺の日にしよう。誰も本当のことなんていいやしない。いやなことも全部投げ捨てて、うその世界に溶け込んでしまおう。
 ひどく投げやりなたった一日だけの逃げ道。その中に足を踏み入れた瞬間、真実とか何もかもが、すべて関係なくなるんだ。
 一人だけ、偽者のように思えていた俺が、うそのように溶け込んでゆく。
 この日だけ、俺は本当にみんなの仲間に慣れそうな気がするんだ。
 だからこの日を俺の日にする。
 俺が、この世界の住人になった日だ。
 記憶のまるでない俺だけど。
 四月一日が、この世界での、俺の誕生日なんだ――。


FIN.   

 ラグナスの話は書きやすいです。設定曖昧だし性格曖昧だしいいところばかりです(ほめてるんですよ)。オリジナルが一番書きやすい人間なので、公式設定が曖昧なキャラほど書きやすいんです。
 ラグナスは作品によって性格が真っ二つに分かれるんですよね。子供版と大人版の違いとでも言いますか。でもぷよぷよSUNと真魔導物語のギャップは別人です。
 どう解釈しろというのだ。ぷよぷよは世界観が謎です……。