ソラノテガミ

太陽の瞳

金属音が、鳴り響く。
一つ、二つ、三つ、四つ。
剣と、鋼のように硬い爪は、もう幾度と無く衝突し合った。

目の前に対するは、人間の倍はある獣。
狼人間を巨大化させて、ハリネズミのような毛を生やしたような奴だ。
体には、いくつもの傷跡が刻まれている。
俺が刻みつけた、剣の傷跡。

獣が、体を捻り、腕を振るう。
しかし、腕は俺の剣に止められ、逆に奴が傷付くだけだった。
「本当、しぶとさだけは認めるよ」
また増えた傷跡を眺め、俺は薄ぺらく呟いた。

俺は、不意に大きく後ろへ飛んだ。
間合いを狂わされた獣が、やや戸惑いの色を見せ、瞬間的に動きが鈍る。

俺は感じていた。
背後に生まれた、光を。
いや、生まれるであろう、力を。

「ジュゲム!」
果たして、聖なる光の魔法は、放たれた。



目映い、光よ。
純粋な光よ。
命に降り注ぐ、女神よ。

君は、生命の息吹を与える。
活力を与える。
俺にも、魔物にも、全ての生き物達に。
光の溢れる世界に、俺達は生きている。

光よ、直視すれば、目が潰れてしまう程の、光よ。
俺は君を見ることが出来ない。
目が痛くなるんだ。
目が潰れてしまうんだ。
それに。
見えてしまうんだ。
醜く血に染まった、自分の姿が。

光よ、どうか、光よ。
輝かないでいて欲しい――。



俺は、魔物の血に濡れた剣を、布で一拭きし、鞘に収めた。
白い布に赤いシミが出来る代わりに、剣は金属特有の光沢を取り戻す。

「ありがとう、アルル。
あの魔物を一撃で倒すなんて、また腕が上がったんじゃないか?」
布をおもむろにたたんで、ポケットにしまいながら、俺はいつもの笑顔を作った。

アルルも、同じく微笑みを返してきた。
「ううん、ラグナスがたくさんダメージを与えていたからだよ!
ボクの力だけじゃ、到底無理だった。
こっちこそ、ありがとう」
純粋な言葉は、笑顔と共に、光をまき散らして見えた。

俺は緩やかに笑いながら、適当に返事を返す。
そして、すぐに視線を別の所へやる。
あまり、アルルを直視していたくはなかった。

光は、俺にはまぶしすぎる。

「さて、そろそろルルー達と合流しよう。
二人とも待っているだろうからね」
動きが不自然に見えないように、言葉を飾り付けた。
自分では逆に、異常に不自然に思えたけれど。
アルルは、少し何かを言いたげにしたが、結局何も言わずに頷く。
それを見て、俺は安堵すると共に、胸の奥に黒い靄が出来た。

ああ、何て綺麗な存在なのだろう。
ああ、何て汚い物なのだろう。

少し、俺は顔を歪めた。
アルルには、気付かれないように。
気付かれたくない、これ以上。

俺を。
照らさないで欲しい。

ごまかすように、俺はゴツゴツした岩場に、背を向けた。
上には岩の壁、下には無造作に岩ばかり転がった、斜面が広がっている。
二つの岩場に挟まれた、微かな平面地帯に、俺達は立っている。
ここは、ヒトゥルア高原の、山岳地帯。
世間では今夏真っ盛りであるため、避暑にと、俺達は訪れていた。

特に何もない土地だが、涼しくて良い所だと思う。
むしろ、何もない方が、かえって俺は落ち着いた。

メンバーは、旅の途中であったため、いつもの5人組だ。
アルル、ルルー、シェゾ、俺、それに、カーバンクル。
カーバンクルは昼寝中だったため、今はアルルの肩ではなく、ルルー達の所にいる。

最初は、ピクニックのつもりでいた。
高原にぽつんと建っていた店で、適当な食料も買った。
草原の方までやって来たところまでは、まさにピクニックだったのだ。
そこに間が悪く、魔物さえ現れなければ。

考えてみれば、人の少ない地には代わりに別の物が住んでいることが多い。
だから、予測しておくべきだったんだ。
いや、予測はしていた。
しかし、何せメンバーがメンバーなので、襲われても対処のしようがいくらでもあった。
だからこそ対策を疎かにした。
結果、もっと面倒臭いことになったワケなのだけど。

今戦っていた魔物は、針穴熊という奴で、すばしこく、岩を掘り進んで移動できる。
簡単に片付くと思っていた戦闘は、思わぬ所で長引き、岩場まで来てしまった、というわけだった。

「思えば、結構時間食っちゃったからねぇ。
確かに速く行かないと、二人とも怒りそう」
アルルのぼやきを上に、俺は岩場をひょいひょいと駆け下りる。
後から気付いたアルルが、慌てて追いかけてくるのが判った。
「ちょっとラグナス、待ってよ~!」
言う中に、緊張感はあまり含まれていない。
逆に、楽しんでいるという感じがあった。

安定した岩場を、駆け下りていく。
一応は安全だし、スリル感もあるから、確かに楽しいかもしれない。
俺は勢いに任せてどんどん降りていってしまいたかった。
が、アルルが追いつけるように、わざとセーブする。
アルルは程なくして、俺の横に並んだ。

「楽しいねぇ!」
身軽な体を弾ませながら、アルルは嬉しそうにけらけら笑う。
心が、暖かくなる。
同時に、ちくりと痛む。
「気を付けろよ? アルル」
自然に出てきたのは、結局いつもの俺な言葉だった。

胸が痛んでも。
いつもの俺自体が、刺だらけの心を持っているから。
気になることはない。
残酷な、最も俺の味方をしている、“日常”という名のシステム。
俺を写す、鏡のような物か?

俺は、白っぽい岩場を駆け下りる。
緩やかな斜面。
先には、だんだん緑色の絨毯が見えてくる。

なのに。
闇の中へ、落下しているような気分になるのは、気のせいかい?

上からは、太陽の光がギンギンに降り注ぐ。
本当の俺を、さらけ出してしまうかのように。
光が、強い程に。

俺の足下にある黒い影は、よく見える。
穴が空いたように黒い影の穴は、一体何処まで続いているのだろう。
落ちていく中で、俺はそんなことを考えていた・・・。



「ねぇ、ラグナス。
どうして――」
だからその時紡がれたアルルの呟きも、闇の中に、かき消えた。


***


ここはどこだ?
俺はまず、そう問いかけた。
声にはならなかったが、何故だろう、問いかけは誰かに通じたような気がした。

俺は、気付けば真っ暗な場所にいた。
闇、ではない。
何かもっと、騒々しかった。
生き物がいるという気配でもない。
禍々しい、“感情”みたいな物が、渦巻いている。
そんな感じだった。

俺は、おもむろに手を伸ばす。
単なる好奇心だ。
何も見えないこの場所で、確かに存在する者はあるのだろうかと。

手に、人肌の感触があった。

俺はすぐさま手を引っ込める。
“俺”はにぃっと笑みを浮かべた。
「ようこそ、俺。俺の心の奥へ」

暗闇の中のはずなのに、何故かはっきりと見えた。
目の前には、俺の顔があった。
赤黒い血で顔面を染めた、首から上。
前髪に埋もれた目だけが、白くボンヤリと光っていた。

「そうだな、君は俺を直視するのは初めてだったか」
“俺”は、楽しそうに口を開く。
「俺はいつも君の中に在る。君に付きまとう、君に光が注ぐ限り」
ふざけるな!

叫んでから、疑問が湧く。
どうしてだ? 嘘だなんて根拠はないだろう?
そもそも、信じなければ、ありもしない物に感情を抱くことなど無い。

本当は、判っていた。
「図星を指されたようだね」
その通りだった。
光に照らされた、俺。
足下には、黒い影。
影の中に、落ちた自分。
その中にいるのは。

俺。

ああ、ついに見えてしまったんだ。
俺が。
光に照らされて。
ああ、誰も見ないで欲しい。
俺を、俺を、影のだけでなく、俺を。

見られたくないのなら、いっそ。
「消えてしまおうか?」
それも良いかもしれない。
「いなくなってしまおうか?」
出来ればそうしたい。
「出来るさ。簡単なことだ」
じゃあ、そうしよう。

俺は、黒いナイフを手に取った。
自分の手であるかのように、同じ温度を持っていて、感触だけが判った。
これを、胸に突き立てるだけ。
それでおしまい。

「ばいばい」
“俺”は、白い瞳に黒を宿した――。



胸に、ナイフは刺さった。
激痛が走った。
何故だろう、何故か、頭が痛い。
吐き気がする。
熱い。

走馬燈は走らなかった。
割と期待していたのに。
もしかしたら、失われた記憶が、戻るかもしれないって。
家族とかに、記憶の中だけでも、また会えるかもしれないと。

うっすらと、色が見えてくる。
俺は、思わず目を凝らした。
青がまず、大半を占領する。
次に、白、銀、茶、黄、濃い青・・・・見慣れた色が見えてきた。
何処で見た色だろう。
記憶を辿ってみる。

浮かんだのは、亜麻色の髪を持つ、少女。
太陽のように、輝く瞳を持った。
でも、顔までははっきりと思い出せない。
いつの頃からか、最も近くにいる仲間の一人だったのに。

よく共にいるようになった、他の仲間のことは、思い出せた。
でも、彼女のことは判らない。

いつの頃からか。
俺は、太陽の瞳を、見なくなっていた。
逃げていた。
思い出せなくなる程に。

「ラグナス。どうして」
闇に落ちる前に、彼女が呟いた言葉を思い出す。
その後には、何て言っていたっけ?
聞いていなかったような気がする。
聞いたけど、忘れたような気もする。

「どうして」
その言葉の後は。

「ちゃんとボクの顔を見て、話してくれないの?」



そうだ、どうして忘れていたんだろう。
聞こえない振りをしていたのだろう。
光を恐れて、俺は目をそらしていた。

光を直視すれば、目が焼けてしまう。
そんな物は、単なる言い訳だった。
彼女の瞳を見て、俺は傷付いたのか?
いても立ってもいられなくなったりしたか?

傷付いたのは、彼女の方だ。
逃げていた俺に、怪我をする要素は何処にもなかったんだ。

ごめん、アルル。
俺、弱くて。
自分のことしか、考えられない奴で。
今まで、気が付かなかった。
アルルが、言葉に出して訴えかけるまで。

「ねぇ、ラグナス。
どうしてちゃんとボクの顔を見て、話してくれないの?」

もう、目をそらさない。
逸らしちゃいけない。
傷つけたく無いから。

少しだけ、思い起こされる、過去の記憶。
俺はのどかな村に住んでいた。
だけどそこには魔物がいた。
みんなの笑顔は、いつしか陰りを見せるようになっていて。
絶対に、本当の笑顔を取り戻してやる。
強く、思った。

誰かを守りたい。
俺はそう思って、自ら勇者になったんだろう?

俺は、目を開いた。
自分から選んだ道を、見据えるために。
自分が向かう未来に、進んでいくために。
自分の守りたい人達を、救うために。

そして、光を見た。



光を見た。
目映い、光、純粋な光を。
直視しても、目が潰れることのない光を。
俺は初めて君を見た気がする。
実際は、いつも側にいた君を。

見えてしまうんだ。
何が?
醜く血に染まった、自分の姿が。
違う。
俺は、“見ていなかった”んだ。
俺達に降り注ぐ光の後ろに、何があるのか。

太陽の瞳は。


***


パシンッと、頬に軽く振動があった。
温かい手が、頬に触れている感触がした。

「ラグナス」
名前を呼ばれた気がして、俺はうっすらと目を開ける。
青と、より濃い青が、目の前にあった。

俺は、すぐにその青が空の色だと気付く。
曇り一つもない、太陽だけが我が物顔で占領している、空。
程良く濡れた、冷たい空気のおかげで、日差しはそれ程気にならなかった。

目の前には、さらさらと青い滝が落ちてくる。
いや、滝じゃない。
ルルーの長くて青い髪が、俺の頬に掛かる。
毎日念入りに手入れをしているのか、つやつやさらさらしていて、気持ちいい。
俺は思わず手を伸ばし、ルルーの髪の毛に触れた。

「ラグナス! 気が付いたのね?」
俺の動作に気付いたルルーが、安堵の息を漏らす。
髪の毛を触ってしまった後、女性相手にはマナー違反だったかと後悔したが、
彼女は気にしなかったようだ。
俺も彼女とは違う意味で、安堵する。
同時に少し、得した気分にもなった。

よくよく見れば、ここは先程ルルーやシェゾと別れた場所だった。
通りで、ルルーがいるわけだ。

疑問になる前に解消された謎の代わりに、新たに疑問が浮かぶ。
ではどうして俺は、ここにいるのだろう?

意識してみると、俺は今草の上に寝転がっている状態だと判る。
これも疑問だ。
そういえば目が覚める直前まで、夢を見ていたような気もする。
一体何が起きたんだ?

訳が分からなかったので、俺は取りあえず身を起こそうとした。
「まだ、あんたは寝てなさい」
直後、ルルーに制止の声を掛けられる。
仕方なくまた寝転がった。

頭の下に、ヒンヤリとした草が当たる。
心地良さに身を預け、俺はボーっと風景を見ていた。
近くでは、アルルとカーバンクルがはしゃいでいる。
シェゾは、アルル達の近くで横になっていた。

上には青い空。
周りには、広がる、黄色の岩場。
下には、緑の草原。
色鮮やかな世界であった。
心地よい世界。
剣を握る俺にとって付いて回る“赤”の色は、何処にもなかった。
それだけで、落ち着く。
ここには生が溢れている。
生が。

俺は、緑の香りがする空気を、思い切り吸い込んだ。
頭の中がすっきりして、意識がしっかりしてくる。
少し、意識の途切れる前後のことも思い出した。

俺は、岩場を下っている時に、急に意識が真っ暗になったんだ。
その後、夢を見て。
気が付いたら、ここにいた。

恐らく、ぶっ倒れでもしたのだろう。
そう確信し、俺はそのことを口にしてみた。
するとルルーは肩をすくめて、呆れたように口を開く。
「ええ、暑さにやられたんだか知らないけど、急に倒れたそうよ。
アルルが慌てて一人駆けてきた時は、こっちも驚いたわ」
原因も状況も知らない俺は、ただ「ごめん」と返した。

「それは、お前をここまで運んできてやった俺にも言って貰いたい言葉だな」
今まで横になっていたシェゾが身を起こした。
首をコキコキと動かして、背伸びをし、立ち上がる。
妙にジジ臭く見えて、俺は少し吹き出した。

相手の反応が来るよりも速く、俺は口を開く。
「ところで、俺、一体どうなったんだ?」
ルルーとシェゾは、顔を見合わせる。
ルルーが首を横に振ると、シェゾは呆れた顔をした。
まったく覚えていない俺に対しての顔だろう。

よくよく思えば、確かに情けない話だ。
記憶の片隅にある、“勇者”という呼び名に相応しくもない。
どころか、かけ離れている。
無性に悲しくなってきて、俺は顔をしかめた。

シェゾはまた、呆れ顔を作る。
俺の方へ向くと、シェゾは同じ顔のまま言った。
「お前が倒れた後、アルルが知らせに来てな。
ぶっ倒れたお前の症状が熱射病に近かったんで、涼しい草原の方へ運んできたんだ。
岩場は白っぽかったから、輻射熱があって熱かったんだろう。
その時ここまでお前を連れてきたのが、俺ってワケだ。
判ったか?」
俺は小さく頷く。

続けて、今度は別の言葉を呟いた。
「ありがとう」

弱々しい言葉だと、自分でも思った。
でも、下手に言葉を飾るより、余程伝わりやすい言葉を選んだつもりだ。
下手な兵器を並べるより、闇が恐ろしく思えるのと同じく。
下手に慰められるより、闇の中がより安らぐように。

きちんと言葉が伝わったからだろう、シェゾはやりにくそうに頬をかいた。
ルルーは、優しげな笑みを浮かべている。
シェゾはついに俺に背を向けて、反対方向へ行ってしまった。
いや、照れ隠しの行動であるには違いないが、目的は別の所にあったようだ。
彼はアルルの所へ向かい、俺の方を指さす。
ここからでも、アルルの輝いた表情が見えた。

「ラグナス! 良かった、大丈夫だったんだ!!」
光は輝きを放ちながら、駆け寄ってくる。
俺を、照らしながら。
俺は、瞬きを一つした。
純粋な、笑顔だった。
笑顔は喜びと安堵にのみ支配されて、輝く。
目に見えるのに、見えない光だった。

光は、照らす。
照らせない光は、与える。
見えることのない光は、照らす物ではなく。
与えられるもの。
安堵を、癒しを。

アルルの後ろでは、シェゾが緩やかな笑みを浮かべていた。

「平和、だな」
何故だかそのフレーズが浮かび、俺は気付かぬ内に口にしていた。
誰にも聞かれることはなく。
直後にアルルが、泣きながら色々な単語を並べ始める。
最も力を持った、単体の言葉を。

一つ一つが心に届いて。
だけどもう、純粋さを感じて心が痛むことはなかった。

「アルル」
俺は、アルルの目を見た。
涙が浮かんでいる、無垢な瞳には、俺が写る。
「ごめんな」

やっと、言えた。
やっと、ちゃんとアルルの目を見て、伝えることが出来た。
やっと、アルルは笑ったんだ。
「ありがとう」

気付けなかった。
太陽の瞳に、陰りがあったことを。
人々の笑顔にまとわりつく陰りを、取り除きたかったはずなのに。
でも今はもう、平気だよな?
気付かなければ、気付かせてくれた。
そうして、補い合う、仲間。

光に目を逸らさずに、前を見れば。
仲間と一緒に旅を続ける、俺の姿が見えるような気がした。

空を見上げれば、太陽だけが輝き。
存在する俺達は、等しく影を造っている。

太陽の瞳にはもう、陰りは、無かった。



FIN.   


魔導物語系統の話が少ないな~、ということで、無理矢理造りましたお話です。
テーマは、「目の前にある物の奥に、隠れている物」でしょうか。
つい、目の前にある物に捕らわれがちになることが多いですが、
本当はその奥に色々な物が含まれています。
でも、なかなか人は、そのことに気付けません。
一人でそのことに気付くのは、難しいと思います。
そんなときに、側にいる人が瞳となり、物事を見ることが出来たら、
色々なことに気付けるでしょう。
すれ違い合い、衝突し合い、笑い合いながら。
辛くなるときもあるけれど、その先にはきっと何かがあるでしょう。
そんな仲間同士の姿を、年齢の若いアルルとラグナスで書いてみました。
テーマに設定しました内容が、少しでも伝われば嬉しいです~!