ソラノテガミ

Take out

雨の日は、はっきり言って複雑な思いだった。
何せ、部活が出来ない。
室内で基本的な基礎トレーニングをするだけで、投げることも、走ることも出来ないのだ。
学校に部活をしに来ているようなものである山本にとって、かなりの大問題だ。

いっそのこと、中途半端な活動などせず、さっさと帰ることができたらいいのだ。
そうすればツナと一緒に帰れる。
ツナも獄寺も部活に入っていないため、山本が部活のある日はたいてい一緒には帰れない。

腕を痛めていた時期が懐かしかった。
あの頃は毎日ツナたちと一緒に行動できた。
野球という楽しみが半減する雨の日は、無性にあのにぎやかさが恋しくなった。

途中まで野球部の仲間と一緒だったが、山本と家の近い奴は、親の迎えが来ていて別に帰ってしまった。
いつもより一人で帰る距離が長かった。
みんなでワイワイするのが好きな山本は、一人でいる空間はやけに重々しく感じた。

水たまりを気にせず歩く。
スニーカーはすでに水をたっぷり含んでいた。
歩くたびに奇妙な感覚がする。
しかし、ここまで思い切ってぬらしてしまうと、むしろ気持ちがいいものだ。
水たまりを見つけてはあえてそこを通っていった。
冷たい水が足を絡めていく。

制服ズボンの裾が濡れていて、足にへばりつく。
傘を差していても、足元にはまるで効果がない。
大粒の雨が足に当たって、さらに濡れていく。
ジャージで帰るべきだったかと後悔した。
明日までに乾くかどうか、疑問だった。

いつもより早く景色が通り過ぎていく。
話しながら歩いていると、ずいぶん歩調が遅くなるのだなと実感した。
それなのに、一人で歩いている時の方が、ずいぶん時間が長く感じられる。
この、重苦しい空気のせいだろうか。

雨の音が耳障りだった。
傘に当たる音が特にうるさく響く。
水気をたっぷり含んだ空気は重たい。
あまり呼吸をしたくないな、と山本は思った。

後何分くらい歩けば家に着くのだろう。
ふとそんなことを思う。
今まで計ってみたことがなかったから、家から学校までの時間なんてよく判らない。
十五分くらいであろうか。
だとすると、家まで後――。
やっぱりよく判らなかった。

あれこれ考えていると、雨のせいか、気分だけが重くなっていく。
考えることを放棄すると、足取りが重くなっていく。
水分を多分に含んだ靴は物理的にも重い。
傘を閉じて、全力ダッシュしようか――とさえ思う。
だけどそうすれば風邪を引くのは目に見えていて、もっと暇な安静状態を言い渡されるだろう。
それは嫌だった。
だから意識的に足を速めるだけにとどめる。

避けることもせず、水たまりを突っ切る。
茶色くなった水がはねる。
ズボンの裾を遠慮なく汚す。
水たまりを蹴り飛ばすと、盛大に茶色のしずくが舞った。

「うわ」

小さな声が聞こえる。
あまりにも小さくて雨の音に紛れてしまいそうだったが、山本はしっかりと聞いた。
どこかで聞いたことのあるような声だったからだ。

足を止める。
ぐるりと辺りを見回すが、人影はなかった。
降りしきる雨に突き刺されて、寒そうにしている、動かない家並みがあるだけだ。
コンクリートに覆われた世界は、雲までも灰色で、モノクロのようだった。
屋根だけが鮮やかで浮き上がっている。

中途半端な時間に部活を切り上げたせいで、道行く人は誰もいなかった。
買い物に行くには早すぎるし、部活が終わるには早すぎる。
社会人が仕事を終えるのはもっと後だし、小学生はとっくに帰宅している。
山本がぽつんと家に混じってたたずんでいる。
他に立っている物と言えば、電信柱くらいのものであった。

山本は首を傾げた。
確かに聞こえたと思ったのだが。
気のせいかと思い、進行方向に向き直る。
すると今度は、小さなくしゃみが聞こえた。

どうも先程から声のする方向がおかしい。
下から聞こえる気がする。
不思議に思いながら足元に視線を下ろすと、至極納得した結果が得られた。

黒い、綿のような物体が丸まっていた。
日本の角のような物が突き出ている。
突き出た手足は小さく、白と黒の斑模様。

見覚えのある生物に、山本は小さく呟いた。
「確か、ツナの所のチビ……」
聞こえたのか、ランボはおもむろに顔を上げた。
顔は歪んでいて、濡れていた。
雨のせいか、それとも泣いていたせいか。
おそらく後者だろう。
短く息を吸いこんで震えている。

山本は屈んで、傘を傾けた。
ランボが雨で濡れないように、中に入れてやる。
目の前の人物が知った顔なのを見て取って、少し驚いたようだった。
黒い瞳を山本に向けている。
山本はランボの頭を優しく撫でた。
どれくらい外にいたのか、髪はぐしょぐしょで、絞ったらスポンジのように水が出てきそうだった。

「どうしたんだ」
聞くと、ランボは首を横に振る。
「ランボさんは、泣いてなんかいないんだ」
泣いているのは明白だったが、山本は黙って頷いた。

大方、リボーンに暗殺を仕掛けて、返り討ちにあったのだろう。
心なしか、服が赤っぽく染まっている部分があるように思えた。
今はもう血は止まっているようで、雨に混じる色はない。

ランボは目元をぬぐう。
全身がずぶ濡れなのであまり効果はない。
嗚咽を飲みこんで、代わりに言葉を吐き出す。
「が・ま・ん……」
言いながらもさらに泣き出しそうな雰囲気だ。
声は震えている。
歯をかみしめて、必死で震えを抑えていた。

山本は頷く。
「うん、お前は偉いな」
ランボがパッと顔を上げた。
大きく瞬きをすると、まぶたから一筋の涙がこぼれ落ちる。
ランボが慌てて涙をぬぐう。
口を一文字に引っ張って堪えている。
それが無性に微笑ましかった。

「泣かないで、偉い。
それでこそ男だ!」
ニッカリ笑って言ってやると、紫色だったランボの唇に朱の色が現れた。
朱は頬を浸食し、広がっていく。
あっと言う間にぽかぽかとほてってしまった。
まるで太陽のようだ。
ランボはニッカリ笑うと、「うん」と答えた。

ふと、ランボが寒そうだなと思った。
山本は鞄を探る。
いつもは部活用鞄を持っているので、鞄は二つだが、今日は朝から雨が降っていたので一つだ。
自分が使ったタオルを引きずり出すと、ランボの頭に載せる。
普段は部活の汗を拭くのだが、今日は水を拭き取る程度にしか使わなかった。
たぶんそんなに汚れてはないだろう。
タオルでランボの頭を包み込み、わしわしと拭く。
あっと言う間に水が染みこんできて、やっぱり最初に絞っておくべきだったかと後悔する。

服に染みこんだ水気はなかなかとれない。
上から軽くタオルで叩くと水分を吸い込みはするが、布はたっぷりと雨を吸収してしまっていた。
濡れた服を着たままではやはり寒いのだろう、ランボの体が震えているのが判る。
全身を覆うような服を着ているのでよく判らないが、触れた頬は冷たかったから、体もずいぶん冷えてしまっているに違いない。

山本は眉をひそめた。
「家は近いのか?」
ランボは小さく頷く。
「この近く」
涙声を飲みこんで、ぽつりと言った。
山本は後頭部を掻く。
短い髪がバラバラと手のひらを滑る。

「もしあれなら、うち寄っていくか?」
山本の提案に、ランボは目を丸くした。
……元々目が大きくて丸いから、驚くと本当に目が丸くなる。
山本は感心しながらそれを眺めていた。

ランボはどう反応するべきなのか迷っていた。
寒いし冷たいし、濡れた服は気持ち悪い。
一刻も早く立ち去りたいところだが、家までは少しかかる。
だけど、他のファミリーの人間に手を借りるのは、小さなランボとはいえはばかられた。
しかも相手は標的であるリボーンの仲間だ。
ほいほい付いていったらボスに何とどやされるか判らない。

ランボは山本を見上げる。
中学生にしては背丈の高い山本の頭は、ずいぶん上にある。
ランボが首をいっぱいいっぱい曲げているのを見ると、山本は背中を丸めて視線を下げた。
「どうしたー?」
その笑顔は、悪意などみじんも感じさせない。
そんなものはないのだろう。
いい人だ。
ランボは全身でそう感じていた。

悪意以前に、そこには何の意図も含まれていないだろう。
思いついたから言った。
それがいいような気がしたから、特に考えずに提案してみた。
いつだって思考と行動は直結している。
まっすぐで屈託のない山本に、変化球は投げられなかった。

山本になら付いていっても良いような気がした。
いざとなったら、敵に取り入ってから標的を狙うのだと言い訳すればいいことだ。
ランボの小さな頭の中に言い訳がかすめて、頷く。

「い、行く!」
気づけば少し大きめの声で言っていた。
今度は逆に山本の方が少しばかり驚いたようだ。
すぐにその表情は笑顔に変わる。
「そうか、そうか。
歓迎するぜ!」
ランボの頭を思い切りなで回す。
口調は嬉しそうだった。
ランボは温かい気持ちになる。
ランボも、とっても嬉しかった。

山本はランボを片手で抱きかかえる。
濡れた服が山本のシャツも濡らすが、気にする様子はない。
しっかりと胸元に押さえて抱え込む。
ランボは山本のシャツを握り締めた。

「それじゃ、行きますか」
山本が歩き始めて、ランボは歩調に合わせてゆらゆら揺れる。
ゆりかごのようだ。
左へ揺れ、右へ揺れ、ゆっくりと進んでいく。
山本の首元に頬を押しつけると、温かかった。

山本のシャツは、一度行ったことのある、寿司屋のにおいがした。
おいしそうで優しいにおい。
腕の中にいるととても安心した。

それは、まるで、母親のよう。

ランボは山本にしがみつく。
山本はしっかりとランボを抱きかかえた。
山本の家まで、後数百メートル。

ぽつりぽつりと流れる雨が、今日は何だか温かかった。


Fin.   


本当はこのままランボが山本の家に住み着くところまで書きたかったのですが、気力が尽きたのでカット(そればっか)。
簡潔な小説が書きたいです。
ランボが山本の家に住み着けば、ランボと山本の可愛らしいツーショットがいつでも見られるわけですよ!
ランボはもう山本の家の子で良いと思います。