ソラノテガミ

 水がはねては雫が舞う。雫は水の中に戻り、波に消える。
 見える景色といえばいつも同じだ。広がるのは海。穏やかに風に揺れて小さく波の山を作る。
 波が浜に積み重ねられたパイプをなでる。塩水にさらされた金属はさびて腐っていた。割れた木片が水にふやけて色を変える。波打ち際には、木屑がたくさん浮いていた。
 廃船島、そう呼ばれる小島には、山のようなガラクタが積み重ねられていた。地面は見えない。かつて大海原をたゆたった船の残骸こそが、この島の地面だった。
 でたらめに突起した廃船の密林。その中を、すべてを知り尽くした原住民のように小さな影が走っていった。地面から突き出たパイプを避け、腐った木の板を飛び越え、パイプが積み重なっただけの地面に危なげもなく着地する。かすかな音を立てて地面が少し動いた。小さな影は地面を蹴ってまた次の地面へと移動する。
 水色の髪が潮風になでられる。癖毛なのか、完全に逆立っていた。落ちてくる前髪を止めるようにしてゴーグルをつけている。細身の、しかししっかりとした体に、アロハシャツを引っ掛ける。海水パンツを履いていた。それが、小さな影、フランキー。
 フランキーは一目散に廃船島の先にある橋を目指していた。正確には、橋の下に隠れるようにして存在する、小さな扉だ。トムズ・ワーカーズ。扉の横に掛けられた看板には、そう書かれていた。
 トムズ・ワーカーズは小さな造船会社だ。従業員はたったの四人。社長と、秘書と、フランキーと、もう一人の少年。あとはペットの蛙がいる。小さいがフランキーの誇りの店だ。社長の腕は世界一だと思っている。確信している。
 フランキーは木の板を蹴って、高く高く突き出たパイプに飛び乗る。パイプの上を駆け上がった。今にも傾きそうだが、実際には微塵も動かない。勢いを殺さず、フランキーはパイプの頂上にたどり着く。先端を蹴った。
 宙へと舞った。小さな影が水面に映る。潮風を全身で受け止めるようにして、フランキーは両手を伸ばした。わずかな滞空時間、フランキーは空を飛んでいた。
 数メートルを移動して、目の前に橋の柱が近づいた。橋に埋め込まれた扉に、簡素な足場が付いている。フランキーは手を伸ばした。足場をつかむ。そこを軸に、フランキーは柱を蹴飛ばして体を回転させる。足場の上に着地した。
 ノックをすることもなく扉を開けた。船一隻入るのがせいぜいの、小さな倉庫があった。半分が水路で、半分がつぎはぎ模様の床だ。
 倉庫の中をづかづかと横切り、フランキーは倉庫の壁に付けられた鉄扉を押し開ける。
「ヨォォ、起きてるかー!」
 威勢のいい声とともに、錆びた鉄扉が悲鳴を上げた。二つの音が狭い室内に響き渡る。一人の女性が振り返った。
「おやま、フランキー。どこへ行ってたんだい、早くに起きて。朝食ならもうすぐできるよ」
 すらりと背の高い女性。ウェーブがかかった髪は肩まで伸びる。がっしりとした腕に白い皿を載せて、小さな机の上に並べていた。トムズ・ワーカーズの美人秘書として名高い(と思う)ココロだ。
 部屋の脇には三つの机が並ぶ。ダイニングルームを兼ねた製図室だ。
 製図がばらまかれた机の上にはそれぞれプレートがかかっていて、その中にはフランキー……カティ・フラムの名前もあった。隣にアイスバーグ、トムといった名前が刻まれているが、彼らの姿はない。大方、まだ寝ているのだろう。フランキーは小さく舌打ちをする。
「何でぃ、あいつらまだ寝てるのか」
「うちではフランキーが一番の早起きだからね」
 ココロは笑みの形を描いた口をさらに深くして笑った。フランキーは当然だと言わんばかりに胸を張る。
「まったく仕様がねぇな。俺が起こしてきてやらぁ」
「頼んだよ」
 ココロの声に見送られて、フランキーは寝室に続くドアをくぐる。首を曲げて骨を鳴らす。腕を回して、拳を回して……一体どんな起こし方をする気なのかは、想像に難くない。
 フランキーはアロハシャツの内側から、小さな銃を取り出した。つぎはぎだらけの、装甲の錆びた銃だ。廃船島でフランキーがこしらえた物だ。
 使い物にならなくなった廃船も、フランキーにとって見れば原材料の宝庫だった。錆びたパイプを磨いて、つなぎ合わせてやれば、立派な武器も作ることが出来る。特に銃器系はフランキーの超得意分野だった。
 フランキーは銃をかまえて腕だけを寝室に伸ばす。寝室の中央には、二人人間が転がっていた。
 丸々とした、かなり大柄の男がトム。頭部から伸びる二本の角と鼻下に蓄えたひげがポイントだ。大きな腹が上下して、豪快ないびきをかいている。
 その隣に転がる少年も起きる気配がない。群青色の髪をした、やや長めの髪を持つ、アイスバーグだ。唇の周りを黒く塗っている。眠る時も塗っているか、果たして元々の色なのか、洒落てやっているのか。
 二人にはシーツが掛けられていたが、半分ずり落ちている。少しだけ親のような気持ちになって、フランキーは呆れて目尻がたれた。
 しかしすぐに口元はつり上がる。耳をふさいで、銃の引き金を引いた。
 扉が吹き飛ぶのではないかという轟音が鳴った。
 天井からは木くずが落ちてくる。ココロは食事の上にエプロンを広げた。
「もうちょっと大人しくやっておくれ」
 サラダの上に少しだけかかった木片を取り除きながら笑った。
 しばらく部屋全体が揺れていた。数秒間をおいてからフランキーは耳を空ける。部屋の中の様子をうかがった瞬間、巨体が飛び起きた。
「か~~~~! ビックリした!」
「うわぁっ!」
 ビックリしたのはフランキーの方である。思わずしりもちをついた。尾てい骨を打って、腰の下をさする。
「わっはっは!! はっ!!…… !!……」
 何がおかしいのか、トムは爆笑している。息が詰まって声も出ていない。トムは笑う時、いつもそうだった。死ぬならばきっと笑いすぎによる窒息死だ。トムはコンゴウフグの魚人なので、まだ当分長生きしそうなのだが。
 魚人とはその名の通り人と魚が交ざったような人種だ。人の数倍身体能力を持ち、寿命も長い。体格も人間よりはずいぶん大きく、トムもまた立ち上がると天井近くまで頭があった。
 トムはひとしきり笑い終えると、ゆっくりと起きあがってフランキーの横を通り過ぎていく。トムにとってドアはとても小さく、通るにも窮屈そうだ。
 フランキーはまだどきどきする胸を押さえて呼吸を整えた。トムは首を折り曲げて床に座り込むフランキーを見下ろす。フランキーと目が合うと、トムは大きな口をいっぱい横に広げた。
「おはよう、フランキー!」
 フランキーは大きな瞳を開けた。勢いよく立ち上がって、背筋を伸ばす。
「おはよう!」
 顔中に笑みを浮かべて、大きな声で返した。
 フランキーはトムが大好きだった。トムズ・ワーカーズも船を造るのもみんなみんな大好きだ。大好きな日常が始まることが何よりも好きだった。
 トムは突っかかった体をねじり込むようにしてダイニングルームに入った。その後ろ姿を見送って、フランキーは室内に視線を戻す。
 そこには、まだアイスバーグが眠っていた。
 あれほどの轟音でまだ目が覚めなかったのだろうか。フランキーが使った銃は、全ての威力を音だけに集中させた物である。何の破壊力もないが音だけはすごい。密室で大砲をぶっ放すくらいの騒音が発生する。
 アイスバーグは寝汚い。毎日毎日、彼を起こすのにフランキーは苦心している。放っておけば自分で起きてくるが、それを待ったのではいつになるやら判らない。今回の作品は自信作だったのだが……それも敵わなかったようだ。
 今度は硝煙に唐辛子でも混ぜてみようか。そんなことを思いながら、フランキーは仕方なく寝室に入る。こうなれば直接起こすしかない。
「バカバーグ、起きろ!」
 耳元で叫ぶが、当然効果はない。殴ってみる。鈍い音がしたが、身じろぎするだけだった。数度頬を叩き名から呼びかけた。
「飯食うぞ、早くしろ。いつまで寝てる気なんだ」
 飯、に反応したのか、アイスバーグの腹が鳴った。さすが三大欲求だ。隣の部屋から朝食のにおいが運ばれてくるせいもあるだろう。フランキーだって腹が減っていた。
「起きろよ、おい」
「うるせぇ」
 寝言のようにアイスバーグが漏らす。寝返りを打つついでに、落ちかかったシーツを肩までたぐり寄せた。起きる気はさらさら無いようだ。
 朝一番の仕事のようなものだ。アイスバーグを起こさないと、一日が始まらない。フランキーはアイスバーグの鼻をつまむ。
「起きろー」
「寝かせてやれ、フランキー! そいつは昨日、でかい仕事をドンと済ませたんだ」
 トムが隣の部屋から声を張り上げる。フランキーも負けじと声を出した。
「疲れてるならなおさら飯を食わねーといけねぇだろ」
「それもそうだ!」
 またトムが笑い始めた。ココロがそれをなだめている。
 早く食卓に着きたい。フランキーはうずうずしていた。
 ふと、アイスバーグの手がフランキーの腕に伸びる。顔は苦しそうにゆがんでいた。そういえば鼻をつまんだままだった。
 放そうか放すまいか迷っていると、体が傾いた。力に引き寄せられる。
 気がつけば、フランキーはアイスバーグの腕の中にいた。
 驚きのあまり、間抜けな声が口を出る。アイスバーグの胸を押しても抜け出せない。アイスバーグの方がフランキーより力が強いのだ。まだ十代の少年に、四つの年の差は大きい。十二歳と十六歳では、体格から力まで何もかもが違っていた。
 はい出ようとしてフランキーはアイスバーグの胸を叩く。しかし押さえつけられた状態では上手いように動けない。まだ成長しきっていないフランキーの体は、アイスバーグの腕にすっぽりと収まってしまっていた。
 恥ずかしくて顔が赤くなった。熱かった。まるで子供扱いだ。幸いなのは、ダイニングルームからは死角になって中の様子は見えないということ。しばらく、少なくとも朝食が終わるまでは誰も中を見たりしないだろう。
 何にせよ、一刻も早く抜け出さなければ。フランキーは懸命に呻いた。
「起きろ、起きろ!」
 必死の叫びは、アイスバーグには伝わらない。
「俺はお前よりずっと働いてるんだよ。寝かせろ」
 そう言った直後、寝息を立て始めた。
 腕の力は相変わらずゆるまない。フランキーは絶望を感じた。抱き枕だとでも思っているのだろう、アイスバーグはしっかりとフランキーを抱え込む。
 無意識の内に暖を求めて、アイスバーグの手がはいずり回った。元からあまり厚着をしていないフランキーの素肌にアイスバーグの手が触れる。
 大きな手だと思った。日々ハンマーを握り、木を削り、作業をしている手は、固い。奇妙な心地だったが、フランキーは嫌いではなかった。
 一生懸命仕事してるから、疲れてるんだよな。
 そう思うと、怒る気にはなれない。むしろ、普段仕事を手伝わない分、申し訳なくなってくる。
「……今日だけだからな」
 フランキーは、このままアイスバーグを寝かしつけることに決め込んだ。
 仕方がないから、冷めた昼食をこいつと一緒に食おう。そうしたら午後は、少し仕事を手伝おう。
 けして口には出さないが、心の中でそう思う。つまるところ、どちらも口べたなのだ。
 頭の上では早くも寝息が聞こえ始めた。規則的な音を聞いていると、フランキーもだんだん眠たくなってくる。
 どうせしばらく放してもらえそうにないし、眠ってしまおう。フランキーはアイスバーグの胸に頭を沈める。それに反応して、アイスバーグは無意識にフランキーの頭を引き寄せた。
 温かい。
 まどろみの中で、二人は思う。完全に眠りにつくのは、その数分後だった。

「あれま」
 なかなか朝食を食べに来ない二人を呼びに、ココロが寝室に顔を出した。眼下にあった光景に、思わず声を出す。口元を押さえて穏やかに笑った。
 寄り添うようにして眠る子どもたち。寝顔は穏やかで、平和を象徴しているかのようだった。
 トムズ・ワーカーズの毎日は慌ただしい。ほとんど仕事のない弱小会社とはいえ、働き手はわずか三人、それも二人はまだ成長過程の少年だ。日々疲れは積もるばかりであろう。
 気の毒に思ったこともあった。しかし、そこにあるのは紛れもない平穏だ。これを幸せと言わずしてなんと言おう。
 安らげる家族がここにいて、安らげる家がここにある。子どもたちの眠りは、トムズ・ワーカーズこそが彼らの家だと、歌うようだった。
 まばゆいばかりの光景に、ココロはそっと扉を閉ざす。トムが様子を見に体を傾けるが、ココロは口元に人差し指を当てた。トムは頬をゆるめる。小さく頷いて、二人の朝食の上にナプキンをかぶせておいた。
 それは、穏やかな朝の一時。
 子どもたちの幸せそうな寝顔は、太陽が高く昇る頃まで続く。



FIN.   

ワンピース三十七巻でアイスバーグさんとフランキーにはまりました。
カティ・フラムいとうつくし。
アイスバーグさんの若かりし頃の、何と格好いいことか。
ワンピースを買い続けること数年、やっと萌えキャラに出会いました。
ウォーターセブン編から誰か仲間入りしてほしいですね!