ソラノテガミ

Moment

背中に衝撃が走る。
肺が押しつぶされて息を吐いた。
それよりも殴られた頬の方が痛い。
生まれて初めてトンファーで殴られた。
応接室に入った瞬間、突然黒い影が襲いかかってきて、避ける暇もなかった。

いや、例え殴ることを宣言されていたとしても避けられなかったに違いない。
運動も駄目、勉強も駄目で、あだ名が「ダメツナ」であるツナだ。
(風紀委員のくせに)校内の不良を束ねる雲雀恭弥には、天地がひっくり返ったって勝てやしないだろう。
死ぬ気弾さえあれば、あるいは。
一瞬思いかけて、やめた。
火事場の馬鹿力を意図的に引き出すことの出来る死ぬ気弾。
しかしそれで得た力などしょせん自分の実力ではないと思っているツナである。
甘い考えは捨てた方が良い。
すがるだけ、振り落とされた時に辛くなる。
ツナは自嘲気味に唇をつり上げたが、頬が痛くて動かなかった。

獄寺が呻った。
ツナが殴られたのを見て逆上している。
山本の制止の声も聞かず、雲雀に突進していった。
お得意のダイナマイトに手を伸ばす。
常に煙草を吸い(と言っても、彼はまだ中学一年生のはずなのだが)、体中に仕込んだダイナマイトに着火する。
傍若無人で無茶苦茶な彼の戦法を、ツナは嫌と言うほど見てきた。
無茶苦茶だが、強い。

室内でダイナマイトを使ったらダメだよ。
口の中でそう呟く。
獄寺の動きが止まった。
ツナの声が聞こえた、わけではない。

雲雀のトンファーが手のひらで回転する。
ツナの瞳にはまるで捕らえきれなかった。
ただ、次の瞬間獄寺の身体が浮くのが見えた。
床に身体が叩きつけられる。
勢いが止まらす、床の上を転がって、数メートル飛んだ所でようやく静止した。
獄寺はぐったりとして動かなくなった。

山本の視線が鋭くなる。
雲雀の強さを噂で聞き入れていた彼はうかつに雲雀に飛びかかることはしなかったが、仲間が目の前でやられるのを見て黙っていられるほど、大人ではない。
眉間にしわを寄せ、怒りをあらわにした。
初めて見る山本の表情に、ツナは少し冷たいものを感じた。
対して雲雀は薄笑いすら浮かべている。
こちらにはまた別の冷たいものを感じる。

雲雀がトンファーを振る。
手のひらで回しているので、その分どうにも間合いが取りづらい。
だが山本は最初の一撃を後ろに引いて何とかかわした。
普段野球で鍛えているおかげだろう。
動体視力と反射神経が良いのだ。
それに付いていく身体も備わっている。
同じ調子で何度か攻撃をかわす。

雲雀の笑みが深くなった。
「右腕をかばっているね」
山本の顔が蒼白になる。
図星だった。
ツナも思いあたることがあってはっとする。

まだそう前のことではない。
山本が骨折した。
骨折と言っても、骨にひびが入った程度で、重度の物ではない。
それでも野球に全身全霊を注いでいた山本を奈落の底へ突き落とすのに十分だった。
山本は自殺さえ考えたのだ。
その原因を作ったのは、ツナ。
少なくともツナはそう思っている。
最近調子が出ないと悩む山本に、努力をするしかないと適当なことを言った。
山本が夜遅くまで自主練習をして骨折したのは、その日のことである。
ツナが死ぬ気で山本を助けたおかげで自殺騒動は収まり、ツナは山本という親友を得たが、山本の腕は完治していなかった。

思えば日常的にもかばっていたような気がする。
少なくとも無理して部活に出ることはなかった。
山本は、ツナと一緒にいたいからだと笑ったが、やはり悪化するのが怖かったのだろう。
もしこのまま野球が出来なくなったら。
考えるのも恐ろしかったに違いない。

雲雀の身体が沈んだ。
山本はとっさに立ち止まる。
後ろに下がっていたのを急に止めたので、一瞬だけ動きが止まった。
その間に雲雀の足が迫っていた。

足、長いな。
状況に反して、ツナはぼんやりと思った。
細くて長い、雲雀の足。
山本の右手に食い込む。
山本の顔が歪むのが見えた。
泣き出しそうな顔をしていた。

衝撃を和らげるために後ろへ下がったのは無意識だったのだろう。
追い打ちを掛けるように雲雀は山本を蹴り飛ばす。
反動がついていたので、山本の身体はいともたやすく後ろへ吹っ飛んだ。
壁に激突した山本は、びくりと体を震わせる。
首が垂れた。
獄寺と同じように、力無く壁により掛かる。

「ツナ……」
あまりにも小さすぎる山本のつぶやきは、誰にも聞かれることなく、途切れた。



ツナは黙々と山本の腕に包帯を巻いていた。
山本も何も言わずに、じっと自分の腕を見下ろしている。
獄寺はリボーンと一緒にアジト候補を探しに行った。
そもそも、事の原因はそれだというのに、まったく懲りない。

ファミリーにはアジトが必要だ。
リボーンがいきなり提案したので、何かあるとは思っていた。
だがリボーンは学校の中にいくつもよく判らない自分の空間を確保している。
アジトも、そういう類なのかと思えば、そこにはすでに先客がいたのだ。
雲雀恭弥率いる、風紀委員が。
応接室に行った時は雲雀一人しかいなかったのが幸いだっただろう。
風紀委員の規模と雲雀による統制は異常である。
まともに張り合ったらなかなか壮大な抗争へと発展するに違いない。

あるいは雲雀が一人でいたのも、リボーンの策の内だったのかも知れない。
リボーンは三人を雲雀と戦わせたかったようなのだ。
習うより慣れろ、実践第一だ。
ボロボロになった三人がリボーンに助け出され、ようやく意識を取り戻した頃、リボーンはいけしゃあしゃあと言った。
元々マフィアである獄寺は良いが、つい最近まで平凡な中学生として過ごしてきたツナにとってはたまったものではない。

まして、山本は。
巻き込んでしまった友人を、ツナはこっそりと見上げた。
見下ろしていた山本と目が合ってしまう。
何か良いわけをしたくて、ツナは口を開いた。
「えっと……これで、良いかな」
巻かれた包帯は少しよれていた。
初めてなのだから仕方がない。
むしろ初めてにしては上出来だった。
時間を掛けて丁寧に巻かれた包帯は、なかなか様になっていた。

最後の仕上げに、ツナは包帯の端を簡単に処理する。
適度な長さで切ろうとするが、持っていたのは文房具用のハサミなので、切りにくい。
保健室に行ったが、保険医は出張中でいなかった。
包帯は勝手に持ってきたが、ついでにハサミも借りてくれば良かったと思う。
何とか切れたが、包帯の端はバラバラになっていた。
さらに端から数センチ、包帯の幅を半分に割るようにして切り込みを入れる。
膝元にハサミを置く。
山本のハサミで、律儀に名前の札がついていた。
包帯の端を手首に結びつけて、できあがりだ。

山本はツナの手元から離れた自分の腕をまじまじと見つめる。
嬉しそう口の端をいっぱい横に広げた。
「サンキュー!」
上手いじゃん、と続けて誉めるので、ツナは思わずうつむく。
何だか恥ずかしくて、「ありがとう」と返した。
お礼を言うのは俺の方だろと、山本がまた笑う。

ツナはすっかりやせ細った包帯と、屋上の床に散らばった切りかすを集める。
山本は始終包帯を眺めていた。
あまりにもニコニコと眺めているものだから、ツナは恥ずかしくなる。
思わず「下手だろ」と言うと、山本は首を横に振る。
「いや、すっげー嬉しい。
たまには怪我もしてみるもんだな」
山本は割れ物を触るようにそっと包帯に触れる。
包帯が崩れないように優しく撫でた。

まるで、自分が優しく扱われているみたいで、動悸が速くなる。
保健室で借りてきた物を手に持って立ち上がる。
「返してくる」
言おうとして、ツナの言葉は飲みこまれた。

山本が背を向けていた。
フェンスの方を見ている。
山本とツナがフェンスを突き破ってしまった屋上は、現在立ち入り禁止となっていて、この屋上のフェンスは、多少新しかった。
なのに、危うさを感じた。
山本が落ちていく映像が脳裏に浮かぶ。
山本の背中からは表情はうかがえない。
だけどツナには見えるような気がした。

今にも消えてしまいそうな、不安げな山本の顔が。

年頃の割に背の高い山本の背中が、妙に小さく見える。
その視線はどこか遠くを見ているような気がした。
ツナの手から包帯がこぼれた。
ほどけながら、包帯の渦が、落ちていく。
ツナは山本の左腕を引いた。

山本が振り返る。
驚いたような顔をしていて、まぶたを大きく持ち上げた。
視線がかち合う。
ツナは息を飲んだ。
「ダメだよ」
何がダメなのか自分でもよく判らなかった。
「行っちゃ、ダメだ」
ただ、どこかへ行ってしまいそうな気がしたから。
ツナは山本の腕を握り締めた。

山本は左腕を引いた。
山本の腕を掴んでいた綱も、一緒に引っ張られる。
身体が傾いたことで反射的にツナの心臓が跳ね上がる。

ツナは目を閉じたが、コンクリートの床に激突することはなかった。
温かい場所にいた。
柔らかくはないけど、安心する温かさがあった。
布の感触が顔に当たる。
ほんの少し汗のにおいがした。
そっと目を開けると、そこは山本の腕の中だった。

ツナは何が起きたか判断出来なかった。
思わず山本の身体を押し返すが、山本は左腕に力を入れてツナを抱き寄せる。
身体能力の差か、ツナはあっさりと山本の腕の中に収まる。
左手だけだというのに逆らえない。
山本に比べれば遥かに小柄なツナは、山本の肩に額を載せる形となる。
ツナの髪が山本のちょうど頬に当たった。
山本はまるで母親にすり寄る子犬のように、ツナの髪に頬を寄せた。

「ツナ」
至近距離にいるせいか、山本が声を出すと、音の振動が直接伝わる。
そうでなくとも山本の声は震えていた。
絞り出すような湿った声。
今にも泣きそうな声だと気づくと、ツナの胸は締め付けられた。
「さっき、雲雀に蹴られた所が、痛いんだ」
さらに山本の腕に力がこもる。
山本の右腕はだらりと垂れ下がったままで、動かすのは全て左腕だ。
どの程度痛いのかはよく判らないが、そういうことではないのだと思う。

痛いのではなく、怖いのだ。

先程ツナが見た限りでは、腫れてはいなかった。
熱も持っていないようだったし、包帯を巻いている時も痛がらなかったので、大したことはないだろう。
雲雀が手加減したのか、それとも山本の運動神経の賜物か。
問題なのは、そんなことではなくて。

「このまま治らなかったらどうしよう」

日常的に、襲い続けた不安。
微かな痛みが走るたびに思っていた。
このまま野球が出来なくなるのではないか。
元通りにはならないのではないだろうか。
野球しか見ていなかった山本だから、ずっと恐れていた。
野球が目の前から消えたとたん、死が見えた。
ツナが救ってくれた時、山本はようやく野球以外の光が見えたのだ。

その光が、再び消えようとしている。
また光が遠ざかる。
野球が出来なくなる。
山本にとっては、死ぬことよりも恐ろしいことだった。
いや、せっかくツナがすくい上げてくれた命を、無駄にする気はない。
死ぬとしたら、それはツナのためであるだろう。
ただ野球を山本から取ってしまったら、後は死を目指すだけのようにも思えた。

ツナは山本の不安が痛いほど伝わってきた。
伝わってきたからこそ、どう言えばいいのか判らなかった。
適当なことを言って山本を追いつめたのはツナ自身だ。
今では山本を大切な友達だと思うからこそ、掛けるべき言葉はない。
代わりに山本の背中に手を回す。
優しくその背中を叩いた。
大丈夫だよ。
根拠のない思いを載せて。
大丈夫、きっと治る。
何度も繰り返す。

山本はツナの頭に首を預ける。
ツナは押しつぶされそうになって、小さく呻いた。
「ツナは優しいな」
微かに山本が呟いた。

山本はツナの耳元に口を寄せる。
「……」
ツナにだけ聞こえる、小さな声で言う。

ツナは小さく頷いた。
山本の腕の中で伝わってくる動作は、山本にはとても優しく感じた。

山本はツナの身体を少し引き離す。
ツナの腕がするりとほどける。
山本は少しだけ笑った。
眉間に眉を寄せて、ツナはぎこちない山本の笑みを見上げる。
「ありがとう」
一言だけ言って、山本はツナの顔に近づいていった。

ツナの肩に、額を載せて。
山本は、泣いた。

温かい物がツナのシャツに染みていく。
濡れた部分が灰色に変わり、肌に張りついて、肌色を透き通す。
山本の喉は震えていた。
口から、押さえられた呻き声が漏れる。
左手でツナのシャツをしっかりと握り締めた。

小さな背中に腕を回し、ツナは山本の背中を撫でる。
山本の口から嗚咽が漏れた。
「うっ……ううっ……」
止まらなくなった声が次から次へとあふれ出す。
せき止めていた何かが解放されたかのようだ。
シャツが吸いこみきれなかった涙が、ボロボロとツナの肩を流れていく。

ずっと、不安だった思いが、ようやく解き放たれたのだ。
誰かから期待されて、押しつぶされそうだったものが、ようやく楽になる。

野球部のエースでも何でもない。
他の誰ともあまり変わらない。

ただの中学生が、ここで泣いていた。



獄寺とリボーンが、「一緒に特訓するぞ」と言って戻ってきた頃には、山本はすっかり泣き止んでいた。
いつものような山本節を発揮しながら二人に付いていく。
少し目が赤いようだったが、獄寺は気づいていないようだった。
リボーンは気づいていたかも知れないが、何も言いはしなかった。

いつもと同じ光景に、ツナは安心する。
リボーンがいて、獄寺がいて、山本がいて。
とてもしっくりする、居心地の良い世界だ。
何より、山本がすっかり吹っ切れた様子だったので、嬉しかった。
山本の元気がないと、調子が出ない。
きっとリボーンや獄寺にとってもそうだろう。
全員そろって、それがちょうどいいのだ。

山本が、ツナにだけやっと聞こえるような声で言った言葉。
「少しだけ、泣かせてくれ」
ツナは山本の涙を受け止めることが出来ただろうか。
山本の笑顔が虚構でないことを祈る。

辛いことも、悲しいことも、全て分かち合いたい。
山本には笑顔が似合うから。

ずっと、笑っていてほしい。




FIN.   

ツナの前では泣いちゃう山本が書きたかっただけです。
前半部分、原作の描写そのままで申し訳ないです。
しかも私、二巻持ってないから記憶があやふやだというだめっぷり。