ソラノテガミ

野球馬鹿と重喫煙者

銀色の包みが、細い指に解かれる。
無骨な指輪は、ハッキリ言ってまだ幼さを残す獄寺には不釣り合いだった。
高校生ほどになればきっとよく似合うのだろうが。

包みから出された長方形の白いガムを、口に入れる。
獄寺がガムをかむと、ミントの香りがふわっと漂った。
彼がかんでいるガムはたびたび違うが、どうもミント系が多い。
特に言いはしないけれど、甘い物が好きでないのかもしれない。

獄寺の横顔をぼんやりと観察しながらツナは日誌を開く。
快晴の空に浮かぶ太陽の光が、白い紙面に反射してまぶしい。
三人のいる屋上には日光を遮るものがない。
そのせいか、鍵が壊れていて入ろうと思えばいつでも入れる屋上に、女子の姿は見たことがない。
やはり日焼けするのが嫌なのだろう。
日誌を傾け、腕で日光を遮る。
半袖のワイシャツからのぞく腕は、太陽に焼かれじりじりと熱かった。

今日、ツナは日直だった。
本当はもう一人今日の日直がいるのだが、昼休みに教室を出ようとしたら、押しつけられてしまった。
押しつけられたら嫌と言えないのがツナである。
恥ずかしいながら小心者なのだ。

今日のページにはまだ何も書いていない。
ツナは鉛筆を握りしめて、日付と日直の名前を書いた。
一時間目の授業が何だったか思い出せなくて手が止まる。
獄寺は今日の一時間目は遅刻。
山本は朝練がきつかったのか、爆睡。
そんな二人の姿は記憶している。
つまり、二人に聞いたところで意味はない。
ツナはため息をついて日誌を閉じた。

視界の端に、獄寺がガムの包みを丁寧に畳んでポケットにしまうのが映った。
山本が牛乳パックのストローから口を放す。
「……なぁ獄寺ぁ」
「あ?」
応えた獄寺はあからさまに不機嫌だ。
山本に対してはいつもこうであり、特に気にすることなく山本は続けた。
「思ってたんだけどさ、お前最近ガム食いすぎじゃね?」
指摘されて、ツナもそういえばそうだと心の中で同意した。
いつもガムをかんでいるわけではない。
三人でいる時にガムをかんでいる。

獄寺にも自覚があるらしく、眉間に刻まれたしわがさらに深くなった。
「はぁ?
そんな事ねぇよ」
突き放すように言って、顔を逸らす。
対して、山本の笑顔は崩れることがない。
「あるだろ。
今だって噛んでるし」
獄寺の声のトーンが一段低くなった。
「……別に俺がガムどう食おうが勝手だろ」
自分に向けられているものでないと分かってても、ほんの少し怖い。
山本はどうしてひょうひょうとしていられるのだろうか。
ツナはいつ獄寺が山本につかみかかるか気が気でない。

そんなツナの気苦労もいず知らず、山本は小首を傾げて獄寺の顔をのぞき込む。
「ガム食いすぎると腹壊すんだぞー?」
「うっせぇな!」
獄寺が叫んで、腰を上げる。
ツナはびくりと肩を震わせた。
「俺はそんなヤワじゃねぇ!!」
獄寺の額に青筋が浮かぶのを見た気がした。

獄寺の触れられたくない部分をどんどんえぐる。
山本の無遠慮さにツナは青ざめた。
両膝を胸にくっつくぐらいに折り曲げて、日誌で顔を隠す。
……ビアンキ見るだけで倒れる君が言う台詞じゃないよ、獄寺君……。
ツナは心の中でつっこんだが、口に出す根性はもちろんない。

もともと一つのことを気にする性格ではない山本は、ようやく「そうか」と呟いて興味をたち切った。
ツナはほっと安堵の息を漏らす。
なんだか見ているだけでも疲れてしまった。
どうして当事者でもない自分が山本よりも疲れないといけないんだろうという疑問がよぎった。

獄寺も山本が話題を変えたことから、小さく舌打ちして腰を下ろす。
胸ポケットの中に手を突っ込んだ。
その中にタバコがあることはよく知っている。
まさかこの状況で、あらゆる箇所に仕込んであるダイナマイトを取り出すわけはあるまい。
たぶん。

結局獄寺は何も取り出さなかった。
苛立たしそうにガムをかむ。
山本を切れ長の瞳でにらみつけた。
八つ当たりのつもりでやったそれが逆効果になった。
山本が一つの事実に気付く。
「つーかさ、煙草はどーしたんだよ?
最近吸ってねーじゃん」

獄寺は一瞬硬直して、視線を泳がせる。
ツナは獄寺の精巧な脳みそからマシン音が聞こえてくる気がした。
今必死で言い訳を考えているに違いない。
しかしいくら頭がいいとは言っても、言い訳を考えるのは苦手らしく、オーバーヒートしている。
良い理屈が見つからず、結局出てきた答えはいつも通り。
「……お、お前には関係ねぇ!!」
とにかく頭ごなしに否定しておくことだった。
いつもと変わらない強攻策だ。
ツナが思わず助け船を出そうかと思ってしまったくらいに。

そんなんで山本が納得するのかと思いながら、山本の方を見る。
山本は首を縦に振って「ふぅん」と呟いた。
頷いているものの、絶対によく判ってないとツナは確信する。
山本は満面の笑みをこぼした。

「ま、良いけどな!
煙草は体に良くねーし!!」

――それで納得してしまった。
というか、自己完結している。
放送が入る時の「ぽーん」という間抜けな音が遠くに聞こえる。
「法律違反なのは指摘しないんだ……」
他に言うべきことはたくさんあったが、脱力してそれしか言えなかった。

『――連絡します。
全学年野球部員の生徒は至急会議室に――』

校庭のスピーカーから高い声が聞こえてくる。
多分女子生徒の声だ。
放送委員か、野球部のマネージャーだろう。
少し場所を移動して、山本は柵の隙間から校庭を見下ろした。
外で遊んでいた部員たちが校舎内に駆け込んでいく。
「おっ。また先輩の熱血演説会かな?」
牛乳を一気に飲み込んでパックを折り畳む。
ポケットにねじ込んで、山本は腰を上げた。

「気合い入ってるねー」
ツナもどんどん減っていく校庭の人影を眺めた。
野球部員はもうほとんど残っていない。
山本も急がないといけないだろう。
「まーな。大会近いし。
んじゃ行ってくる」
短く応えて、山本は片手を挙げた。
ツナが反応する前に背を向けて、屋上のドアを開ける

ツナは慌てて声を張り上げた。
「うん、また後で」
大きく手を振る。
山本は体を半分外に出しつつ、屋上の方を振り返った。
「おう」と笑顔で手を振り返す。
「じゃーな獄寺」
始終山本から視線を逸らしていた獄寺にも声をかけた。
「いーからさっさと行け野球馬鹿!」
獄寺は山本の顔を見ずに、手で「あっち行け」と示した。
山本はちょっとだけ苦笑を浮かべ、ドアを閉じた。

山本が去っていく音が響く。
転げ落ちるように駆け下りているので、落っこちないか心配になる。
階段の下で誰かと合流したらしく、元気のよい声が聞こえた。
そのまま走っていったのか、声が聞こえなくなる。



完全に山本が遠ざかった頃を見計らって、ツナは口を開いた。
「―――獄寺君」
「は、はい! 十代目」
面白いくらいに獄寺の態度は豹変した。
背筋をぴんと伸ばして、不機嫌そうに半ば閉じられていたまぶたがしっかり開く。
真っ直ぐにツナの顔を見た。

従順な下部。
態度で示されるたびに少しだけ落胆する。
かげりを作り笑いで隠し、ツナはぽつりと言った。
「よく我慢したね」
「え……」
目的語がつかめずに、獄寺はしばし戸惑う。
ツナは獄寺の口元を指さした。
「煙草。吸わないの、山本の為でしょ?」

ガムを大きくかみしめる。
目を大きく開けて数回瞬きをした。
ツナの言葉を認識するまでに数秒を要した。
ややあって。
「―――でぇえええっ?!」
突然、獄寺は大げさに叫んだ。
数歩引き下がって、柵に背がぶつかる。
相当動揺しているようだった。
ツナの方が逆に驚いてしまう。

「いやっ、まさか!
そんな訳ないじゃないですかっ!!」
手をぶんぶん振って全否定。
腕に点けたアクセサリーがじゃらじゃら揺れた。
汗をかいているのは暑さのせいだけじゃないだろう。
あぁ……相変わらず解りやすいなー……。
ぼんやりとツナは思った。

日誌と鉛筆を床に置く。
鉛筆は平らではない床の上を数センチころころと転がって、浅い溝にはまった。
「だって、俺と二人の時は吸ってるじゃない?」
さらに問えば、獄寺はあからさまに困った顔をする。
「う゛……――だからそれはっ……ほ、ほら!」
接続詞を並べてみるが言葉になっていない。
教師の前ですら堂々としている獄寺の姿とはまるで違う。
これが、虚勢も何もない獄寺の素顔なんだ。
それを実感するととても安心する。

獄寺は顔を真っ赤にして眉をハの字に下げた。
「ヤツが打率下がった時に俺の煙草の所為にされたらたまんねーじゃないですか!!
だからですよ!!」
本当は知っている。
友達思いの良い奴だってこと。

獄寺君、それじゃ山本の為だって事認めちゃってるよ。
口に出したらさすがに意地悪なので、心の中でこっそり思う。
だけど、ツナの顔はしっかり笑っていた。
「なっ、何故笑うんですか十代目!」
獄寺がさらにうろたえる。
腕で目元を隠して、「やめてくれ」と視線でツナに訴えかけた。
照れる必要なんかないのに。

ツナは獄寺の正面に移動して、屈み込んだ。
小柄なツナの視線を、獄寺にあわせる。
獄寺は何も言えなくなった。
ツナの目はとても優しかった。
「山本は獄寺君の所為にしたりしないと思うよ?」
「う……」
そんなことは獄寺も分かっている。
反論できなくて、獄寺は呻いた。

たぶん彼は慣れていないのだ。
優しくされることに。
だから慣れていないのだ。

「意外と優しいんだよね。
獄寺君は」

優しくすることに。

「~~~~っ……」
獄寺は訳の分からない声を上げて、ついには顔を伏せてしまった。
けして恥ずべきことではないけれど、堂々とできない。
辛い幼少時代を送ってきたのだろうということが分かる。
不器用ながらいつも精一杯に生きてきたのだろう。
今も、友達を気遣って自分にできる精一杯のことをやろうとしている。

ツナはとても嬉しくて、獄寺の頭を優しくなでた。
優しい振動に揺られ、獄寺はおそるおそる顔を上げる。
顔の赤みは未だ引かず、見せてくれたのは目元だけ。
まごついた口調で、やっと一言だけ呟いた。
「――や、野球馬鹿には内緒にしてて下さいよ……?」
これ以上不安にさせるのも可哀想なので、ツナは即答した。
「うん。判ってるよ」
大きく頷いてみせると、獄寺は顔の力を緩めた。

少しだけ湧き上がる罪悪感。
口が裂けても言えやしない。
――ていうか、もう知ってると思うよ。

禁煙に気づいた時の山本の顔が、凄く嬉しそうだったから。

山本が浮かべた満面の笑み。
目をそらしていた獄寺は、山本がどれだけ嬉しそうな顔をしていたか、たぶん知らない。



FIN.   

もとは莢香さんが書いた小話。
台詞は一応増やしたり減らしたりせずに使いました。
学園ものかつほのぼのということでうっかり小説化。
弥栄の妄想が多分に付加されております。
極寺の乙女度とツナの神度と山本の無神経度がアップしています(当社比)。