「役目」



 大量の紙の山を抱えて、二十代半ばの男がよろよろと廊下を歩いていた。さして広くない廊下の真ん中を歩いている上に非常に危なっかしい。本来は人三人は並んで通れるであろう通路は、一方通行となっていた。幸い男の他に道を歩く者はいない。
 大陸の外れ、知る人ぞ知る組織はあった。魔物退治から町のゴミ拾い、八百屋の店番も何でもこなす何でも屋、「UNDERTAKE」。まだ若い団長をトップに、孤児や訳あって故郷を追われた若者達が集まる集団だった。
 その組織の本部内を歩くこの男も、組織の一員である。黒い長袖のシャツを肘まで捲り、神経質なほどにゆっくり歩いている。一重の細い瞳は特徴的で、男が異端の地からやって来たことがうかがえる。くすんだ砂丘の色をした、短めの癖の強い髪が、濃いめの肌に似合っていた。
 男の仕事とは表向きの何でも屋ではなく、事務処理の方である。主に金銭面の管理は男が任されていて、毎日堅実に会計簿と戦っていた。
 その会計簿の山をかかえて、白い床のタイルを恐る恐る踏み付ける。靴底のゴムがきゅっと音を鳴らした。紙の一枚がはらりと落ちた。
 男はしばし立ち止まる。屈めないまま、横目で空を舞う紙を追うだけだった。紙が廊下を滑って、男のはるか後方で止まった。
「タスケテー」
 一歩も動けず、小さく呻く。しかし、前方には誰も見えない。後方には誰かいても判らない。数秒間を置き、紙は後で拾いに来ようと結論付け、前へ進み出した。
「マギー!」
 一歩踏み出した所で、また止まる。反射的に振り向こうとしたが、バランスを崩しそうだったので止めた。代わりに後ろから足音が近付く。くしゃりと音がして、男の上から紙が降ってきた。
「落としたぞ」
「あ、ありがとう、エスタ」
「気を付けすぎているはずなのに間抜けだな」
 エスタと呼ばれた男は、マギーと呼ばれた男の前方に回り、紙の半分をごっそりと奪う。指の力だけで掴み、そのまま腕をぶら下げた。マギーがまた礼を言う。
「しかし、この紙の山は何だ?」
 小脇に紙の束を挿んで、エスタが聞いた。大量の紙には文字が書かれている。全てが手書きだが、インクは乾ききっていた。それどころか、日光で紙が色あせているので、結構前の物かもしれない。
「資料だよ、会計簿の」
「What?」
 いきなりエスタの口から滑り出た異国の言葉に、マギーは首を傾げる。エスタは「何?」と言い直した。それでもなぜ聞き返されるのかマギーは判っていないようだった。どう答えればよいのか判らず黙っている。
「だから、どうして今更そんな物を引っ張り出しているんだ。手書きの物ばかりだから結構前の資料なんじゃないのか?」
 マギーは首を横に振る。
「昔のじゃないよ。ここ数年のやつさ。昨年のもある」
「じゃあどうして手書きなんだ。ここ数年間はパソコンが導入されたはずだが」
 手記よりは明らかにパソコンを用いた方が早い。エスタは体の都合上パソコンは不得意だが、それでもデータの保存や資料の制作においてはるかに便利だと感じる。
 几帳面な性格のマギーは手書きでも充分綺麗で正確な資料を造るが、そこまで作業時間が短いわけでもないので、パソコンを使った方が能率がいいように思う。
 マギーはしばし首を捻る。「ああ」と言って、頷いた。
「パソコンって確か、何か変な物が映る変な箱だっけ」
「何だその認識の薄さは」
 確かに物が映る箱ではあるが、あくまで概観できことでしかない上に、性能が全く理解できていない。エスタはまさかと思って、聞いた。
「マギー、パソコン使ったことないのか?」
「あるわけないじゃないか」
 即答だった。そして、迂闊だったと思う。昔の苦い思い出が頭を過ぎった。
 麻薬売買の舞台となった列車を止める仕事を受けた時のことだ。マギーとエスタは共に列車に乗り込み、列車を止めようと試みた。後一歩というところで、マギーが何気なく側の機械に触れた。けたたましい警報機の音と、その後死ぬほど脱出に苦労したことを、今でも忘れない。
 昔なじみのマギーとエスタであるが、以来ほとんど仕事を共にしていない。そのとき充分エスタは懲りたからだ。マギーもすっかり内務に回り、仕事がない時に組織内でしか顔を合わせることはなかった。
「悪い」
 歯切れが悪そうにエスタが呟く。マギーも苦笑する。
「いつまで経っても機械音痴な僕が悪いんだ」
 気軽そうな口振りであるが、心の底ではかなり深刻に受け止めているに違いない。マギーの人間性から、エスタはそう思った。
 マギーも子供ではないから、特に反応を表に出さず、軽めの口調で言った。
「僕もちゃんとパソコンを使えるようにしなきゃ。毎晩添い寝でもして頑張ろうかな」
 エスタが息をのむ。一瞬、周りの温度が一気に下がったような気がした。冷や汗がどっと吹き出す。
「頼む」
 掠れた声が出た。髪を握る手に力が入る。
 マギーの目を一直線に覗いた。エスタの癖の強い金髪から、サングラス越しに青い目が見える。
 マギーは首を傾げた。
「それだけは……止めてくれ」
 お前が毎晩パソコンに触ったら、幾つパソコンがあっても足りない。その辺の心理は避けながら、「別に使えなくても良いから」と付け加えた。手が空いていたら、マギーの肩を叩いてやりたいところだった。
 彼自身は、どれだけ自分の機械音痴を自覚していることだろうか。
 マギーは、首を傾げた。

 軽快な音が鳴り響く。異国の音楽のようだが、マギーにはさっぱり判らない。少なくとも、聴いたこともない音楽だった。
 どこから聞こえるのかは判らない。少しぎこちない音程だった。結構近くであることは判った。もしかしたら、同じ室内から。
 資料の束を置きに、資料室へ来ていた。エスタは机の上に無造作に紙の束をおき、埃が舞う。肩に羽織っただけの上着から、太い二の腕が覗いた。上着の下は半袖のシャツを着ていた。
「エスタ、この音楽何だか知ってる?」
 資料を一枚一枚ファイルにしまいながら、背後のイスに座っているエスタを振り返らずに聞く。エスタは現実に引き戻されたかのようにハッと顔を上げた。
「スマン、俺だ」
 上着のポケットから黒色の機器を取り出す。穴が数個空いていて、そこから音が出ている。二つ折りになっていて、開くと画面とボタンが見えた。画面には「Grand」と表示されていた。
 左端のボタンを押して、エスタは機器を自分の耳に近づける。
「Hello.」
「もしもし。いきなり外国語使ってんじゃねーよおっさん」
 機器の向こうから聞こえたのは、若い男の声だった。幼さが少し残る口調で、まだ二十歳はいっていないだろう。イタズラっぽく笑って、エスタは口元をつり上げた。
「切るぞ」
「あー、待って待って」
 キッパリとしたエスタの言葉を焦るわけでもなく止める。冗談であることがお互い判っているようだ。
 マギーは宇宙人でも見るようにエスタを見ていた。機械相手に独り言を言っている。どう対処すべきか判らず、結局見ているだけだった。
「で、どうしたんだ? 同じ敷地内にいるのに、わざわざ電話をよこすな」
 エスタが今使っている機器、携帯電話は、開発されて間もないが、組織の人間は大体が携帯電話を所持していた。時には命に関わる仕事を引き受けることもあり、緊急時の連絡は欠かせないからである。逆に言えば日常生活で携帯を使用することは原則的には禁じられていた。
「それがさー、マギさんの携帯電話、電源入ってないんだよね。今月後いくら使って良いのか聞きたかったんだけど」
 月ももう終盤に差し掛かっていた。そろそろ組織の人間に給料が支払われる頃だし、買い出しにも行くだろう。出費がかさむこのころはマギーは大忙しだ。だから資料を整理したりして今日も一人健気に働いている。
 エスタはちらりとマギーを見た。マギーは慌てて視線を逸らす。特に何も言わずに、エスタは「今代わる」と告げた。一緒にいるのかよと電話の向こうでグランドが喋っているが、エスタは既に聞いていなかった。
 エスタに携帯電話を差し出され、マギーは手を引っ込めた。
「使え、馬鹿野郎」
 呆れたため息をつく。マギーの手のひらに無理矢理電話を押し込めた。黒い装甲がなおのこと不安を煽るのか、電話をなるべく遠ざけようと、マギーは手をぴんと伸ばした。
 またため息をつく。口で説明するのも億劫なのか、無言で耳を指さす。エスタの行動を観察していたため、マギーはどうすればいいかは理解できた。しかし。
「おっさん、聞いてる?」
「うわぁっ!」
 聞こえた声に、思わず携帯電話を放してしまった。エスタが舌打ちする。地面すれすれでキャッチし、またマギーに渡す。
「使い方は電話と同じだ。終わったら返せ。良いな」
 すごむようにして言われ、マギーは無言でこくこく頷く。エスタの視線を気にしながら携帯を耳に近づけ、恐る恐る口を開いた。
「も、もしもし?」
「あー、マギさん良かった!」
「えっと、グランドかい?」
「それ以外誰だって言うの」
 電話の向こうの青年はけたけた笑った。マギーはホッと息を付く。
 それから二言三言言葉を交わし、エスタに携帯を渡す。エスタはひったくるように携帯を受け取り、通話を切って、携帯を上着に押し込んだ。
「携帯電話、何で電源が入っていない」
「えっと」
 マギーは意味もなく左右を見た。それからズボンのポケットに手を突っ込み、白い装甲の携帯電話を取り出す。
「動かなくて」
「動かない?」
 見たところ外傷はないが、エスタは「見せろ」と携帯電話を奪う。開いてみても外傷はなかったが、やはり電源が切られていた。右端のボタンを押すと、画面がぱっと明るくなって電源が入る。
「動いたぞ」
「えっ、何で!」
 心底驚いたようで、マギーが叫んだ。
「どのボタンを押しても、電源が付かなかったのに!」
 エスタは、謎が解けたと言わんばかりに苦虫をかみつぶしたような顔をする。しばらく言葉に間が空いたのは、途方もない脱力感に襲われていたからだ。うなだれて頭を横に振る。
「あのな、マギー」
「うん」
「携帯電話は、電源ボタンをしばらく押してないと電源が付かないんだよ」
 しばし、沈黙が流れる。閉じた窓に風が当たり、カタカタと鳴る。窓の側に植えられた木に鳥が二羽止まってさえずった。チチチチという鳥の鳴き声だけがうるさく響いていた。
 鳥が飛びさり、風が一際大きく吹いた。窓が大きく揺れる。沈黙は思いの外短く終わった。
「ああ、なるほど!」
「それくらい知っておけ〜〜〜〜!」
 代わりに、エスタの絶叫が響いた……。

「マギさん携帯電話の使い方知らなかったのかー」
「うん、そうなんだよ。おかげでエスタにこってり叱られた。……半分以上理解できなかったけれど」
 エスタは怒ると言葉が外国語に変わる癖がある。出身が元々この大陸ではないのだ。マギーも一応エスタと同じ大陸出身なので、かつて使っていた言語は同じなのだが、いかんせんイントネーションが違うため早口でしゃべられると聞き取ることができない。
 マギーの持つはねペンがサラサラと動く。ペン先に付いたインクが紙にさっとにじむ。
 グランドはマギーの使う資料室の机の上に腰掛けていた。長身であるために机が小さく見えた。上方からマギーの書く文字を目で追っている。マギーの脇には小さな紙切れが置かれていて、それは先程グランド達が買い物に行った時の購入品リストだった。
 グランドは容姿端麗で聡明であり、人当たりも良い。まだ十八歳だが口も上手く、値切りの名人だったりする。だから買い物をした時、その値段を知っているのはグランドしかいない。正規の値段は何処でも似たような物だが、グランドにかかればそんな物は意味がないからだ。
「しっかし」
 ペンを走らせながらマギーが呟く。
「よくまぁ、これだけ値切ってくるね、毎回」
「当然。商店街のお姉さん方は、俺の味方だから!」
 基本的に、女性に限定されている。
 マギーはうらやましい、と呟いて小計を記した。
「マギさんだって、すごいじゃん。俺はこんな作業、とても終わらせらんないな」
 少々気持ちを察するところあって、グランドが呟く。マギーは外の仕事にはあまり行かない。主に仕事をこなしているのはもっと若い層。グランドくらいの年齢か、もっと下の人間だ。
 事務処理担当のマギーは、いわば縁の下の力持ちだ。何でも屋としての仕事は、確かにマギーはほとんど関与していない。だが組織が組織として成り立っていて、複数の人間がその中で生きていくことができるのは、マギーの力も大きく関わってきている。
 皆、孤児ばかりである。親がいない。元々物騒な世の中、孤児は珍しくもなかったが、それでも組織にいるのはそれなりの事情のある人間ばかりだ。組織が家であると言っても過言ではない。
 二十代であるマギーですら高年齢に数えられるほど若い世代が集まった組織だ。数少ない大人達は、フォローのために必死だった。
「だけど」
 マギーははねペンを置いた。
「僕なんかより頭の回転が速くて、要領のいい子もたくさんいる。僕がやるより、ずっとずっと、効率がいいだろう」
 インクのフタを閉じる。一瞬、インク独特の匂いが鼻についた。
「例えばグランド、君だってそうだろう」
 相手がどうでも良い人間だったら、グランドは即答していただろう。「当たり前だ」と。
 グランドは押し黙った。
 マギーはイスを引いて席を立つ。グランドと並ぶと、マギーは妙に小さく見えた。筆記用具を棚に押し込め、ガラス戸を閉める。ガラガラと音がした。
「だけど」
 マギーは逆接を繰り返す。
「僕より会計職として優れている人間がいたとしても、その人が会計職になるとも限らないし、その人が全てのことをこなせる訳じゃない」
 細い目をさらに細めて、照れたように笑う。
「一応、この仕事を誇りには思っているよ」
 困らせてごめん、と最後に付け加えた。
 そしてさらに恥ずかしそうにうつむく。子供たちは今日を生きるために健気に働いているというのに、自分は時々愚痴を吐かないと、自分の毒にまみれて死んでしまいそうだった。それがたまらなく恥ずかしかった。
 自分を慰める言葉には慣れている。何かあった時、最終的に自分を慰めるのはやはり自分なのだ。しかしその言葉すらも信用できない。
 自信に繋がる行動をしていないから。実際に口に出して言わないと、自分があやふやな物に思えてくる。形にしなければ持続しない精神。情けないと思った。
「あー、えーっと」
 グランドにしては珍しく言葉を詰まらせていた。
「でも、さ。マギさんいて本当良かったと思うよ? 猪突猛進な奴らばかりだしさ、子供っていうのは限度を知らない。無茶をする。
 みんな、かけがえのない大切な仲間だって思ってるだろうし」
 思いがけず、マギーは微笑んでいた。それどころか、ぷっと吹きだしてしまう。グランドもにかっと笑って、「ヒデーなぁ」とマギーの肩を小突いた。
 バギーは密かに、子供に慰められてちゃ、世話ないな、と思ったことは、言わないでおく。本気で怒られそうだったから。
 その子供から、仲間だと言われるのは、まんざらでもなかった。幼いころ生まれ育った村の風習から、仲間意識は強いマギーだ。だいぶ年下だとはいえ、現在の仲間たちを、彼はとても気に入っていたからだ。
 失うことはとても恐ろしいが、全てを手中に収めることはできない。欲を張るにしても自分にはとても器が足りないと思っているし、何かが足りなくても、マギーは現状に十分満足している。時には落ち込むこともあるが、それこそ仲間が共にいれば乗り越えていけるだろう。
「僕も本当に良かったと思うよ」
 誰にも聞こえないくらいの声で、マギーは言った。その後半の言葉は、口には出さずに、心の中で呟く。
 かけがえのない、大切な仲間と出会えて。
 思った後で、本当に口に出さなくて良かったと思う。自分にはくさい台詞は似合わない。グランドはさらりと言ってのけたが、それは格好いい奴の特権だとマギーは思った。
 だから、口に出さないまま伝えたいと思う。そのためにマギーは今日も会計に励むのだ。
 自分の役目が、終わるその時まで。



FIN.

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時間がなくて書き殴った話。
この時期パソコンが壊れていまして、本当に大変でした……。
よって、当時修正したくても内容が修正できず、最後の部分が超意味不明な文章のまま部誌に掲載されることに。
一応修正しましたがまだ意味不明かもしれません……。
じっくり時間をかけて小説を書きたい今日この頃です。



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