「花」



 わだちがあった。自転車のタイヤの跡だ。
 いくつもいくつも地を這っている。時折大蛇のようにのた打ち回りながら、道なりに真っ直ぐ進んでいく。
 わだちの中に、花があった。小さな花をつけた、雑草だ。白いつぼみは少し開きかけている。
 つぶれていた。タイヤにひかれ、つぶれて平たくなっていた。茎は根元から折れ曲がっている。
 つぼみはつぶされて少し開きかかっていた。花びらの間から、黄色いおしべがはみ出る。
 無残だった。
「可愛そうですね」
 ゆりはぽつりと言った。
 道の端に屈みこむ。膝丈より少し高いくらいの、制服のスカートの裾を押さえた。
 顔の横にかかる髪を耳にかける。細く流れるようなセミロングは、優しいミルクココアの色をしていた。
 ゆりの隣に立つ雪夜は、道の端に寄って、彼女を見下ろした。
「そうだな」
 あまり感情のこもっていない声だった。ゆりは唇を三日月形にした。
 雪夜は突っ立っていた。不器用な人だから、何も出来ないのだ。ゆりにかける言葉も見つからない。特にすることもない。
 思いやりだけは十分に伝わってきた。ゆりはそれだけで嬉しかった。
 ゆりは小さな花に手のひらをかざす。西側に傾く太陽でうっすらと影が出来る。
 空の端は灰色の雲で縁取られている。今は夕日で赤々と染められている。明日は曇りかもしれない。
 手のひらから、淡い光が漏れた。温かな光だった、白くて、ほのかに緑色を帯びている。手のひらの回りを同じ色の粒子が舞う。粒子は点滅を繰り返し、蛍のように、踊っていた。
 手をどけると、雑草は空を見上げていた。折れ曲がっていた茎を天に向ける。花びらはほのかに赤かった。小さな花びらをしっかり開く。嬉しそうだった。
 生き物を癒す能力。一種の超能力のようなものだ。ゆりは生まれつき持っていた。
「ここにいると、また踏まれてしまいますから、移動しましょうか」
 花に語りかけるように呟く。小さな手で土をすくう。根の周りの土を丁寧に取る。
 雪夜はゆりの向かいに回る。屈んで、土を掘る。雪夜の指は、細くて、長くて、繊細そうだ。実際は幼い頃から剣道を続けているため、マメだらけだ。
 二人でしばらく掘る。小さな雑草はすぐに根っこが出てきた。ゆりはそれを両手で優しく包む。
 二人の手は真っ黒だった。小さな花は真っ白だった。
 ゆりと雪夜は顔を見合わせた。雪夜は小柄で、高校二年生の割には百六十センチの域を出ないが、ゆりはもっと小柄だった。雪夜のあごの辺りに頭がくる。
 ゆりはちょっと顔を上げて、雪夜の瞳をのぞき込んだ。神秘的な、紫色の瞳だ。
「どこにお引っ越しさせましょうか?」
 雪夜は無言だった。数秒待って、ゆりがまた言う。
「お友達がいっぱいいる所が良いですよね」
 雪夜は無言で頷いた。
 どちらからとなく、歩き出した。ゆっくりとした歩調だ。
 長い影が二つ並ぶ。歩くたびに、肩の辺りでゆりの髪が揺れる。二つの影は、寄り添っていた。
 舗装されていない道に影が映る。両脇には小さな林がある。とても静かだった。ゆったりとした時間が流れた。
「何という名前の花なんでしょうね」
「知らない」
「私もです」
 きっぱりと答えた雪夜に、ゆりは微笑んで返す。無愛想だが誠実な答えだ。
「でも可愛らしくて、とても好きです」
 ゆり大事そうに手のひらを開く。小さな花がちょこんと載っていた。
 小さな花びらを精一杯開く。細い茎を天まで伸ばす。薄い葉っぱを広げる。
 見かけは小さいが、一生懸命生きている。生きようとしている。ゆりは愛おしくてたまらなかった。小さな命が、愛おしくてたまらなかった。
「雪夜さんは、好きな花はありますか?」
 話を振られて、雪夜は顔を歪めた。
 不快にさせてしまっただろうか。不安になって、ゆりは眉毛を下げた。
 こっそり雪夜の顔をのぞき込む。ゆりは気づいた。
 ほのかに雪夜の頬が赤いのは、夕日のせいだけではないだろう。照れているのだ。おそらく、すぐに思い浮かべてしまった答えに。
 ゆりは頬をゆるませた。
「教えてください」
 雪夜の顔をのぞき込んで言う。
 雪夜は顔を逸らした。ゆりは黙って顔をのぞき込む。雪夜はうめいた。
 口の中で発音された言葉は、ゆりには聞こえなかった。「何ですか?」と聞き返す。
 雪夜はゆりの方を向いた。顔をしかめながら、小さく口を開く。
「ゆり」
 夕日は向かい側にあって、二人の顔はとても赤かった。
 ゆりは慌てて視線を泳がせた。自然に足が速くなる。小柄なゆりは雪夜にすぐ追いつかれてしまう。
 二回、乾いた音がした。思わずゆりは振り向いた。雪夜が手をはたいた音だった。白い砂埃が舞う。
 雪夜は小さな花の茎をつまみ上げる。細かい土がこぼれ落ちた。小さな花は、雪夜の片手、ゆりがいる方と反対側の手に載せられた。
 雪夜は開いた方の手でゆりの片手をとる。ゆりは雪夜を見上げた。雪夜は少しだけ笑った。
 手をつなぐ。軽く握り締めた手は、お互いとても温かかった。
 ゆりは幸せそうに笑う。雪夜は照れて口を横に引っ張っていた。
 白い花が幸せそうに笑う。
 二人と、一本の、ささやかな帰り道だった。



FIN.

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「好きな花は何ですか?」
「ゆり」
のくだりが書きたいがために書いた甘い話。
ラブラブ話は書けませんが臭い台詞なら書けます。
でも根性なしなので手をつなぐ以上のことは書けません。
態度でいちゃいちゃさせるのは無理です。
しょせん口だけの野郎です。
唯一、雪夜があまり喋らない辺りだけは成功したと思います。



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