[おやすめ]


 眼前にはでっかい毛玉がひしめき合っていた。毛むくじゃらの獣が森の中から次々と出てくる。何体いるのかは判らないが、その巨体のせいで景色はほぼ茶色一色に埋められていた。
「壮絶やな」
 魔物の群れを前に、ユーヤは苦笑混じりに呟いた。拳を握りしめ、胸の前に構える。腰を低く落として全体重を後ろに下げた左足に載せた。
「あんま良い眺めではないけどな」
 ユーヤの後ろで、ブレスも背中にかけた鞘から剣を引き抜く。細身のブレスには似つかわしくない大振りの剣だ。よく磨かれた刀身が、晴れた空を映し出した。
 淡々とした口調の中に焦りは見られない。魔物を目の前にしていながら、大したものだ。
 ユーヤはたくましい眉を歪めて、口をへの地に曲げる。ブレスの余裕しゃくしゃくな態度が気に入らなかった。
「どうや、ブレス。魔物を多く倒した方が今日の夜、上で寝るってゆーのは」
 険しい視線をブレスに投げかけながらユーヤが言った。ブレスは視線を逸らす。圧倒されたからではない。呆れているのだ。
 にらみをきかせるならば、仕事仲間ではなく、魔物にしろ。そうつっこんでやりたかったが、直接言えばかえってにらまれるのは目に見えている。
 ブレスは虚空を見つめてしばし間をおく。出した結論は、「どうでも良い」だった。
「判った」
「よっしゃ、負けへんで!」
 叫ぶと同時にユーヤは左足で思い切り地面を蹴りつけた。勢いよく走り出す。残像がブレスの目に焼き付いた。
 ユーヤは拳を腰の辺りまで引く。魔物の眼前まで来るとさらに強く踏み込み、胸部めがけて拳を放った。
「やぁっ!」
 防ぐ暇もなく、魔物の胸に拳がめり込む。ユーヤの腕に鈍い感触が伝わった。嫌な音が響いてくる。何本も骨が折れたのだろう。
「ヴォォォォ!」
 くぐもった声で魔物が叫ぶ。激痛のあまり、後ろへ倒れた。斜めに傾いた体の上を走り、頭部に蹴りを入れる。魔物の瞳から光が失われた。とどめはまだ刺していないから、気絶したのだろう。
 蹴りの勢いでユーヤの体は空へと舞った。体制を整えながら、ユーヤは吠える。
「潰したるわ!」
 落下するユーヤのかかとが別の魔物の頭部に直撃し、また一匹、地面に倒れていく。

 ユーヤの厚い胸板に、白くて細い手が湿布と共に叩きつけられる。傷口に伝わる衝撃に、ユーヤ小さくうめき声を上げた。
 本当は結構痛かった。しかしここで大声を上げたのでは格好が悪い。歯を食いしばりながら痛みを飲み込み、手の持ち主に視線を向けた。
「もうちょい優しくせーや!」
「湿布をつけてやるだけでもありがたく思え」
「お前が働かなかったのがいけないんやろっ」
「言っておくけどな」
 傷口を覆うようにして湿布を貼り、ブレスは顔を上げる。ブレスの顔は端正だ。中世的でやや幼さを残すその顔立ちは、女性的とも言える。長いまつげのついた大きな目で見上げられて、ユーヤは反論する言葉を失う。
 なんだか女子供を相手にしているような気分になるのだ。実際はユーヤよりブレスの方が圧倒的に強い(だからこそユーヤはブレスを敵視している)。それは十分判っているのだが。
「あの手の魔物は群れで行動していて、必ずリーダーがいる。そのリーダーを倒してしまえば群れは引いていくんだ。なわばり争いと一緒。
 それなのに、がむしゃらにつっこんでいく馬鹿がどこにいる。考えてから行動しろよ馬鹿」
「馬鹿言うな!」
 淡々とした説明口調に腹が立って、ユーヤはブレスの手を払いのけた。ブレスははたかれる前に素早く避けたため、ユーヤの手が空振りする。
 結局、ユーヤはブレスよりも圧倒的な数の魔物を倒した。ブレスは慎重に魔物と切り結んで、さっさとリーダーを見つけだした。ブレスが説明したとおり、リーダーを倒された群れはあっさりと森に戻ってい
った。
 何人かの若者で運営されている何でも屋「UNDERTAKE」に届いた元々の依頼は、魔物を退けること。つまり、仕事を成功させたのはブレスの方だった。
 ユーヤは骨折り損である。大して手強い魔物ではなかったとはいえ、数が数だ。向かってくる魔物をいちいち相手にしていたユーヤは、不意をつかれて傷を負ってしまった。幸い傷はそう深くはなかったものの、プライドは深く傷つけられた。
「くそぉ……」
 悔しくて顔を上げていられなかった。ユーヤは顔を伏せる。ブレスはその表情を見ないよう立ち上がった。ベッドの脇に置いた救急箱の中に、余った湿布を収納する。箱を部屋の隅に置いてある荷物の中へ入れた。
「約束は約束だ」
 部屋の中央に置かれたイスに腰掛け、ブレスはテーブルにほおづえをつく。
「今日はお前がベッドに寝て良いよ」
「なんや……それ」
 ベッドのシーツを握りしめ、ユーヤはまじまじとブレスの顔を見る。相変わらずの無表情からは何も読みとれない。
 この部屋にはベッドが一つしかない。あまり難しい依頼でなかったので、報酬も安かったから、経費策善のため宿屋で一人部屋を取ったのだ。もちろん犬猿の仲(ユーヤが一方的にライバル視しているだけだが)である二人が仲良く並んで寝るわけはない。一人はベッドで寝て、もう一人は床で寝る羽目になった。それが「上で寝るか下で寝るか」という問題である。
 ちなみに昨日はユーヤが下で寝た。ジャンケンで負けたからだ。ブレスがベッドでぬくぬくと寝ている様を床から見上げるのはすごく屈辱的だった。今日こそはベッドで寝てやると勇んで勝負をふっかけはしたが。
 同情されて譲ってもらうのはもっと屈辱的だった。
「依頼を完遂させたのはお前やん」
「勝者は魔物を多く倒した方だ」
「だけど!」
 ユーヤは勢いよく立ち上がった。さして頑丈でない床が音を立てる。ブレスはイスから腰を上げて、ユーヤの正面に立つ。ブレスの身長はユーヤの鼻の高さまでしかなかった。
 手をユーヤの額の位置へ持っていく。ユーヤは思わず、ブレスの手の動きを視線で追った。ブレスの指がユーヤの額に当たった。
「いいから、けが人は大人しく寝てろ」
 きっぱりと言って、ブレスはベッドの上から毛布をひったくる。床に横になって、毛布にくるまった。
「もう寝るぞ」
 ユーヤの返答も聞かず、部屋を照らしていた明かりの魔法を消してしまう。あっという間に真っ暗になってしまった。
 ユーヤは額を軽くなでた。ブレスの指はひんやりとしていた。冷たい床の上で寝たら凍えてしまうんじゃないかというくらいだ。
 毛布をめくって、ユーヤはベッドの上に滑り込む。
「意地っ張り」
 一言呟いてから毛布をかぶる。
 ブレスの毛布が少しだけめくれた。
「お前だけには言われたくないね」
 お互い、寝返りを打って背を向け合った。


FIN.

 「ユーヤは頑張ってベッドを死守したけど、ヤマト(日本みたいな国)出身だから床じゃないと寝にくい」という話を書きたかったのに、肝心のその部分がすっぽり抜けました。ドンマイ。
 「おやすみ」の命令形だから「おやすめ」です。変なタイトルです。タイトル付けにはいつも困っています。



モドル   おまけ漫画→