「ハナの季節」



 風が吹く。窓ガラスが震える。強い風に、じっと縮こまって耐えているようだ。
 風は冷たくない。季節は既に二月の終りを迎えていた。強風はむしろ、暖かい空気を迎え入れる。春の始まりだった。
「嫌な季節になったもんだ……」
 鼻を鳴らし、緑色の頭が揺れる。大きな体を深く折り曲げて、ソファーに座っている。少し窮屈そうだ。
 机の上には書類が散乱していた。数字が書き込まれているもの、人名が書かれているもの、様々だ。
 書類の上に堂々と置かれた黄色いティッシュ箱があった。既に十数枚減っている。その一枚をとって、緑色の髪の男は鼻をかんだ。水っぽかった。
 すっと通る高い鼻は、少し赤くなっていた。切れ長の瞳も今は赤くなっている。
 春は彼にとってもっとも嫌な季節だった。……花粉症があるからだ。
 体質なのかストレスからか、毎年花粉症が酷い。今年も、暖冬だったせいで、早くも花粉症がやってきたようだ。目を閉じれば涙が流れる。目頭を押さえて、新しいティッシュでぬぐう。丸めてごみ箱へ投げた。角に当たって、横へ転がる。床に落ちた。
「本当に調子が悪いみたいだな、緑山」
 書類を一枚一枚拾いながら、銀髪の少年が言う。緑色の髪を持つ、緑山という少年が、けだるげに視線だけを投げかけた。朱野は緑山と同じくらい長身なので、あごも少し上げる。
「良いですねー、他人事で。朱野君、君も一度地獄を見てみるといい」
 投げやりに言うが、鼻声のせいで、迫力が無い。朱野と呼ばれた少年は短く笑った。
「せめてもっと生徒会室の立て付けが良かったら、花粉も入ってこないんだが」
 二人が今いるのは、生徒会室だ。とはいえ、そう特別な空間ではない。立て付けは悪く、強風があれば隙間風が吹く。甲高い音を立てて風が出入りするので、夜に聞いたら怪談にでもなりそうだ。現に、七不思議の一つは生徒会室にあるという。
 机を生徒会役員分置いたら結構狭苦しい。というのも、持ち込まれたソファーのせいだった。現生徒会長の緑山が持ち込んだのだった。革張りで、丸一年以上使っているが色落ちもなく表面も綺麗だ。なかなか高価であることが伺える。
 緑山には両親がなく、養護施設からこの学校に通っているはずだが、一体どこから手に入れたのかは計り知れない。噂では、どこぞのマダムからプレゼントされた……とか言われている。
 緑山は整った顔立ちをして、そんな噂が立ってもおかしくない美少年だった。スタイルも頭も良くて、長身で、愛想も良い。それで生徒会長をやっていればもてないわけがない。噂もあながちウソではなさそうだと朱野は思っている。
 かくいう朱野も緑山とは異なる人気を博している。もてる条件は似たようなものだが、違うのは朱野は平和主義で堅実な性格をしていることだ。そのため教師から後輩まで幅広く信頼されている。朱野もまた生徒会に入っているが、役職は副会長だ。
 ほとんど、完璧だった。唯一緑山は生徒としてはやや不真面目、という欠点があったが、それすらも補える技量があった。
 ただ一つ、花粉症が尋常でなく酷いということを除けば。
 緑山にとってはまさに地獄のようである。真っ赤になった鼻頭と眼球をさらすくらいなら、家でずっと引き込んでいたいと思う。これでも、気丈に辛さを隠している方だ。それでもなお辛さがにじみ出ている。
 これを地獄と言わずして何と言えよう。大げさでなく、本当に納得できるほど、この時期の悠大は悲惨だった。
「……あけの」
 話すのも辛そうに口を開く。ティッシュではなお押さえて、机に伏せていた。ゾンビのようである。
 朱野は眉間にしわを寄せた。大丈夫かと問いたかったが、余計にしゃべらすことになりそうだったのであえて問わなかった。短く「何だ」と答える。
「ガスマスクって、校則違反に入るのかな?」
 朱野は二の句が継げなかった。
 そこまでして役目を果たそうというのか。普段は不真面目な生徒会長が……いや、年度末の仕事がどれだけ多くて、重要かは、副会長である朱野にも十分判ることではあるが。
 緑山の目はうつろだ。どこを見ているともつかない。真っ赤に充血して、くっきりと見える目玉の血管が、痛々しかった。いや、かゆそうだった。
 本気だ。朱野は確信した。本気でこいつはガスマスクをつけようとしている。今の緑山ならやりかねない。例え花粉症が辛かろうと、それでも彼は戦い続けるのだ。
 救う手立ても特に無い。花粉症になったことのない朱野には、緑山の辛さは判らないのだ。花粉症どころか風邪にもほとんどならない。なっても二、三日で治ってしまう。
「装飾品として少し言われるかもしれないけど……実用品だから、大丈夫だと思うよ」
「そうか」
 緑山はほんの少し嬉しそうにうなずく。ティッシュをとって鼻をかんだ。もう投げる気力もないらしく、そのまま握った。
 朱野は息を吐いた。どっと疲れが出てきた気がする。書類を置いて、床に落ちていたごみをごみ箱へ入れ直した緑山が握っていたティッシュも捨てる。
 卒業式に、学年末テスト。学年末行事に、入学式および新学期の準備。度重なる仕事で毎日にぎわう生徒会室。
 休むわけにはいかない。特に、生徒会長である緑山は。
 翌日から、戦場に迷い込んだかと錯覚するような装備をつけた緑山の姿が……。
 見られたかどうかは、誰も語ろうとはしない。



END...



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