「トオイミライ」
それは断末魔の声であったのだと思う。声というにはあまりにも乱雑で、どちらかといえば轟音のようだったけれど、それは涙をはらんだ叫び声に似ていた。 消えていく。たった今まで対峙していた魔物の身体は、塵のごとく消滅していった。土に還ることもなく、完全な消滅だった。 それが、生命と寄り添って生きていくことを選ばなかった存在の末路。破壊するばかりで何も生み出さない存在には、帰る場所も無いのだ。 いつしか叫び声は消えていた。清司はたった今魔物を切り捨てたばかりの剣を右手に携えたまま佇む。刀身は銀色に輝いていて、その大半をどす黒い魔物の体液が覆い隠していた。 徐々に黒が引いていく。波が引いていくみたいに。そのまま黒は戻ることなく、銀色の輝きが黒色を侵食する。 血の一滴すらも残さず消えようとしているのだ。存在していたことを証拠付けることも許されない。存在する力を失えば、魔物は世界から綺麗に取り除かれる。哀れなものである。 同情してはいけないのは分かる。魔物を死に追いやったのは清司であり、今彼が手にしている、剣なのである。清司は魔物を排除するために地に降ろされた。魔物を殺すことこそが使命であり、清司が生きる理由である。 人をはるかに超えた存在、輪廻に交わらぬ魂。魔物とそれを駆除するために降ろされた人間達は、酷似している。しかし最も交わらない位置にいる。言わば平行なのだ。酷似しているが、永久に交わらない存在は、互いに排除しあうしかない。 清司たちは魔物を殺さなければ生きることを許されない。不思議なものだ、いざ使命を終えてしまえば、やはりこの地から追い出されてしまうというのに。清司は今日も魔物を殺して生きようとする。 「全てはこの星の未来のため、か」 全ては神の意思のままに。清司は何処にいるとも判らない神を探して、空を仰いだ。最近星を見ない気がする。今日も雲がかかっていて、夜空はくすんでいた。 魔物をこのままはびこらせていればいずれこの星は朽ちていくだろう。破壊のみを繰り返す魔物は星に何も与えはしない。循環していく生命と違って、魔物は星を食うばかりである。このままでは星はいつか死んでしまう。どれだけ先か判らないが、遠い未来、確実に星は滅びる。 だがそれがどうしたというのか。滅びるにしても、それは確実に清司の生きていない時代の話だ。自分がこの星にいられるのは、せいぜいあと数年。それっぽっちの未来で、全てが変わるとも思えない。 長くは生きられない自分が命を賭してまでこの星を守って、一体何を残そうというのか。空しかった。 「きゃぁっ」 間の抜けた悲鳴が聞こえて、清司は振り返った。見えたのは既に遠ざかっていく後姿だった。女性のようで、会社帰りのOLか何かだろう。 そういえば剣を持っていたままだということを思い出した。確かに暗い夜道で剣を片手に立っている男を見たら、悲鳴を上げるだろう。いや、辺りには家の明かりしかないから、剣のきらめきだけが見えて、それが魔物の爪か何かに見えたのかもしれない。どちらにせよ似たようなものだ。清司も魔物も、大差ない。 清司は剣を宙へ投げた。くるくると回りながら、剣は光を反射する。剣は地面へ落ちることなく消滅した。清司に還元されたのである。もともと清司の力を凝縮して出現させていた剣だ。清司の意思で創ることも消すことも出来る。 剣がなくなれば、清司は一瞬自分が「普通の人間」と変わらない人物になったのではないかと錯覚する。それも無理な話だ。刀身のように銀にきらめく髪が、否定しようのない真実を告げている。もはや宿命からは逃れられないのだ。 染めてみたりもした。小さい頃は坊主にしたこともあった。だけど相変わらず魔物との闘争は減らないし、身体能力が人並みになるわけでもなかった。 いっそのこと、自ら消えてしまえば――。 自分の首に手を当てる。身体には普通の人間と同じように、血液が流れている。どくどくと脈打つ感覚がうかがえる。 血流が、一瞬激しくなる、その直後、止まる。 清司ははじけるように振り向いた。気配を感じたのだ。普通の人間のそれとは違う。生気の感じられない気配。魔物とも違う。 「清ちゃん」 名を呼ばれて、清司は凍りついた。少女の声だった。高い声。ガラスが砕け散ったかのような声だ。聞き覚えのある、いや、飽きるほどに聴いていた声だ。 それは清司の頭上にいた。浮いているわけではない。電信柱の上に、そっと腰掛けている。その身体は中身が入っていないかのごとく軽く見える。まるで幽霊のようだ。幽霊のように儚くて、曖昧で、清司は血液が凍りそうになるのを感じた。 上手く血が流れない。脳みそが血を欲してあえいでいる。脳貧血状態だ。上を見ているのも辛かった。 少女は細くて白い足を揺らす。サンダルを引っ掛けただけの足は、小ささが目立つ。背もさほど高くはない。人ごみの中にいたら違いなく見失ってしまいそうな存在感の薄さだが、金色の瞳と髪は、異様なまでの輝きを放っていた。 触れたらしびれてしまいそうな強さを帯びている。それが少女を浮き彫りにしていた。清司が最も苦手とする少女、幼馴染の神楽坂リアである。 「荒れてるね」 頬に手を当てて、リアはくすりと笑う。リアはどこかあざ笑うような笑い方をする。ひねた笑みだ。それが気に入らなくて、清司は思わず顔をしかめる。 「お前には関係ないことだろう」 言った後で、しまったと思った。リアの言葉を肯定してしまったみたいに聞こえる。実際に少し気が滅入っていたのだから、リアの言葉も当たらずとも遠からずだが。 リアは面白そうに清司を見下ろしている。まるでお気に入りのおもちゃをいじるような目つきだ。 そして、いともたやすく爆弾を投下する。 「やめちゃえば?」 呟くように言って、リアは近づいてきた。歩み寄ってきた、などと生易しいものではない。 電柱から身を離して、宙へ舞う。シャツの裾がはためいて細い腰があらわになった。キュロットスカートがきわどい所までめくれ上がるが、スカートでないだけましとしよう。 清司はギョッとした。目を見開くよりも先に、腕を開く。リアの身体は思いの外ゆっくりと大きくなっていく。 リアは落下していた。身体全体で空気の流れを受け止まるようにして、ひらひらと。リアの大きさが等身大まで拡大された時、清司の胸に衝撃が走った。 軽いとはいえ、人一人の体重がのしかかってくる。しかも、はるか上空からだ。普通の人間だったら押しつぶされているのではないだろうか。 清司はリアの身体を両腕でしっかりと包み込んで、抱きとめた。膝を折り曲げて身体を支えるが、さすがに耐え切れずに一、二歩後ろへ下がった。 「まったく、お前はいつもとんでもないことをする」 だから俺はお前が苦手なんだ、という台詞は、後が面倒なので言わないでおいた。リアというと心が安らぐ暇がない。 リアは清司に抱きとめられているのをいいことに、清司の背中に腕を回す。年齢の割りに体格のいい清司の胸板は厚い。胸に顔をうずめるが筋肉のせいで硬かった。だけど、温もりは心地よかった。 「清ちゃん、辛いならもう魔物退治なんて終りにしよう?」 もう一度呟く。清司の腕の中にいるせいで声はくぐもっていた。清司は更に強くリアを抱きしめる。これ以上しゃべるなとでもいいたげに。 リアは清司より頭一つ分以上小柄で、簡単に腕の中におさまってしまう。触れればより一層儚げに思えてくる。 「あたしは別に使命なんてどうでもいいよ。確かに使命を果たさなければあたし達はこの星にいられなくなる」 二人が十数年生きてきた世界。仲間たちが守り続けてきた世界。清司たちは条件付でこの世界に滞在させもらっているだけだ。条件を破れば追放される。 愛着が無いわけではない。仲間以外にも、家族や友人が出来た。守る理由が無いわけではない。それでも。 「あたしは清ちゃんさえいればいい」 リアは言葉を肯定するかのように清司のシャツをつかむ。ランニングをしに外へ出てきたのだろう。下はジャージで、至極動きやすい服装をしていた。 行動だけ見れば真面目な学生だ。しかし途中で魔物に遭遇してしまった。日常から非日常へ移り変わってしまった。日常はいともたやすく崩れ去っていく。普段自分達が生きている日常はただの虚像でしかないことを思い知らされる。 だからといって、やめることなどできない。 「これが使命なんだ」 「だけど」 「俺たちが生きる意味だ」 なおも何かを言おうとするリアを離す。リアは清司にしがみついたままだった。駄々をこねる子供のようだ。へばりついて離れない。 清司はリアの髪をすく。癖のある髪だが、髪質自体はさらさらしている。ほのかにシャンプーかリンスの、いい香りがした。 「自分の好きなように生きればいいじゃない」 リアは不機嫌そうに清司の手を払う。だけど自分は清司から離れようをしない。奇妙な態度に、清司は思わず笑ってしまった。 「生徒会の仕事やって、剣道も続けて、あたしに遊ばれて。それでいいじゃない」 最後の項目は取り外し不可なのだろうか。是非取り外してくれとリアに訴えたかったが、承諾してくれそうにもなかった。 何が気に入られたのか、リアは毎日清司にちょっかいをかけてくる。最初はそれほど憎まれているのかとも思ったが、違う。懐かれたのだ。誰にも懐かなかった猫が、清司にだけは懐いたのだ。 以後、ずっと崩れない関係が続いている。付きまとう方と付きまとわれる方。清司も拒絶しないし、リアも飽きないから、きっとこれからも続いていく。 剣道も、武器が剣のせいか、やっていて楽しかった。勝手はまるで違うが命の駆け引きとかをなしにしたゲームは純粋に楽しい。学校から帰ってきてもランニングをしてしまうほどには熱中している。 好きなこと。沢山ある。好きなことだけを選んで人生生きれたら最高だろう。命のやり取りは確かに好きじゃない。そうできたなら。 「あいにく、好きなことだけやって楽しんでいられるほど、器用でも図太くもないんだ」 生徒会にも思わず入ってしまったし、授業はサボれないし、部活にも手を抜けない。どうも清司は上手く生きていくのが苦手らしい。気が付けばいつも貧乏くじを引かされている。リアに懐かれたのも貧乏くじの一つだ……と言ったら、リアは怒るだろうか。 確かに、自分の思うように生きられたら良いのだろう。それが出来ないから誰もがもがいている。好きなことをやりたければ面倒なこともしなければならないし、ルールが付きまとう。 ルールを果たさなければ失格の退場になってしまう。スポーツみたいに。そうしたらもう試合どころじゃない。好きな人生を歩むどころの話ではなくなる。 ルールを上手くかいくぐってどうにかできるほど、清司は器用な人間ではない。多少ルールを破ってもしらばっくれていられるほど、図太い人間でもない。だからルールに沿って生きるのが、清司にとって一番やりやすい生き方なのだ。 だから使命を果たして生きる。辛くても。矛盾を感じても。覆したければ、やりたい誰かがそうすれば良いのだ。 「……馬鹿」 「ごめん、何か言ったか?」 「何も!」 リアは清司からパッと離れると、振り返りもせずずかずかと離れていく。清司にはよくわからなかったが、怒っているらしい。地響きでもならしそうなくらい地面を強く踏みつけるが、リアの細い足では軽い音を鳴らすのが精一杯だった。 勝手に現れて、勝手に怒って去っていく。つくづく考えがつかめない幼馴染である。清司はリアの背中を大またで追いかけた。数歩で隣に並んでしまう。リアは清司をにらみつけて更に足早になった。 「何よ!」 「送ってくよ」 「結構よ! あたし強いもん!」 清司は言葉に詰まる。リアも清司と同じ、人知を超えた能力を持っている。清司もリアもかなり強い部類に入って、力はほぼ同じくらいである。実際、清司は魔物と戦って負けたことがないが、リアが負けているのも見たことがない。 だからといってここで引き下がったらまた怒られそうだった。なんだかんだで一人になるのが嫌なのだ、リアは。毎日ちょっかいをかけられてきてうすうす感ずいてきた事実だ。 今日いきなり現れたのだって、突然さびしくなったからに違いない。だからといって、そうなのかどうか確かめれば、また怒られる。結局真実は闇の中なのだ。誰も見られないリアの心の中だ。 あえて知ろうとも思わない。どうせいつかは見えてくるのだ。遠い未来のように。 時が来れば知らせてくれるだろう。あれこれと予測するのは清司の性にあわない。堅実に生きていれば悪い答えは出てこないだろうと思って生きている。とはいえ、報われたためしはまだ無いような気がする。 今はまだ、知らなくてもいい真実。もしかしたら、永遠に知ることはできないのかもしれないけれど。 例え自分達が辿り着く道じゃなくても、今歩くこの道が、はるか遠い未来まで続いていることを……それを、他の誰かが歩いていってくれることを願って、彼らは歩き続けるのだ。 FIN. 好きなサイトさんに「トロイメライ」って言うところがあるんですが、音がどうにも「トオイミライ」に似ているな〜、という実にくだらない理由で一気に書いてしまった小説。 意外にリアと清司がいちゃこらしてくれて良かったです。「怒濤の球技大会大作戦」や漫画の方の「お兄ちゃんが一緒」で名前は違えども出てくるリア(ネイス)ですが、私のキャラの中ではかなり女の子らしい女の子キャラです。他はどいつもこいつもたくましい女たちですとも。(そして男はひたすらへたれ)。 |