確実な未来などない。そう信じてカードをめくる。
表に出てくるのは、いつでも正位置の。 「THE DEATH」 私は机の上に無造作に置かれたタロットカードを回収していく。机の上を滑らせるように一枚一枚。絵柄を裏にして、上下はそろえないで、カードはどんどん山積みになっていく。 カードの端は使い古されてボロボロになっている。そのしなびた紙のカードが手に馴染んで使いやすく、私はずっと同じタロットカードを使っていた。 カードの裏は落ち着いたエンジ色。少し、血の色を彷彿させる。私は赤系の色を好まず、この色も例外ではなかったけれど、だからこそ公平な結果を出してくれるように思えた。もし自分の好きな色を使ってしまったら、自分のわがままで正しい結果が歪んでしまうような気がする。 運命はすでに始まっている。この山積みのカードから次の占い結果を導き出すわけで、一見互換性のないように思える前後の占いも、全て運命によって導き出された結果なのだ。 たとえば、明日の天を占おうと思ったれど急に夕飯の内容を占ったとする。それも運命による策略だ。未来は不明確のようでいて実は一字一句違うことなくすでに運命づけられている。 未来は過去と同じくらい変えることができない。私は知っている。私には、未来が見えているのだから。 タロットカードを集め終えて、軽く角をそろえる。摩擦でなかなかまとまらない。いびつなカードの束を指先でなぞる。何となく違和感があった。いつもと厚さが違うような、そんな感じ。 私は何の絵柄がないのか、目を閉じて探した。ふと浮かび上がるビジョン。緑色の髪の青年が、「塔」のカードを持っている。それを私に手渡した。 現実の風景ではない。それどころか、私は現実の風景がほとんど見えない。視力が著しく低下していて、分厚い眼鏡をしてやっと世界の輪郭が見える程度だった。 今見えたのは、少しだけ先の未来の映像だ。緑色の髪の青年がカードを拾ってくれるらしい。未来には逆らえないので、私はカードの束を置いて待つ。 タロットを使わなくても未来は見える。だけどそれにはとても集中力がいる。すぐに起こる出来事ならば見えるけれど、他人の未来となると、見るのは難しい。その点タロットを使うと、未来が綺麗に図式化されて判りやすいのだ。カードを切ると集中力が高まっていく。私に正確な未来のヴィジョンを与えてくれる。 程なくして、背の高い男の人が私の横を通り過ぎた。その人の髪の色は緑色だった。顔はよく見えないが、見なくても私はその人物をよく知っている。 黒い服は見慣れた隊服だった。私たちに支給された物で、普通の服より随分丈夫に出来ている。もっとも、若者たちはみなジャケットの前を閉めなかったり長袖なのを半袖に切り落としてしまったり、自分たちのファッションに合わせて勝手に作り替えてしまっている。彼の隊服も半袖になっていた。 彼は急に視界から消えたかと思うと、すぐに机の下から頭を出した。足元に落ちている物を拾ったらしい。 彼が振り返った瞬間に、私は既視感を覚える。先程見た映像が重なる。 彼は私に、タロットカードを手渡した。 「サラ、落ちてたぜ」 やはり未来は予定された道をなぞらえて降りかかった。押しつけられるように渡されたカードの表側を見る。雷の落ちる塔が描かれていた。 「ありがとう、グランド」 カードを束の中に押し込めながら私は付け足す。 「ついでに一つ教えるわ」 カードをケースの横に置いた。まだしまう必要はない。そんな気がした。 「高い所に、気をつけてね」 なるべくさらりと言ったつもりだったけれど、一瞬グランドの唇がキュッと引き締まった。私の見る未来は絶対的だ。私の言葉が何を意味しているか、彼なら理解していることだろう。隊服を着ているということはこれから仕事に出るということだ。仕事先で何かが起こるには違いない。 グランドはすぐに唇の形を元に戻した。強制的に作った形にしては、とても自然に見えた。 「判った、注意する」 ひらひらと手を振ってグランドは背を向けた。背がとても高いけれど、その割に背中が小さい。背丈のせいで、一見して運動神経が良さそうに見えるが、彼は魔道師だ。体力派にはっきり言って自信がない。それが裏目に出なければいいけれど。 私はつい未来を探っていた。その中に大怪我をしたグランドの姿は見られなかったので、ホッとする。同時にとても後悔した。タロット以外では命に関わる未来は見ないと決めたのに。 それが私の制約。私が望んで、私がそうしたことだ。そして最大の制約は、「自分の未来を見ないこと」。自分がいつ怪我をするのか、いつ死ぬのか、見てはならない。本当は、見るのが怖いだけだけれど。 「占いをしているのか?」 どこからか聞こえた声に、私の腕が震えた。タロットの山が崩れる。雪崩れるように上の方のカードが滑り落ちて、机に散らばった。グランドに意識を向けていたせいで、酷く驚いてしまった。 「いいえ、終わったところよ」 頬にかかった髪をかき上げる。私の反応が意外だったらしくて、声の主は少し戸惑っているようだった。たいがい何かが起きる前に私はそれを察知してしまうから。 私も少し不覚だった。なるべく何でもないような素振りをして、「何か用かしら?」と後ろを振り返る。 そこには、グランドとは違って小柄の少年がいた。もしかしたら私より背が低いかも知れない。私は女の子の中でも背が高い方なのだけれど。 大きなつり目がちな目に、サラサラの髪は、小柄な彼によく似合っている。肩幅も広くないから華奢な印象を受ける。 そのせいか彼の手にする剣はなんだかごつい印象を受ける――実際は、普通よりも少し大きい程度の剣だ。いざ戦闘になると、彼はそれをまるで重さがないかのごとく自由に振り回す。剣技は誰にも負けないだろう。 現に彼は私たちの中でも最も激戦をくぐり抜けてきた。年は私と変わらないというのに。 彼も隊服を着ているから、これから仕事なのだろう。剣はまだ背負っていないから時間はあるらしい。 「何を占ってたんだ?」 ほんの、ほんの世間話だろうが、彼が口を開いた。私は言葉を飲みこんでしまって、とっさには答えられなかった。 実は彼のことを占っていた。恋占いとかそういった野暮なものではない。……確かに、私は彼のことが、少し気になるけれど。自分に関することは占わないと決めたから。 彼の命について、だ。それは、自分のことを占う次に私が禁じていることではあるけれども。私は堪えきれなかった。 「……他愛もない事よ」 彼を直視できなくて、私は結局視線を逸らした。私の様子から、彼は追求して欲しくないことなのだと悟ったらしい。彼はそこで会話をうち切った。 私の傍を離れ、彼のシルエットが遠ざかっていく。眼鏡越しに見えるぼんやりとした彼の後ろ姿を見つめる。おそらく武器を置いてある倉庫の方へと向かったのだろう。少し早い準備をするために。 私は彼を引き留めたかった。私がそうしたところで、未来は何も変わらない。でも、彼がこのままいなくなってしまうような気がして、胸がざわめいた。 占っていたのは彼の寿命についてのことだった。夜空のような紺青の髪。いつか彼は日暮れと共にいなくなってしまう。夜の世界に連れて行かれて、永遠に目覚めなくなってしまうのだ。はかない雰囲気のある彼。彼が消えていく瞬間を、私は知っている。 幾度となく占った。未来を信じたくなくて。私たちが足掻けば、未来は変わっていくのだと。不変の未来などあり得ないと。そう信じたかった。祈りつつカードを何度もめくった。 表に出てくるのは、いつでも正位置の「死神」。 それはけして遠くない未来。彼はいなくなる。 私はタロットカードを床にぶちまけてしまいたかった。出てきた結果を、なかったことにしたい。そんなことは何の意味もないと、判っている。意味がないのだ。私がいくら占ったって、未来は変わらないのだから。 私は何故未来を見ることができるのだろうか。未来が見えたって何も変わらないというのに。 確実な絶望が、刻々と迫ってくる。夜はもうすぐそこ。 行かないで。何度も声をかけそうになる。でもあなたは立ち止まらないんでしょう? 命を落とすと判っていても、行ってしまうんでしょう? 戦場に向かうあなたの背中を、私は見ていることしかできない。 あなたのことを考えながら、タロットカードの山を崩す。適当に取った一枚のカード。一回で死神を引き当ててしまう自分が憎い。釜を持った黒いローブの骸骨は、私の手の中で嗤っていた。 私はタロットカードの死神を二つに引き裂く。乾いた音が耳に残った。それはまるで、死神の笑い声のようだった。 END. |