「Bottom」



日の暮れる具合は、まるで死ぬ際に似ている。
ベッドから身を起こし、すぐ傍の窓の外を見て、ジルはぽつりと思った。

透明なガラス板のはめ込まれた窓を押して少し開ける。
外には、夕焼けに染まった森があった。
よくよく見ると木々に一体化するように家がある。
森は町であり、町は森だった。

巨木の中をくりぬいて家にしている物もあれば、枝の上に小屋を建てている物もある。
割と平地に建っているジルの家は、石造りであった。
石造りの家は貴重で数も少ないが、彼の亡くなった両親が所有していた物だったので、
そのまま兄と二人で住んでいた。

両親は戦死であった。
珍しくはない。

人間と魔物はずっと争いをしている。
紛争と言うべきか。
小規模ではあるが、人間の町と魔物の町の衝突はたびたびある。
数年前少し大きな紛争があって、そこで両親は亡くなった。

度重なる紛争で、町はすっかり縮小した。
年寄りと子供ばかりになった。
町には孤児が溢れている。
そうでなくとも片親を亡くしている。
血縁関係も全てなしにして、町全体が寄り添いながら生きている。

この町は死にかけているんだ。
もうすぐ、死ぬんだ。

ジルはしきりに思った。
もしかすると心のどこかで消えてしまうことを望んでいたのかもしれない。
それは、自分がすでに死に損ないだからか。

小さく咳き込んだ。
のどに違和感を覚え、本能的に咳き込んでいた。
小さな咳が徐々に大きくなる。

止まらなかった。
乾いた咳がのどから吐き出されて、ついには肺がしぼみきって空気は出なくなった。
それでもまだのどの違和感が消えない。

苦しかった。
咳き込んでいなくても、吐き気がしたり、頭が痛かったりする。
元々体は強くなかった。
両親が死んだ直後にいろいろごたごたして余計に体調が悪くなった。

同じ時期に流行病にかかった。
それは完治したが、治った後はずっと具合が悪かった。

まだ成長期の終わっていない体は小さい。
胸板は薄い。
食事をあまり受け付けない体にはうっすらとあばら骨が浮き出ていた。

ようやく咳が収まって、ジルはゆっくり息を吸う。
落ち着いてから、外に視線を戻した。

森の中に飛び込もうとしている太陽は熟れたトマトのように赤かった。
赤い太陽がジルの黒い瞳に映し出される。

早く夜が来てほしいと思った。
ジルは夜の方が好きだった。
夜になると不思議と体調が良くなる。

夕日の真っ赤な光りは家の中にも差し込み、みんな赤みがかった色をしていた。
独特の文様の入ったカーペットも、
ジルが横になっている二段ベッドも、
本当は真っ白な家の壁も。

ジルの黒髪が窓から入ってきた風になびく。
夕日に当たる黒髪は、真っ黒なままだった。

風と共に窓の外から子供の声が入ってきた。
ジルは森を見上げる。

ジルの家は森の下の方にある。
店や広場も下の方だ。
上に行けばどうしても交通の便が悪いから。
その代わり、住宅地は拡大するごとに上に伸びていった。
今のも大方家に帰る子どもたちの声だろう。

「また明日」

思いの外近い所で、また声が聞こえた。
辺りを見ると、太い木の枝の上に、彼らはいた。
森の中では太い木の枝が道の代わりだ。

今声を発したであろう少年は、周りの子どもたちよりも少し大きかった。
他の子が十歳くらいかそれより下だとすれば、少年は十四歳程であろう。
周りの子が小さいせいか、少し大人びた口調をしている。
穏やかで、もう少し成長すれば好青年になるだろう。

ジルと同じ瞳の色に髪の色をしている。
それどころか、まるで相違はない。
顔立ちも同じならば背格好もほとんど同じだった。
病弱なジルの方が小柄でも良いはずなのだが。

ただ違うのは、少年の背に生える大きな竜の翼。
ジルの背に生えるのは堕天使を思わせる黒い巨鳥の翼だ。

鏡のようであった。
映し出すものは全く同じだが、それらは一つ残らず対称である。
全く正反対の双子、ジルと、その兄のラウンド。
町でもあらゆる意味で有名な少年たちだった。

「もっと遊んでよ!」
子供の一人があからさまに不服の声を出した。
それを皮切りに、子どもたちはしきりにわめき出す。
まるでえさを親鳥にねだる雛鳥のようだ。

事実そうなのだろう。
今いる子供たちの多くは、親を失っている。
残った大人たちは日々の生活にいっぱいいっぱいだ。
子供たちは甘える相手がいないのだ。

損な役割である。
ラウンドだってそこまで大人であるわけではないのに。
ただ、そういう役割負わされてしまっただけだ。
ほんの少し、年上だったから。
お人好しで、断ることが出来ないから。

ジルは眉をひそめた。
騒音は好きではない。
何かが疼く。
拒絶を示すように窓を閉じた。
ついでに鍵も閉める。
声がほんの少し遠くなった。

子供は、嫌いだ。
感情をむき出しにしてくるから。
ジルが必死で出すまいとしている、心のつっかかりを、気にしようともせず吐き出す。
それがどれだけ残酷なのかも知らずに。

子供の内の誰かが、言った。
「ジルなんか放っておけばいいじゃん」

目の前が揺らいだ気がした。

まるで稲妻が落ちたようだった。
一瞬視界が真っ白になった。
鈍い衝撃が走る。

ジルは思わず心臓を押さえる。
心臓の音はやけに早くなっていた。
気持ちは冷め切っていた。

図星だと思った。
残酷だが、違わない事実だ。

そうだ。
どうでもいい。
こんな荷物はさっさと下ろしてしまえばいい。

ラウンドは人柄も良く、皆に慕われていた。
老若男女問わず彼を頼りにしている。
町でラウンドを見かければ誰もが声をかけるほどだった。
力も強く手先も器用である。
頼まれたことはたいていこなし、子供や老人ばかりの町でラウンドの存在は重宝された。

両親がいなくても二人が生活できるのは、ほとんどラウンドのおかげだった。
ラウンドが外で働いて、食料をもらってきたりする。
仕事は欠かなかった。
少なくとも、子供だけでも十分生活できた。

ジル自身にもラウンドにどれだけ依存しきっているか判っていた。
ラウンドがいなければジルは生きていけないだろう。
病気の孤児をどうにかするほど町の情勢に余裕はない。
放っておかれて餓死するのがせいぜいだ。

ジルはラウンドに生かされている。

「駄目だ。
そんなことを言っちゃ」
ラウンドは厳しく言った。
しかりつけると言うよりも、頑なまでに意志を貫き通している。
それだけは絶対に譲れはしないとでも言うように。

「俺にとって、ジルはただ一人の家族なんだ。
ジルがいなければいけないんだ」
「どこにそんな根拠がある」
聞こえないと思いつつも、ジルは呟いた。
咳き込んだせいで声は掠れていた。

それだけではないだろう。
ラウンドと共にいる時も滅多に喋りはしない。
話すことを忘れた喉は、声の出し方も忘れていた。

また咳が出る。
抑える気力もなくて、咳が出るままに任せた。
シーツを握り締める。
昨日ラウンドが洗ったばかりのシーツは、シワだらけになっていた。

血の味がした。
どこかが切れたのだろうか。
気持ち悪くて吐き気がした。
何も詰め込んでいない胃の中からは出る物がない。
胃液が食道を焼くだけだった。
それでも何となく、口元を押さえた。

ラウンドは子どもたちの目線に合わせて身を屈める。
真っ黒な瞳の色は、優しい色だ。
諭すようにしてその子供の頭を撫でた。
「俺にとって、ジルは必要なんだよ」

馬鹿馬鹿しい。
ジルは心の中で毒づいた。
口に出すことは諦めた。
もう喉が痛くて、呼吸さえもしたくなかった。

ラウンドはいつだってそう言う。
ジルを世話するのは他でもない、ラウンドがジルを必要としているからだと。

そんなはずはない。
ラウンドはジルなんかがいなくても生きていける。
ラウンドがいないと生きていけないのはジルの方だ。
たった一人の力に依存して、寄生するように生きているのはジルの方なのだ。

「ごめんね」
ラウンドが言うと、子どもたちは急にしおらしくなった。
何も悪くはないラウンドが謝ってしまったので、
急に自分たちが悪いことをしてしまったような気分になった。
子どもたちは慌てて首を振る。

「わがまま言って、ごめんなさい」
最初に口を開いた子供が、ラウンドの袖を引く。
「もうしないから、明日も遊んでくれる?」

ラウンドは責める気など毛頭なかった。
純粋な気持ちでラウンドを引き留めてくれたのだ。
己を慕ってくれる者を、誰が嫌悪できるだろう。

それにジルのことだって、本気で思って言ったわけではないだろう。
ラウンドにかまってほしくてつい言ってしまっただけなのだ。
そんな彼らを、ラウンドは責められるわけがない。

お人好しで馬鹿なラウンド。
いつかその身を滅ぼす羽目になっても、知るものか。

ラウンドは子どもたちが大好きな優しい笑みを浮かべて頷いた。
「もちろん」

その言葉を最後に、今後こそ別れの言葉を言う。
他の子供たちも次々に別れていった。
大きく手を振り、キンキン声で「また明日」と叫んでいる。

声がどこか遠い世界のもののように思えていた。
ぼんやりとした思考に声が混ざり込んでくる。
まどろみの中にある脳内に、雑音が流し込まれているかのようだ。
聞き流したくても入り込んでくる。
上手く変換することが出来なくて、訳の分からないまま混じり合う。
ジルの場合、混ざり合う思考の根底にあるのは憎しみに近い闇だった。

それはまるで炎のように揺らめいていて判然としない。
黒い炎の向こう側にあるのが本当に憎しみなのかはよく判らなかった。
さながら陽炎の向こう側のように。

それでも、憎いと思った。
なぜだか憎いと思った。
ジルは、ラウンドが、憎い。

その心だけがジルを生かす。
憎しみだけで生きることがどれだけ辛いかは知っている。
病に冒される体を引きずり、それでも生きている。
しかし目指す先にあるものは、死ではなくても、憎しみという闇。
生きていようが死んでいようが、ジルの眼前には闇しかないように思えた。

きっとラウンドは言うのだろう。

憎んでも良いと。

それがジルを生かすのならば。

どんなに深い闇でも受け入れようと。

「憎しみ」すらも手放したのならば。
ジルはどうなるのだろうか。
陽炎の中に飛び込んで、その真実を暴いたら。
一体最後には何があるのだろうか。

最後にしがみついた鎖。
自らの意志でも容易に断ち切れそうな弱い鎖が、ジルをつないでいる。

もうすぐラウンドが帰ってくる。
ジルはシーツの中にくるまって、寝そべる。
日が落ちかけてから少し寒くなった。
方までシーツをかぶると、部屋の入り口に背を向けるようにして寝返りを打つ。
そんなことをしても、ラウンドから逃れられはしないのだけど。

用意された昼食は未だ食べていない。
残っていたらまた何か言われるだろう。
うっとうしいから、捨てに行こうかとも考えた。
結局面倒くさくてベッドの中から出なかった。

根底にあるのは、一番優しくて残酷な感情。
今さら気づいたとしても、残るのは残酷さだけだ。
ならばいっそ、起こさずに永遠に眠らせておけばいい。

もっとも憎き我が兄へ。

あんたが一番―――。

古びた木のドアが開いて、ラウンドが帰ってくる。
ジルは、そのまま狸寝入りを決め込んで、気づかないふりをした。
少しだけ判りかけた、自分の感情と、一緒に。



END.



戻る